第15話:彼女には似合わない物語
物見席から、ゾロゾロと販売者達が引き下がります。売れなかったことに文句を言う者もいれば、やっぱりだめだったなと諦めがついた者など、その顔色は様々でした。
しかし一階に降りてみればどうでしょう。嘆きや悲鳴や許しを乞う声など、まるでこの世の地獄かのような阿鼻叫喚が響き渡ります。
「ほら、さっさとしないか‼︎」
そんな中、役人達は慣れた手つきでショウウィンドウから魔人を引きずり出しました。ここに残っているのは、一人残らず食欲の肉と判断された物達です。肉として生きる唯一の手段を逃した彼や彼女達は、涙を流したり嗚咽を溢すのを堪えれないようでした。
「さっさと向こうへ‼︎ 印をもらうのを忘れたら罰金だからな‼︎」
役人達が指差す方向を見れば、食欲の肉が販売者に連れられて一列になっていました。その先頭では、食欲の肉に掛けられているペンダントトップに何かしらの魔法が刻み込まれています。おそらく、肉としての種類がわかるようにしているのでしょう。
「あ、こら‼︎」
その時、販売者の隙をついて、一人の食欲の肉が脱走を試みました。しかし役人だらけのこの場所でそれが叶うはずがありません。彼はすぐに捕まってしまい、手足をきつく縛られます。
「放せ、放せ‼︎ 食欲の肉になんてなりたくない‼︎」
ボロ切れを着た食欲の肉が叫びます。
「つべこべ言うな、肉の分際で‼︎」
役人はそれをまるで物かのように蹴飛ばしました。周りの者もそれを見ていいぞいいぞとゲラゲラ笑います。
「おい、お前さん。ちゃんとよく見ておけよ。仕事を増やされたら困るんでね」
「やぁやぁ、申し訳ない。つい煙草が吸いたくなってな」
役人と販売者がそんな会話を交わします。逃げ出そうとしていた食欲の肉は再びチャンスを伺いますが、もうそれが許される筈がありません。
「おっと、また逃げられたら敵わんな。おい、すまんがこいつを早めに解体してくれないか」
「なっ⁉︎」
驚き見開かれた瞳。しかし写るのは冷酷な現実だけです。
「そんな、待ってくれ‼︎ 持ち帰って太らせたほうが高額になるんだろう⁉︎」
「バカめ。お前みたいに逃げる奴がいるから、俺はさっさと売るんだよ。観念しな」
「ま、待ってくれ‼︎ 悪かった、悪かったからもう一度‼︎ もう一度だけ連れ帰ってくれ、頼むから‼︎」
食欲の肉は何度も慈悲を乞いますが、販売者たちには通用しません。役人が金を渡し、販売者はじゃあなと踵を返します。
「待ってくれ‼︎ お願いだ‼︎ なぁ‼︎ おい‼︎」
役人に引きずられていく中、食欲の肉は考えられるばかりの呪詛を吐き出します。しかしその者の運命は、最早変えようがありません。周りの肉たちは震え、販売者たちは面倒くさそうにしています。中には同じような事があってはいけないからと、さっさと売却する者も続きました。
─気分が、悪い……─
他人の機嫌一つで寿命が決まる。そんな世界の中、青年は目の前がグラグラしてきました。しかしそこにいる青年もその運命を選んだ一人です。その証拠にと、ショウウィンドウから少女が出されました。
「ほら、お前んとこの」
役人が少女を引き渡します。少女は抵抗する事なく震えたまま、ボロボロと涙を落としていました。
「……っ」
青年は声をかけようとしましたが、その先の言葉が見つかりません。彼女をこんな目に遭わせているのは自分です。しかも諦める覚悟をしていたのに、夢を見せたくらいです。
─何を優しいフリをしようとしているんだ……─
何も学ばない己を青年は酷く恥じました。しかし、少女はそれを責めようともしません。
「ありがとうございます、ご主人様……約束……最後までこの身のことを見守ってくださったのですね」
少女は涙を擦りながら、何度も嗚咽を堪えます。
「ご主人様の期待に添えず、申し訳ありません……」
「俺の期待なんて、そんな……」
青年にはもうどう答えたら良いのかわかりません。いっそなじってくれたら楽になるのにとすら思いました。少女は涙を止めることができず、青年も立ち尽くしたまま俯いています。役人はそれを見て、通路を塞ぐなと二人を怒鳴り散らすばかりでした。
少女のペンダントトップに食欲の肉である証が刻まれるまで、会話らしいものは殆どなかったと言えるでしょう。いざ刻まれたその時も、二人とも黙ったままでした。
「で、どうするんだい、旅人さん。この肉を今ここで引き取ったのならば、これぐらいの額にはなるけども」
役人が少女の価格を示します。それはピッタリ、宿屋の請求額になりました。青年にはこのまま売ってしまうことは勿論、一度連れ帰って彼女の価値を上げるべく太らせることも選べます。
「……君は」
紙の束を持つ少女に、青年は視線を向けました。彼女は何も言わず、青年の瞳を見つめ返します。
「ご主人様にお任せします。この身はご主人様の肉ですから……」
「……そうだね。選ぶ責任が、俺にはある」
彼女の寿命をどうするか、青年は決めなければなりません。
─食欲の肉として、彼女を売りたくは無い。でも謁見が終わった以上、肉の質はもう変わらない……─
青年は限られた時間で一生懸命考えます。
─これ以上、この子の運命を振り回すのは良くないだろう……一時的に延命したって、その子の心を殺し続けるだけだから……─
青年は唇を開きます。しかしその先の言葉が出てきません。震える声で、思わず頭を横に振ってしまいました。
「一度、連れて帰らせてくれ……」
弱く情けない、ただの逃げにしかならない答えです。青年は己の決断に顔を手で塞ぎました。しかし少女は、ただ黙ってそれを受け入れます。
「ほいよ。だが自宅で再度育てるのは一週間が限度だ。七日以内に持って来なかったら、その肉の価値はゼロになる。期間には気をつけろよ、旅人さん」
「ああ……気をつけるよ……」
青年が小さく頭を下げると、少女も小さくそれに倣います。列を離れ、青年は少女を連れて宿屋に戻ることにしました。少女は抗うことも無く、静々と青年についてきます。時折立ち止まりそうになりましたが、一秒と経たず、またふらふらと歩き始めました。青年と少女の影が、夕日に照らされて長く伸びます。二人の距離は変わらず、行きよりも遅いペースで宿屋に向かっていきました。
「わっ」
嵐の名残でしょう。強い風が吹きました。それに耐えることができなかった少女は、手にしていた紙を吹き飛ばされてしまいます。
「あ……」
それは、シンデレラの物語の最後。迎えに来てくれた王子様と末長く暮らしたと記載されていたシーンです。文字を書くのが難しくて、何度も間違えては何度も挑戦したその結末。幸せに溢れた締めくくりが、夕暮れの空に舞い上がります。
高く高く昇ったそれは、もう誰の手に届くこともありません。視線だけを向けていくうちに、紙はどこか遠くへ飛んでいってしまいました。
「…………いきましょう」
少女が小さく伝えます。青年が何かを言おうとしましたが、少女は首を横に振って遮りました。
「良いのです。この身には、似合わない物語でしたから」
少女の腕の中にある物語は、涙でくしゃくしゃに滲んでいます。青年は直視することができず、足元に視線を落とす事しか出来ません。
「帰りましょう、ご主人様。ご飯、たくさん食べないといけませんから」
少女は歩き出します。青年は小さく頷くだけで、彼女の後を続くように歩きだしました。大通りでは嵐が過ぎたことを祝う酒の席で賑わっており、遊び足りなかった子ども達が走り回っています。誰もが屈託のない笑顔で笑い合っているその中を、青年と少女は神妙な顔つきで歩き続けました。
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