第4話 夜間の討伐任務

 光海の運転する車に揺られながら、燐翔は重く垂れ込める夜霧の中にぼんやりと浮かぶ田園風景を眺めていた。湿った空気に包まれるその風景は、月明かりも届かないまま闇に飲まれ、静かで冷たい。


 今回の任務は、最近話題の「グリーンアイ」という変異型のPseudo Were Wolf、PWWの討伐だった。既に3課が討伐に向かったものの、被害者多数により撤退したため、燐翔が行くことになったのだ。光海もその事情は理解しているのか、今回の任務では珍しくテキパキと準備をしていた。


 グリーンアイ――緑色に輝く眼を持ち、白い毛並みの獣。末期ガンに侵されていた老齢の女性が死を恐れた結果生まれた、肉体能力の向上が異常なまでに強化されている人造人狼の成れの果て。


「可哀そうっすよね。ただ、生まれてくる孫の顔が見たかっただけなのに」

「だからと言って、誰かを犠牲にするのは違うと思いますが」


 二人は急いで指定された廃工場へ向かう。車のヘッドライトで照らされたゲートには、入口から血の跡が中まで続いていた。


「行きますよ」

「あいよ」


 車から降りた瞬間、近くの建物の方から女性の甲高い叫び声が聞こえてきた。どうやら、運悪くグリーンアイに遭遇した女性がいるようだ。


 倉庫に駆け込むと、懐中電灯の光が惨劇を照らし出した。白い獣が、女性に襲いかかっているのだ。


 それは、緑色に輝く瞳、巨大に変異した体、歪んだ骨格、狼の頭、人間では無いその獣は紛れもない、グリーンアイである。


「星さん、被害者の保護を頼みます」


 燐翔は光海に一言告げると、素早くカーボンブレードを抜き放ち、白獣に向かって駆けだした。すれ違いざまに首に一太刀浴びせる。しかし、斬撃は浅く、かろうじて女性を引き離すのが精一杯だった。


 光海が女性の元に駆けつけ、連れて行ったのを一瞥するなり、燐翔は右足にあった傷を斬りつける。叫び声が上がり、獣は怯えた様子で奥の方に向かっていった。


「私はグリーンアイを討伐しに行きます。彼女の事は任せました」

「わかったっす」


 燐翔はそのまま血の跡を辿って倉庫の奥に向かう。人狼の血のお陰で、夜目が効くため、討伐対象を見つけるのは容易だった。


 グリーンアイは無数の死体を貪りながら、緑色の瞳を爛々と輝かせて燐翔を睨みつける。死体の山の中に見たことのある顔があり、燐翔はブレードを握る手を強めた。


 ふと、異様な気配がして、とっさに燐翔は右に飛ぶ。風が吹いたかと思えば、左頬に痛みを感じ、触れると深く斬れていた。銃弾が掠めたような鋭い痛みはあったが、銃声は聞こえなかった。


 燐翔は直ぐに3課が討伐を失敗した理由を察した。


(グリーンアイは”PSI”が使えるということですか。あの風、このブレードでも弾けるといいのですが)


 燐翔はブレードを構え直し、感覚を研ぎ澄ます。そして、違和感を感じた所にブレードを向けると、金属の塊がぶつかったような音と感覚が伝わった。


(弾けるなら、対処のしようはありますね)


 人狼の感覚を頼りに燐翔は風の刃を弾いていく。何本かは弾きそびれて体を切り裂くが、淡々と老獣に歩みを進める。向こうもあまり遠隔攻撃は意味無いと判断したのか、風が止むなり飛び掛かって来た。


 それを見計らって、燐翔は先ほど付けた足の傷跡を再び斬りつける。今度は先ほどより何倍も強い力で切り、右足が宙に舞う。


 着地に失敗して態勢を崩した瞬間、グリーンアイは無数の風刃を飛ばしてくるが、燐翔は全てを弾きつつ、自分の手に刃を当て、刀身に血を纏わせた。そして、力を込めてブレードを投げつけた。


 刃が胸元に刺さるなり、燐翔は前に跳んで間合いを詰め、ブレードの刃に手をかけ、深く差し込む。血が刀身を伝って、傷口から中に流し込まれていく。


「これで終わりです」


 燐翔がブレードを引き抜いた途端、獣は血しぶきを上げながら泡を吹いて倒れた。そして、天井を貫くほどの紫色の火柱が立ち上る。火が消えるころには、辺りには犠牲者の山以外には何も無かった。


「グリーンアイの討伐を完了しました。犠牲者複数、生存者一名、救護班を要請します」


 本部に通信を入れつつ、燐翔は眩暈を感じつつ、すぐさま踵を返す。


(今回は、少々、血を流しすぎたかもしれないですね……早く光海と合流した方が最善でしょうか)


 重傷を手早く止血しながら、燐翔は倉庫の入口へ急いだ。しかし、その場で目にしたのは、信じられない光景だった。


 倒されたグリーンアイに代わり、もう一匹の黒獣が現れていた。足元には血だまりができていて、そこにはぐったりとした光海の姿があった。すぐさま燐翔はそこに向かおうとするが、光海の叫びで一瞬怯む。


「攻撃しないでください!」


 獣もその声に驚いたのか、数歩後ずさり、頭を抱えだす。どうやらまだ変異したばかりなようで、混乱しているようだった。


「彼女は……まだ……」

「完全に変異をした後、助ける方法はありません。もう、彼女は助からないんです」


 その隙に燐翔は光海の傍まで行き、怪我の程度を調べる。


(ワクチンが落ちている……接種しても変異が止められなかったのですか。怪我も酷い、このままでは失血死するかもしれない)


 被害者だった化け物に目を遣ると、まだ混乱しているようで自分を引っかいて、叫び続けている。この隙に燐翔は光海の肩口の怪我の止血を行う。


「こんな状態になるまで、どうして応援を要請しなかったんですか」

「……手を……出さ、ない……さい……」


 光海は息を荒げながら、震える手で燐翔の服の裾を掴む。普段のおちゃらけた様子と違い、低い声で殺意の籠った瞳を燐翔に向ける。


(過去に何があったか知りませんが、その後悔や復讐心で貴方を死なせるわけにはいかないんです)


 燐翔は一息つくと、能面のような無表情で冷静に光海に語り掛ける。


「……後は私がやります。貴方のこれ以上の戦闘継続は許可しません。直ぐに退避してください」

「あいつ、は……」

「これは命令です」

 

 光海はその言葉を聞いても、ただ震えながら「ダメ…」と呟く。燐翔はためらわず、冷徹に光海の傷跡を蹴りつける。光海は燐翔の行動に目を見開いたかと思えば、そのまま痛みで気を失った。


(呼吸は大丈夫そうですね。止血はし直したからよし。乱暴ではありますが、PWW適合者なら、この程度で死なないはず。さて、こちらを対処しないとですね)


 獣は赤い瞳をぎらりと輝かせ、縦に裂けた口で嗤いながら、不慣れな四足で燐翔にじわりとにじり寄ってくる。


 燐翔はブレードを抜き放つなりそのままの勢いで首を刎ねた。


 少しして、サイレンの音がして、燐翔は光海と目が合った。光海は横を向いて、落ちている首を見るなり、直ぐに体を起こそうとしたのか、体がピクリと動くも、血を流しすぎたのかそのまま横になっていた。


「……どう、して……どう、して……」

「……」


 燐翔は何も言えなかった。ただ、その場に座り込み、頬に涙が伝うのを感じた。


(所詮、私は誰かを殺すことしかできない、化け物でしかない……。それなのに、誰かを守るために、生殺与奪を決めるなんて、傲慢ですよね。本当は、生きることを許されていないのに)


「……先輩……泣いて……」

「……」


 倉庫に無数の足音が響き渡り、燐翔は立ち上がった。そして、医療班に運ばれていく光海を見送る。


「お嬢、お疲れ様。今回も酷くやられたな」


 医療班と共にやってきた千英が煙草片手に、燐翔の頭に手を乗せる。


「見た感じ、被害者がPWW化して、倒すことになったって所か。後輩ちゃんも、甘ちゃんだな。化け物は所詮、化け物でしかないってのに」

「……化け物は化け物でしかない。殺す事しかできない。それなのに、どうして私は……」

「……それ以上はやめろ」


 千英は煙草をふかし、鋭い眼差しで燐翔を睨むと、青龍刀に手をかけながら低く続けた。


「あの人の話を蒸し返すって言うなら、私は再び刃を”燐翔”に向けなきゃいけない」

「……」

「……死ぬことも生きることも、許す訳がねぇだろ……」

「……そうでしたね。考えてはいけない、事でした……」

「……ただ、これだけは言っておく。生きるも死ぬも、てめぇの勝手さ。人は誰しも迷惑をかけるし、誰かを犠牲にして生きている。誰からも許されたい、救われたいなんて、甘い考えは捨てるんだな」

「……はい」

「じゃっ、暗い話はここまで。帰ろう」


 千英の差し出した手を握り返し、燐翔は立ち上がった。


 自分がどんな存在であろうとも、罪を重ねる事しかできなくても、戦い続けるほかに道はない。生き続けなければならないのだ。


 燐翔は千英の優しさを噛みしめながら、帰りの車に静かに揺られていった。

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