Butterfly Effect【バタフライ・エフェクト】

 男の追跡から一時間後。ジュンイチは久しぶりに自宅兼隠れ家の一つに帰る。

 シャワーを浴びて汚れを落とし、鏡に写る顔はいつにも増して死人に近い。

 乾かしたあとの短いアシメントリー・ヘアーの黒髪は、今は骸を覆う黒い布切れのようだった。

 彫りの深い目元の影が洗面台の光で消え去ると、ダガーのように鋭い目付きと銃口を想わせる黒い瞳が現れる。

 ジャパニーズ特有の黄色い肌は病的なほど青白かった。

 疲労を溜め込んだその顔は二十五歳のものとは思えず、ジュンイチは一周回って笑う。

「ハハハ……酷い顔だ」

 彼の首に残る激痛がさらに疲労感を強めた。

 ジュンイチは洗面台の上にある収納箱から痛み止めの錠剤を取り出すと、数粒を手の平に転がして喉の奥に放り込む。

 彼は異能の力であらゆる傷を治癒できるが、麻酔の効果はない。痛覚は正常に働いている。

 常人なら気を失うような痛みを感じても平静を保っていられる理由は、単に慣れてしまっただけだ。

 こうしてタマリバー・サイドのアパートに戻るのは十日ぶりのこと。室内はやけに閑散としていて、作りかけのボトルシップがテーブルの上で寂しげな影を帯びている。

 ジュンイチは冷蔵庫の中から飲みかけのテキーラを持ってきて、リビングのソファにどっしりと腰を下ろした。それからテーブルに携帯端末を置く。

 その途端、携帯端末が震えた。数少ない友人からの連絡だった。

 ジュンイチは携帯端末を手に取って耳に当てる。

「やあ、グレン。君から電話なんて珍しいじゃないか」

「繋がって良かった〜! さすがは俺の親友!」

「厄介ごとかい? 探偵としての依頼なら、相談料に深夜料金が上乗せになるけど」

「いやいや、早まるなって。依頼ってほどの話じゃないんだよ。友人として頼みがあってさ……」

 ジュンイチは甲高い裏声で音声案内の真似をする。

「無料のご相談は三十分までとなっております。三十分を超過した場合、一分につき一ドル三セントの相談料が発生いたします」

「よし、タイマーをセットしたぞ。三十分だな。絶対無料で終わらせてやる」

「悪い悪い。それで、頼みっていうのは?」

「パーティーに出てくれ」

「ん……?」

「俺の代わりに、パーティーにでてくれないか……?」

「……電話をかける相手を間違えていないか?」

「いや〜それがさ……他の知り合いはもう全滅。頼めるのはジュンイチだけなんだよ。俺はどうしても外せないレコーディングが入っちまって」

「なら、無理に数を合わせる必要もないだろ。何か事情があるんだろうけど……」

「俺のファンが来るんだ。直筆のサイン入りタブレットを渡すって約束した」

「あぁ……なるほど」

「俺は随分前にメンバーを失って、新たなスタートを切ったのはつい最近だろ? 俺のことなんて、みんな忘れてると思ってた……でも、まだファンだって言ってくれる人と知り合えた。それだけでスゲーありがたいんだ」

「巡り合わせを感じるな……気持ちを無下にしたくないのは分かる」

「頼む! なんなら、サインを渡してくれたら帰ってくれてもいい」

「了解した。これは貸しだからな」

「ありがとう〜! この借りは絶対返すぜ、心の友よ!」

「で、どこに迎えばいい?」

「ダイコクテンって店だ。広い個室を貸してくれるみたいでな。最近建ったばかりのバルで、ジャパニーズ・ライス・ワインを取り扱ってるらしいぜ。メニューにはジャパン州の郷土料理もあるんだとか」

「ダイコクテンか……」

 ジュンイチは書斎の机からタブレット端末を取ってきて、アルガーン警部と共有している捜査資料を確認する。

 これまで発見された五体の怪死体は全て、ダイコクテンという店から三十メートル離れた地点で見つかっていた。

 ジュンイチは今日見つけた女の怪死体を、捜査資料のマップに加える。そして全ての発見場所を線で結んでみた。

 すると、ダイコクテンを中心に正六角形が浮かび上がる。

「何らかの陣か……? 正六角形ではなく、六芒星……?」

「ん? どうした?」

「いいや、なんでもない……ジャパニーズ・ライス・ワインはまだ飲んだことがないんだ。今から楽しみだよ」

 ジュンイチはそう言う傍ら、眉間に深いシワを刻む。

 浮かび上がった正六角形は単なる偶然か、はたまた魔術の痕跡なのか。

 ジュンイチは通話を終えて直ぐに店を調査するものの、合コンまでの数日感では特に収穫を得られなかった。

 彼は疑念と胸騒ぎを抱えたまま、パーティー当日を迎えることとなる。

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