第16話:価値のある肉

 重い足取りで、二人は宿屋に帰ってきました。運が良い事に宿屋の主人の姿は見えず、青年はどことなくほっとしてしまいます。通い慣れた廊下を渡り、少女と共に部屋の中に入りました。シンとした暗い部屋。彼らを待つ者は誰もいません。


「疲れただろう、今日は……」

「いえ……ご主人様も、お疲れ様でした」


 少女はそう言って、部屋の隅に紙の束を片付けます。


「夕食までにお風呂とか、身支度を色々済ませてきますね」

「うん……ゆっくりするといいよ」


 少女は着替えを準備して、浴室の中へと入ります。不在の間に窓の板は取り外されていました。ガラスの向こう側からは、夕闇に染まりつつある肉の都が広がります。


─……どうしたものだろうか……─


 椅子に座った青年は、机に深く項垂れました。少女が食欲の肉になるまであと一週間。出来ることは限られています。


─あの子を都の外に逃そうか……いや、この都の城壁はびっちりと固められている─


 宿屋の主人が言うように、城壁には大きな傷もなく、抜け道の類もなさそうです。都の出入り口を固める役人も、肉質検査で関わったようなぬるい性分には見えません。

 強行して抜けることも考えました。しかし生命線になる荷車を置いて行くことはできず、少女を伴ったまま暴れるほどの力は持っていません。


─ああ、せめてあの上流階級が手を取ってくれたのなら……─


 青年はあの時のこと思い出します。誰がどう見ても、あの若者は間違いなく少女に心を惹かれていました。少女にも若者にも、それがわかっていた筈です。たらればを言ったところで過去が変わる筈もありませんが、どうにも悔しい思いが消せません。


─何か……何か他に方法がないか、考えなくては……─


 青年はこの状況を打破する為に、今までのことを思い出します。嵐の季節、魔人販売店。上流階級に肉質検査……


『雑種って書いてあるだろ、雑種。どこにでもいるやつなんだよ、この肉は』

『そうだな。ま、ヤバけりゃ途中で捨てればいいし』

『この都の門や城壁は随分と強固でね。あの悪名高き災害の魔人が来た際にもここを守りきった程さ』

『旅人さんの瞳の方が、少しは珍しいと思ってもらえるんじゃあないのかね』

『お前さん、いったいどこの生まれだい?』


「………………」


 青年はふと、顔を上げました。外はすっかり暗くなり、浴室からドアの音が聞こえます。


「お待たせ致しました……ご主人様?」


 顔つきが変わった青年に、少女は首を傾げます。


「……ごめん、俺……少し、出かけてくる。夕食は先に食べているんだよ」

「え、あの……あの、お供致しますが……」

「大丈夫だ。そう遠くない所に行くだけだから」


 青年は荷物も持たず、刀だけを携えてドアへと向かいます。


「ご、ご主人様」


 少女の言葉に、青年は振り返ります。


「あ、あの……夕食……残さずちゃんと、食べますから……」


 その言葉に、青年はふっと笑みを溢しました。


「……無理はしなくてもいいからね」


 彼はそう言って、ドアの向こう側へと足を進めていきました。


「おやおや、旅人さんはお出かけかい」


 丁度入れ違ったのでしょう、宿屋の主人がワゴンを運んできます。どこからか結果を知ったのでしょう、いつもよりカロリーが高いメニューばかり並んでいます。


「ええ……でもちゃんと、帰ってくると思います」


 少女は一瞬視線を背けそうになりましたが、丁寧な礼をしてそれらをきちんと受け取ります。


「ふぅん……まぁいいけどね。それよかお前さん、しっかり食事をするんだよ。出荷されるまでそんなに時間はないのだからね」

「はい。それはもう、わかっています」


 まっすぐな視線。想像外の反応だったのでしょう、宿屋の主人はやれやれと肩をすくめました。


「いただきます」


 少女はそう言って、手を合わせます。フォークとナイフが、魔獣の肉を切り分けます。果物を潰した赤いソースが、ポタリポタリと皿の上に滴り落ちていきました。

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