第二十八話/手段

シュテンが場の静かさに気がついたのは、呑気に伸びをした直後だった。

「…あー」

これは、やらかしたか。

つい怒りにまかせ黒龍を叩き潰したが、もしかしたら人間業では無かったのかもしれない。

すぐ眼下には、気絶したケンムを抱え口を開いたままシュテンを見るアンナの姿。

その姿が平安京の記憶を蘇らせた。


『化け物…鬼…っ!』


恐怖に震えながら、京の人間はシュテンをそう呼んだ。

あれは息子を抱きかかえる母親だっただろうか。

今のアンナとぴったり重なって見えた。

シュテンは溜息を吐いて頭を掻いた。

「…ぷっ、はははっ、はははは!」

だが次の瞬間アンナが笑いだし、シュテンが逆に面食らう。

「はーっ、シュテン、お前強いなぁ」

「あ、あァ?」

アンナは腹を抱えて笑い続けるも、次第にその目から涙が溢れはじめる。

「はは、はぁ…ホント、よかった…」

「…」

シュテンは訳が分からないままアンナが顔を拭うのを眺めた。

「シュテン殿ーっ!」

「ぐえふっ」

気を抜いていると不意にメイが懐に飛び込んで来て思わず声が出た。

「今の凄かったです!凄く凄かったですよ!!!」

「あァ…?」

「なぁシュテン」

メイに身体を揺さぶられる中、おもむろにアンナがシュテンへ笑顔を向けた。

「ありがとな」

「…」

シュテンは得体の知れないむず痒さに思わず黙り込んでしまう。

ストレス発散を兼ねて鬼道を使った事は、平安京でも度々あった。

シュテンからしてみれば、なぜ感謝の言葉が出てくるのかさえ、不可解なのだ。

「はい、湿っぽいところごめんよー」

「っ!?」

「な…」

いつの間にか、アンナとシュテンの間にホエンが居座っていた。

すかさずアンナが手を伸ばすも時すでに遅く、腕の中に居たはずのケンムごと転移されてしまう。

「しま…」

「ほい、いっちょうあがり」

「テメェ!」

アンナが剣を取り立ち上がろうとするも上手く体に力が入らない。

「無理はしない方がいいよー、二度と立てなくなっちゃうかも」

「クソっ…」

「それにしても、あの黒龍たちを一撃でペシャンコなんて、キミ本当に人間?」

「なっ、愚弄するのも大概にして下さい!」

メイが刀に手をかけて叫ぶ。

対してシュテンはひとつ溜息を漏らした。

「…シュテン殿?」

「…さァなァ」

「…?」

煮え切らない回答にメイは首を傾げる。

「ふーん?ま、どっちでもいいや。ワドゥ帰ろー」

「ま、て…!」

アンナは震える脚を抑え腕に力を込める。しかし立ち上がることは叶わない。

「無理はしない方がいいよー?ケンムくんは丁重に持って帰るからさ」

「やれるもんならやってみるっスよ」

ふと、マンジュは膝立ちになって手元の地面を叩いた。

「え…!うわっ!?」

ホエンが驚いたのは、自身の手に触手が絡みついているのに気がついたからだ。

「なにこれ!…は、離れない、わ、お、わぁ」

振りほどこうとすると逆に巻きついていく。

「これは…貴女ですか、マンジュさん」

したり顔で返すマンジュの手許には、先の戦闘で地面に突き立てたテンタクルスコップが、地に刺さったまま握られていた。

「お前達がその召喚師を狙うのは予想してたっス。だから予め、この子を巻き付けておいたっスよ!」

テンタクルスコップは地下を通り、ケンムの足元に絡みついていた。

「言っとくっスが、この触手は転移なんかじゃ解けないっスからね?逃げてもいいっスけど、ずっと付いてくるっスよ?」

転移魔法とは、瞬間移動ではなくワープである。わかりやすく言うならば、某ドアのように、空間を繋げた魔法陣を物体に潜らせることで発動する。

地中を通ったテンタクルスコップの触手は、アンナの足元付近へ伸び、地上へ出る位置でケンムと共に転移している。普通の紐などは転移時に切断されるのだが、貫通の魔力処理が為されたテンタクルスコップは魔法で千切る事は出来ない。

物理で引きちぎろうにも、以前メイに触手が巻きついた時には、本気を出していないとはいえシュテンですら解くのに手間取った代物だ。容易に千切れるものでは無い。

「くっ…わ、わぁあ」

触手の巻き付きが進み、ホエンの気が抜けた声が響く。

「ホレ、はやく召喚師を離しちまった方がいいっスよ?ホレホレ」

「わ、わわわわ…くっ、もう!」

ホエンがケンムを投げ捨てる。

「いい子っス」

マンジュが不敵に微笑む。

「マンジュ殿…」

メイはフードを深く被った。

一方、真っ赤な顔で衣服を整えるホエンが震える声で喋る。

「ふ、ふん、まだ一万の歩兵団が控えてる。昨日から行軍して、そろそろ着く頃だから、そうなったら今度こそ…」

「おーい」

ホエンを遮るように、遠くから誰かの呼ぶ声がして全員が振り向く。

黒龍の墓場を乗り越えて、こちらへ歩いてくる男が二人。

片方には見覚えがあった。今朝のミーティングに居たヴェイングロリアスの諜報員タイジだ。

そしてもう一人は、ボロボロの服装ながら笑顔でこちらに剣を振っていた。

状況だけみたら黒龍の討伐者だ。

全員が固まっていると、アンナが「あっ!」と叫んだ。

「ショージ兄!?」

「アンナー!」

ショージはアンナの声を聞くと急に駆け出し、アンナへ飛びついた。

「アンナー無事だったかーい!?」

「いってぇ!怪我してんだから飛び付くな!」

アンナの兄ことショージは、あの親父の子とは思えない華奢な少年だった。

なんならアンナよりも歳下にさえ見える。

情報量の多さといきなりの家族団欒に場が凍ったまま動かない。

「アンナー怪我してるのかい?おおんごめんよー遅くなってー!」

「だー!鬱陶しい!で、なんで遅れたんだよ」

「ああ、来る途中でこっちに向かう軍勢を見つけてね」

「俺、見つけた時、ショージ戦ってた。二人で倒してて、遅くなった」

追いついたタイジが説明を引き継ぐ。

「昨日確認した隊、壊滅した。数一万」

「えっ」

反応したのはホエンだった。

「あの傭兵部隊を、二人で…?」

「ん、余裕」

ショージがサムズアップする。

「ショージ、俺居なきゃ危なかった」

タイジはクスクスと笑っていた。

「…ワドゥ」

「そうですねぇ」

「…!待ちなさい!」

メイが静止しようと駆け出すも、既に上空へ転移していた。

「くっ」

メイは刀に手をかけるも、高すぎて攻撃は届きそうになかった。

「では、また会いましょう諸君」

「おい!お前達は一体何なんだ!」

せめてと、アンナが叫ぶ。

「…我等はカガセオ、勇者を終わらせる者です」

「カガ、セオ…?」

「勇者を終わらせる…」

メイの顔に陰りが出る。

「逃がす、しない」

タイジが地面を蹴る。

「じゃ、またねー」

ホエンの緩い声と共に、二人は転移され、タイジが振った短刀は空を斬った。

「…ちっ」

タイジが着地する時には、その足音が鮮明に聞こえる程には静まっていた。

「…あ、ケンム!」

アンナがケンムに駆け寄ろうと足に力を込める。

「アンナー!」

「げふっ!」

ショージが引っ張って止める。

「何すんだバカ兄!」

「そんな怪我で無茶しちゃ駄目だぞ!」

「危うく怪我が増えるところだっただろ!」

兄妹がギャーギャー言い始めた頃、門の方からテンショウの声が聞こえた。

どうやら西門も片付いたらしい。

「ふうー、終わったっスねアニキ!」

マンジュがシュテンへ笑い掛ける。

「あァ…」

「…」

メイはひとり、ワドゥ達が消えた虚空から目が離せない。

思わず刀を握る手に力が入る。

「…姐さん?おーい、姐さーん、どうしたっスか?」

「え?…あ、いいえ、なんでもありませんよ」

「…?」

じきにガシャガシャと鎧を揺らしてテンショウが到着する。

「皆、無事で何よりです。さて、とにかく一度領城へ戻りますぞ。傷の手当ても致しましょう」

時刻はそろそろ七の刻を過ぎようとしていた。

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