第6話:初めての夜
夕食も済み、食器も全て片付けた後、二人は就寝の準備を整えました。窓の向こうでは、風の音が随分と大きく聞こえます。対策として木の板が打ち付けられていますが、少女は不安そうにしていました。
「歯を磨くのを忘れないようにね。磨き方はわかるかい」
「は、はい。それならもう、しっかりと」
少女はぱか、と小さな口を開きます。青年が思っていたよりも白く綺麗で、普段から手入れがされていることがよくわかりました。
「本当だ。どうして歯だけそんなに綺麗なんだい」
「えと、食欲の肉になった場合、身体は全て食材となるので……歯も貴重な部位だから、抜けたり虫歯にならないようと言いつけられていたのです」
髪や肌に比べて、歯は取り返しがつかないからでしょう。それにしても、と青年は眉間に皺を寄せます。
「魔人の歯なんか食べて美味しいのかい」
「わかりません……でも、お客様方の会話ではいいツマミになると伺いました」
少女が聞いた話によると、髪の毛はパスタのように茹でたり、爪は粉にしてスパイスにしたりと様々な食べ方があるようです。
「うぅ、えげつない話だ……いや、魔獣に置き換えたらそういうものなのかもしれないが……」
「あの、でも……この身は、色欲の肉になれるよう、頑張りますので、あの……」
少女はワタワタと小さな腕を振っています。
「そうしてくれ。こんなにも詳細に話を聞くと、尚更心に残ってしまう」
「も、申し訳ありません……」
ペコペコ頭を下げる動作も、この半日でもう慣れてしまいました。青年は奥にある古びたベッドに視線を向けます。狭くて小さいそれは、どう見ても一人用の物にしか見えません。
「ベッドは流石に一緒とは言えないよ」
「は、はい。それはもう、勿論です。この身はこの端っこをお借りさせていただければ充分なので」
少女は青年が指示する前に、壁の端っこに向かって、小鼠のように蹲りました。
「そうかい。じゃあ甘えさせてもらうけど……流石に、風邪をひいてもいけないから、これくらいは渡させてほしい」
青年は旅の中で使っている寝袋を少女の足元に置きました。恐る恐る、と言った様子で、彼女はそれを見つめます。
「……どうして、そんなに優しくしてくださるのですか」
視線が青年に向かいます。
「別に優しくないよ。体を壊してもお互いに困るし……それに、意地悪をしても疲れるだけだろう」
青年はそう答えると、薄いシーツが広がるベッドに向かいました。それを見届けた少女は迷いますが、使い古されている寝袋におずおずと指先を伸ばします。
「お借り、致します」
「どうぞ」
少女が寝袋に潜る中、青年は刀を抱えるようにして横になりました。もう随分とその寝方を繰り返していたのでしょう。その動作に迷いはありません。
「あ、あの……おやすみなさいませ、ご主人様……」
少女は目を閉じた青年に伝えます。
「おやすみ。よく寝るんだよ」
青年は口元だけ動かして、小さく寝息を立て始めました。
ざあざあ。激しい風の中、雨も混じってきたようです。打ち付けるようなそれに、少女は小さく丸まります。肉屋では天気なんてわからないほど奥深く閉じ込められていました。空の色を覚えていないといえば嘘ですが、こんなに激しく震える天気は初めてです。
ざあざあ。がたがた。様々な音が聞こえてきますが、青年が目を覚ます様子はありません。ひとりぼっちの少女は不安に駆られますが、それを抑えるように必死に体を縮こませます。
─言いつけ通り寝なければ……ご主人様に迷惑をかけてはいけません……─
言うことを聞けなくて、肉屋の主人に檻ごと蹴り飛ばされたことを思い出します。これまでの行動から青年がそうするとは思えませんが、過去の仕打ちを考えると、少女には不安が払拭できません。
─怒られないようにしなければ……優しい方ほど怒ったら怖いと聞きますから……─
でも。少女はぎゅ、と寝袋の端を握ります。柔らかなナイロンの肌触り。自分とは異なる魔人の香り。それらが檻の外であることを無言で示し続けます。
─この身は、見切り品ではなくなったのですね……この身はあの檻から、出ることができたのですね……─
慣れない感覚達が嬉しくて、少女はじわりと涙を浮かべます。
嵐の中、色んな脅威が宿屋の外で広がります。確かに彼女は怯えていました。しかしこれからの事を思うと、胸の高鳴りを感じずにはいられませんでした。
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