第3話 幻の弁当の罠
PWW対策部部長室のオフィスは、重苦しい空気に包まれていた。燐翔は佐伯から渡された資料を見つめ、頭を抱える。
「対策部内でテロ、ですか?」
「ああ、文字通り”飯テロ”だ。最近、食中毒の報告が相次いでいる。食堂に問題はなく、誰かが意図的に仕掛けている可能性が高い。調査を頼む」
「そう言うのは警察に任せた方が良くないですか?」
「上層部曰く、職員内で逮捕者が出ることは避けたいそうだ。そのため、こちらで調査することになった」
「つまり、犯人は職員ということですか?」
「恐らくそうだ。食中毒にかかった職員の話を聞く限り、昼食にしか手に入らない幻の弁当が関係している可能性が高い。それを食べたことが原因かもしれない。何でも、一口食べると天にも昇る美味しさだとか」
佐伯は言葉を切り、思わず唾を飲み込んだ。
「部長、まさかそれを食べたいとは言わないですよね?」
「いや、実は食べたことがある。俺は食中毒にはならなかったが、あれは見た目はともかく、まさに幻の一品だった。とにかく、4課でその弁当の生産者を調査してくれ。入手方法は資料に詳しく書いてある」
4課のオフィスに戻りながら、燐翔は資料を見返す。そこには入手方法が詳細に描いてあるだけでなく、弁当の写真も添付されていた。
(この赤黒い謎の液状の物体が例の弁当ですか。確かに見た目がグロテスクですが、本当に美味しいのでしょうか。そもそも、リスクを取ってまで食べる物ではないと思いますが……)
オフィスのドアを開けた瞬間、燐翔の目の前に光海が満面の笑みで現れた。
「先輩、お疲れ様っす!これ、私が作ったお弁当っす!是非、食べてください!」
光海は無邪気な様子で燐翔に弁当を差し出した。
「確かにちょうど昼時ですが、急にどうしたんですか?」
「いつも先輩に迷惑をかけてばかりだったんで、日頃の感謝の気持ちを込めて弁当を作ったっす!」
何となく嫌な予感がして燐翔は差し出された弁当を開けて中を覗く。先ほど、資料で見た弁当と同じ見た目をしていた。白米は灰色がかっており、謎の赤い液体が染み出している。鼻をつく酸味と、微妙に漂う焦げ臭さ。おかずに添えられている炭化物質。
(どうやら、犯人は星さんみたいですね。これを差し出せば、事件解決ですか)
「ありがとうございます。後で食べさせてもらいますね」
「先輩!是非、今食べてくださいっす!」
「……はい?」
「私、先輩の為に沢山練習したっす!だから、今、食べてもらえると、嬉しいっす!」
燐翔は光海の期待に満ちた瞳と弁当を交互に見つめた。
(事件の真相は単に星さんの善意でしたか。佐伯に後で報告するとして、これを食べるのは流石に嫌なんですが……)
「今、あまりお腹が空いていないので……」
「ああ、燐翔、少し時間いいか?って、今、取り込み中だったか?」
佐伯がドアを叩く音が聞こえ、燐翔は安堵しながら、ドアを開ける。
「佐伯部長、助かりました。それで、何か用ですか?」
「助かった?まあ、さっき話した件について俺も個人的に調べたくてな。お、星くん、その弁当はどうしたんだ?」
「先輩の為に作った弁当っす!」
「いいじゃないか。燐翔、いい後輩を持ったな。丁度、昼時だし、一緒に食べるか?」
「いいっすね!」
佐伯の一言で燐翔の背中に冷や汗が流れる。
(食欲が無いと言って逃げようにも、佐伯が居たら元気であることはバレている。それに、彼はあの弁当を探している程の人間。となると、私に逃げ道は無い……!?)
佐伯に促されるまま、燐翔は光海を連れて三人で食堂に向かう。そして、光海から例の弁当を差し出される。食堂で弁当を開いた途端、予想通りの騒めきが辺りから上がる。
「その弁当は、幻の弁当!」
「いいなー、食べたら成仏するって程の味らしいぜ」
「リスクは承知のうえで、また食べたくなるぜ。羨ましいな」
燐翔は佐伯に視線を送り、チャットを送信する。
『事件の真相はこう言うことなんです。正直、私はこれを食べたくないです』
『一度食べると、やみつきになるぞ。君も、成仏してこい』
無慈悲な返信が帰って来て、燐翔は絶句した。
「後輩がお前の為に作って来てくれたんだ。食べなきゃ勿体ないよな!」
「先輩!一口だけでも、是非!」
「食べるしかないんですね……」
燐翔は覚悟を決め、箸を手に取る。口それを運んだ瞬間、異常な味が口中に広がり、脳が痺れるような感覚に襲われた。食べた途端、口の中で広がる美味しさは、確かに人生で一度も経験したことの無い味だった。
しかし、直ぐに心臓が早鐘を打ち、冷や汗が背中を流れる。胃が痙攣し、圧迫感が強まるだけでなく、まるで中で何かが暴れているような鈍い痛みが波のように押し寄せる。食道の奥から胃酸が逆流する感覚がし、酸っぱい味が口の中に広がった。
「うっ……」
「先輩、どうですか?」
「おいしいだろ?」
「……確かに、味は良いですよ。でも、これ……人が食べる物では……」
「成程、美味しすぎるってことだな!」
佐伯から届いたチャットを見て燐翔は全てを諦めた。
『今、上層部に事態を報告したとこだが、どうやら上層部でもカルト的人気があってな。今、リスクなしで食べられるような方法を調査中らしい。だから、くれぐれも、星くんがこの料理を作るのを辞めるような事態は引き起こさないでくれよ』
佐伯を睨みつけるも、彼はサムズアップをするだけだった。
(もう、どうにでもなれですよ!)
燐翔はやけになって、そのまま弁当をかき込んだ。胸焼けが押しよせて、キリキリとした痛みが増していくが、無理やり笑みを浮かべる。
「ええ、ええ、大変、美味しかったですよ」
「本当っすか?よかった!」
光海は燐翔の様子に気づかないまま、屈託のない笑みを浮かべている。
『おいおい、まさか全部食べるとは。お前、死にたいのか?』
『料理を作るのを辞める事態を引き起こさないためにこれが最善かと』
『悪いことは言わない、今すぐ吐き出した方が良い』
『こうなったのも、全部悪いのは佐伯じゃないですか』
「先輩に美味しいって言って貰えて、作った甲斐があったっす!」
「……星さん、因みにこれはどうやって作っているんですか?」
「この焼肉は、高級赤身肉をスパイスに一晩漬けこんで焼いたのを更に私秘伝のタレに付けて一晩漬けこんだ物っす。あと、野菜は発行させたものを特性のビネガーに付けこんだ物で、米は肉汁と和えたものになってっるっす!レシピは先輩の為に、考えったっす!」
「そうですか……」
会話している間も胃が絞られるように痛みが増すばかりで、吐き気が酷くなり、視界がグラついていく。手のひらはじっとりと湿り、視界が徐々にぼやけてきた。周りの音は遠くなり、光海の声も耳の奥でこだまするように響く。彼女の無邪気な笑顔が、今は刺々しく感じられた。
「……すいません、少し席を外します」
次の瞬間、燐翔の体はついに限界を迎えた。胃がグルグルと音を立てて、内容物が逆流しそうになり、慌ててトイレへと駆け出す。
(どうしてこんなことに……)
胃が空っぽになっても吐き気は収まらず、フラフラの状態で燐翔はオフィスに戻った。身体は冷や汗でびっしょりと濡れ、足元がふらつく。
「先輩、こっちの書類やっときますね」
「……お願いします」
通常だったら光海に書類作業を任せない燐翔ではあったが、腹痛と疲労感で注意力が散漫になっていた。しかし、光海に仕事を任せるわけにもいかず、燐翔は無理をして業務を続るしかない。
腸が捻じれるような鋭い痛みが下腹部に移動していき、腸が過剰に動いているのを感じた。時間が経つ度に、波打つように下腹部の痛みは激しくなり、不快感は増していく。時折、胃が反応して、食道から苦い胃酸が逆流しそうになり、思わず唾を飲み込んだ。
燐翔は電話に行くようなさりげない様子で光海にばれない様にオフィスを去って、トイレに向かう。
オフィスに戻って来る頃には熱が上がって来たのか、腹痛だけでなく、怠さと眩暈も合わさり、視界が霞んだ。光海が資料を探しにオフィスに居ないと分かるなり、燐翔は椅子に机に伏す。手はじっとりと汗で湿り、寒さから震える。
食中毒の際には水分補給が大事だと思い、水を飲んでみるも、すぐに胃腸が反応しトイレに行く羽目となった。時間経過とともに症状は重くなる一方で、燐翔はため息をつく。
(流石に、この状態で業務を続けろと言われても、困りますよ……)
ドアを叩く音がしたが、開ける気力もなく、返事もしてないでいると、乱暴にドアが開けられ千英が現れた。そして、聞きなれた小ばかにしたような声が聞こえてくる。
「何でも、後輩の為に毒を食べて死にかけてる奴がいるらしいな!はっはっは、滑稽だね」
千英は笑みを浮かべながら、燐翔をのぞき込む。燐翔は眉をひそめながら顔を上げたが、直ぐに吐き気が込み上げてきて、意識が薄れるような感覚に襲われる。背中を丸めると、吐き気に加えて、今度は下腹部が激しく波打つような痛みを伴い、呼吸も苦しくなってくる。
「……笑いごと……じゃないです……」
「佐伯の言うことを無視するとか?まあ、上の連中の司令だって言うんだから、仕方ないか!はっはっは!」
「……」
「おい、大丈夫か?仕方ない、連れて帰るぞ」
千英が乱暴に燐翔を持ち上げようとしてきたので、咄嗟に燐翔はその場を離れようとして、椅子から落ちる。
「先輩!大丈夫っすか!」
音を聞きつけて、直ぐに隣の書庫から光海が戻って来た。燐翔はため息をつき、立ち上がろうとするもキュルキュルと腹部から音が鳴り、波打つように再び強くなってきた腹痛のせいで腹部を抑えて蹲る。頭は重く、視界がぐらぐらと揺れ、起き上がることすらままならない。
「……」
「まあ、こんな状態だから、そっとしてやってくれ」
「まさか、先輩、私の料理で……?」
光海は何かを察したのか、驚愕の表情を浮かべている。燐翔は肯定したい気持ちで一杯だったが、冷や汗を流しながらも命令に従って首を振る。
「おい、お嬢、帰るぞー」
「……」
「何々?吐きそうで、動けない?」
「……言って無……す……」
「先輩!大丈夫っすか!?」
「よいしょっと」
「……!」
燐翔の抵抗空しく、千英はそのまま燐翔を軽々と抱き上げる。燐翔は意識が遠のく中、周囲の声がぼやけて聞こえ、体の力が抜けていく感覚に苛まれた。
「それじゃあ、後輩ちゃん、後は任せた!」
「……!」
それからというもの、燐翔は一週間の休養を余儀なくされ、仕事量が増えたのは言うまでもなかった。体調は徐々に回復していったが、心の中ではあの弁当のトラウマが忘れられず、もう二度と光海の弁当は食べないと誓うのだった。
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