第14話:謁見②

 幾分かの時間が経って、空になったショウウィンドウが目立つようになりました。それに伴い、販売者の半数がその場を立ち去りましたが、青年も少女も未だにそれぞれの場所で選ばれる時を待っています。

 ガラスとイヤホンの向こう側では、様々な用途の売買が行われています。体つきや顔だちを良しとして購入する者。特技からペットとして購入する者。コレクションのために購入する者もいれば、特殊な趣味のために購入する者など様々です。その有り様を見ていると、青年はガラスの向こう側がだんだんと遠い世界のことのように感じてきました。


 物のように扱われる命。言葉一つで転がる運命。妾になれるものがいるとは聞いていましたが、そんな道を歩める者が何人いるのでしょう。幸せそうな顔をして購入し、有り難そうな顔で購入される関係。しかしそれもまた、上流階級の言葉や機嫌一つで変わってしまいます。

 そんな運命の流れの不可解さに、青年は居心地と気持ちの悪さを感じます。しかし、この場所にいる彼も、またそれを飲み込んだことに間違いありません。嵐を乗り越えるために仕方のない事だから。都市通貨の換金にはこれしかなかったのだから。どうしようもないことだから。こうするしかなかったから……何度も青年は心の中で繰り返しますが、身を酸で溶かされるかのような痛みがどんどん強くなっていきます。


「おや、見かけない顔だな」

「どこか別の都の上流階級じゃないか」


 販売者達の声に、青年は我に返ります。見れば廊下の端でその異様さにギョッとしている若者がいるではありませんか。


「ああ、あいつなら川向いにいる上流階級の友人だとさ。休校の合間に遊び来ているんじゃないか」

「へぇ。よく見りゃ珍しい剣を持っているもんな」


 そんな声を聞きながら、青年はその若者を気にします。年は見たところ、青年と同じくらいでしょう。愛想笑いを浮かべている彼は少し気が弱そうですが、その服装から申し分ない身分であることがわかります。


『あ、あの……あの……』


 そんな若者に、少女は声をかけました。限りないアピールでその声は掠れていましたが、若者はふっと彼女のショウウィンドウに目を向けてくれます。

 刹那。少女と若者の視線が交わりました。そこに何か運命的なものが生じたのを、青年は肌で感じます。


─ああ……─


 気がついた時、青年は思わず立ち上がっていました。息をするのも忘れる程の感覚に、目が大きく開かれます。


『あ、あの、この身は、この身は……』


 少女も特別な何かを感じたのでしょう。必死に紙を見せようとします。あまりにも焦っていたのかそれは上下逆さまになっていましたが、それでも若者は視線を向けてくれました。


─ああ、この者が……─


 青年は理解します。運命がきっとあるのならば、これがまさにそうなのだと。少女はきっとこの若者に選ばれる。若者は彼女を大切にしてくれる。そんな未来が突き抜けるように青年の脳内へ広がります。

 一歩、二歩。青年はその光景に向かって歩き出していました。しかしそこには厚いガラスが阻みます。行こうとすればすぐに向かえる距離でしたが、そのような事をしてしまえば、役人達に捕えられてしまうでしょう。

 青年は足を止めます。若者は足を進めます。少女の瞳は、青年ではなく若者をまっすぐに見つめていました。


─ああ、そうか……─


 当たり前の事でした。しかし何故か、青年は胸に込み上げるものを感じます。しかしその感情の名前を、彼は理解することができません。


『やぁ、お前。こんなのが気になるのかい』


 その時、若者の友人らしき者が笑いながら茶化しました。


『こんなのって、君、そんな言い方をしなくとも……』

『こんなのはこんなのじゃないか。全然体つきも顔つきも良くないし、その辺にいそうな魔人だろう』


 友人は意地悪そうな目つきで少女を見つめます。少女は少し怯みましたが、紙の束をぎゅっと抱きしめて立ち向かいました。


『こ、この身は、その、少しですが、文字の読み書きが、できます……‼︎』

『文字? この簡単な絵本の書き写し程度で? 冗談じゃないよ。こんなの、俺たちは幼少期の頃から学んでるんだ。それを得意そうに言われても、ああそうですかって話だろう』

『で、でも……』


 青年はその様子を、拳を握りしめながら見つめています。一言二言言ってやりたい気持ちはありました。しかし販売者である彼にそんなことができる筈もありません。


『せっかく来たんだからさ、もっといい肉を選べよ。向こうにはまだ珍しい特技を持ったのがいるらしいぞ』

『う、うん……でも……』


 若者はそれでも少女のことが気になるようでした。視線を少女に向けたまま、離そうとはしません。


「……そうだ。そのまま、あの子を選んでくれ……」


 青年は思わず呟きます。拳も握りしめたまま、ごくりと唾を飲み込んでその様子を見つめました。買うとどうか言ってくれ。この子にすると言ってくれ。そう強く願う青年。しかし、隣にいた友人はわかってないなと肩を竦めます。


『やれやれ、だからお前は童貞なんだよ。遊ぶ相手は選べって親からも言われてるだろ? こんなの抱いた日にゃ、周りから笑われちまうぞ』

『で、でも……よく見たら、その、可愛い気もするし……』


 若者はボソリと反論しますが、それは弱々しいものです。


『何言ってんだ、よく見ろよ。雑種って書いてあるだろ、雑種。どこにでもいるやつなんだよ、この肉は』


 友人はショウウィンドウに掛けられているプロフィール欄を指差しました。


『俺たちみたいなのに全然釣り合わないし、住む世界が違うってことさ。変なのに手を出したら、それだけで俺らの価値が下がるんだぞ。俺らの価値は家の価値。血を悪くしてみろ。ご両親もタダじゃおかねーんじゃないのかぁ?』


 その言葉に若者はぐっと圧倒されてしまいました。流れが変わったことに、少女は必死に抵抗します。


『この身は、この身はなんでもします‼︎ なんでも学びますし、言うことを聞きます‼︎ だから、この身を、どうか買ってください‼︎』

『しつけーな。肉の分際でピーピーと。黙ってろ‼︎』


 友人が怒鳴ると、どうしたことかと役人達が現れました。穏便に物事を解決したいであろう若者は、その場を取り繕うことしかできません。


『わ、わかったよ……わかった。君の言うことも一理あるね』

「『そんな‼︎』」


 青年と少女は同時に言葉を落とします。若者は申し訳なさそうな顔をしていましたが、良く磨かれた靴の先を廊下の向こう側へと向けてしまいました。


『ま、待ってください‼︎ 待ってください、どうか、もう一度ご検討を‼︎』


 少女は必死に若者へ呼びかけます。若者は一度こそ振り返ってくれましたが、友人が別のショウウィンドウの話題を出すと、そのままそちらへ向かってしまいました。


「……そんな……」


 青年の呟きと共に、少女は膝から崩れました。最大にして最後のチャンスを逃してしまったからです。


『嘘です……そんな、そんな、こと……』


 パサリと床に散らばる物語。ショックを受けている少女は、それらを拾い上げることもできません。憧れていた結末が、涙で滲んでいきます。少女はそのまま項垂れるように床に突っ伏してしまいました。


─誰か……─


 青年は彼女を助けてくれる存在を探しました。しかし少女を気にかける者はいません。廊下にも、同じショウウィンドウの中にも、物見席の販売者達も話題にすら出しません。この都ではよくある、そして何の変哲もない物語の終わり方なのでしょう。

 時は経っていくばかり。少女は何度も頑張って声をかけましたが、彼女を見てくれる者はもう誰もいません。中には優しそうだったり穏やかそうな魔人もいましたが、その者達も少女を買うことはありませんでした。


 陽が落ち、館内にベルが鳴り響きました。物見席に落胆の声が、ショウウィンドウの中に悲鳴や嘆きが響きます。売れ残りは、食欲の肉になることが決められていました。蹲る少女は、ガラスの中にひとりぼっち。彼女が色欲の肉になることは、王子様が彼女を迎えに来る未来は、どこを探しても欠片として見つかりませんでした。

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