第二十七話/ケンムとアンナ
「ケンムー、おいケンムー!」
「あ、お嬢」
「バカ、私の事はアンナって呼べっつったろ!」
「いや、さすがに周りの目が怖いよ…」
「それよりお前なにやってたんだ?」
「魔法の稽古だよ。僕らも来年には冒険者の仲間入りだしね」
「精が出るな」
「お嬢は魔法しないのか?」
「私はからっきしなんだよ、固有魔法もわかんねぇ。だから剣振ってんだ」
「そうなんだ」
「…」
「…なに?」
「魔法、見せてみろよ」
「…見せるほどのものでもないよ」
「いいからいいから」
「じゃあ…召喚!」
「…お、ゴキブリ」
「またゴキブリか…」
「なに落ち込んでんだよ、凄いじゃねぇかゴキブリ!ほら見ろよ、テンショウがヒゲを逆立ててやがるぜ」
「でも、ゴキブリじゃ戦えない」
「そんな事気にすんなよ、そのうち戦えるゴキブリを出せるようになればいい!」
「お嬢、僕はゴキブリ召喚専門って訳じゃ」
「その時までは私が守ってやるさ!ケンムも領民だしな!」
「…」
「だから、いつでも私を頼っていいんだぞ!」
「…ああ、ありがとな、アンナ」
「ケンム!しっかりしろ!」
全身が沸騰するように熱い。
鮮明に見えたあの懐かしい景色は、走馬灯と言うやつだろうか。
ケンムは、意識ごと召喚魔法に持っていかれそうな感覚の中、妙に冷静な頭で状況を確かめる。
ホエンが魔法を暴走させた。恐らく組織は、ケンムをここで使い潰すつもりだろう。
アンナに負け、クーデターも失敗した今、最早ケンムは目的を喪失した。
この後は重罪人として咎められるだけの人生が待っているのだ。
これ以上、生きる必要はない。
ないのだが。
「ケンム、目を覚ませ…おい…」
消え入りそうな声。
いつも太陽のように明るい、あのアンナとは思えない。
「私は…お前を斬るために強くなったんじゃねぇんだぞ!」
それは僕だって…「僕だって」だと?
僕が強くなりたかった目的ってなんだ。
ケンムは微かに動く眼球でアンナの顔を見る。
「ア…ンナ…」
「ケンム?」
もうどうせ長くは持たないんだ。
最期に一回くらい、素直に頼ってみるか。
「ぼ…くは…」
「なんだ、言ってみろ!」
「ま、だ…死ねない…っ!」
ケンムは自身から出た言葉に驚いた。
まるでまだ、やる事が残っているかのような物言いじゃないか。
対してアンナは、目を真っ赤にしながらも笑った。
「ああ、お前はまだ死なない…私に任せとけ!」
アンナがケンムの手を握ると、何かが流れ込んでくるのを感じた。
ケンムの全身を包んでいた熱が徐々に冷めていく。
何だかよく分からないが、ホエンに掛けられた術式が解けていくのを感じた。
これはまさか、アンナの固有魔法とでも言うのか。このタイミングで覚醒したと言うのか。
「…ケンム?」
アンナが怪訝な顔で覗き込む。
気がつくとケンムは微笑んでいた。
「アンナ…本当に、お前には…適わ、ないな…」
「ケンム?…ケンム!」
ケンムはそのまま静かに眠った。
アンナは一瞬焦ったが、どうやら本当にただ眠っているだけらしい。
背中の魔法陣は、消えている。
魔力の流れも感じない。
「おィ」
ハッとして顔を上げると、シュテンが背中を向けて立っていた。
周囲にはおびただしい数の黒龍の屍と、それを凌駕する黒龍の群れ。
一面真っ黒だ。
そんな中平然と佇むシュテンが背中で問う。
「増えるの止まったかァ?」
「あ、ああ!もう増えない!」
「じゃァもう加減はいらねェなァ」
シュテンは腕を回す。
「加減…?」
「あァ加減だァ、増えきってから一気に叩いた方がスーッとするしなァ」
シュテンの周囲にどす黒いオーラが放たれる。
「うおっ…!?」
思わずアンナも声が出る。
瞬間、黒龍のヘイトが全てシュテンへ集中した。
「俺ァ少しばかりイライラしてんだァ、一発ガツンと殴らせろォ」
シュテンの殺気が辺りを包む。
それは少し離れた場所でスケルトンの相手をしていた、メイとマンジュにも届いた。
あまりの邪気に、スケルトン達の身体が自己瓦解する。
「これは…」
「アニキの、魔力…?」
シュテンはそんな身内の視線など気にも留めず腕を振る。
「鬼道」
腕を上げると、身体を包む妖力が妖気となって上昇気流のように流れ出ていく。
「発技」
それらは雨雲のように厚く空を覆っていき、すぐに黒龍が蔓延る一帯の上空を覆った。
妖力の流出が止まったわすが一瞬の静寂。
空気が張り詰め、その場の誰もが息を飲んだ。
「『鬼命頂礼』」
シュテンが掲げた手を降ろすと、妖気の雲は圧となって黒龍の群れへ「落ちた」。
そう表現するしかなく、それは岩が崖を転がる様とも、吊り天井がちぎれて落下する様とも、雨が降り注ぐ様とも言える異様な光景であった。
ただ確かなのは、その一発、たった一発で、「本来数個パーティが束になって一体を討伐」できる、龍種の最上位種たる黒龍の群れを、阿鼻叫喚の地獄絵図へ変えてしまったという事だ。
ものの数秒の後、黒龍の断末魔は既に聞こえなくなっていた。
一番近くでそれを目撃したアンナを初め、メイにマンジュ、果てはワドゥとホエンですら、目を見開いたまま固まった。
各々が、今目の前で起こったことを処理しきれないでいたのだ。
「ふゥ」
そんな緊張の中、軽やかに踵を返した渦中の鬼は、清々しい顔で一言呟いたのであった。
「あー、スッキリしたァ」
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