第5話:ささやかな食卓
シャワーを浴び終えた少女が、購入したての衣服を纏いました。ふんわりした裾はとても綺麗なシルエットをしているのですが、その分、病的に細い手足やボサボサの髪のせいで服に着せられている感じが否めません。
「も、申し訳ありません。この身なんかにこのような上等なお洋服をご準備下さいましたのに……」
「そんなに畏まる程高いものじゃないよ。それに体型とかはこの先いくらでも変えることができるだろうし」
青年は少女の顔を改めて見ます。自分が言えることではないが、と思いつつも、どこにでもいそうな普通の出立ちだなと感じてしまいます。髪は茶色。瞳はオレンジ。その他の外見からしても、特に珍しさもありません。肉をつけたとしても、特別感のなさそうな、平凡な少女になることは間違い無いでしょう。しかしそれだと、上流階級の目に止まることは難しそうです。
「ううん……色々考えなければならないことは多々あるけど、とりあえず出来ることから始めようか。髪は明日にでも切るとして……ああ、美容師を呼ぶ余裕はないから、俺が切ることになるけど構わないかい?」
「そ、それは、はい、もちろん……‼︎ 大変、光栄です」
少女は相変わらずペコペコ頭を下げています。動くたびにほわほわと石鹸の香りがして、先程の薄汚れた酸っぱい空気は消えていました。
「なら、良かった。他にも色々考えることは沢山あるだろうけど、焦らずこなしていくしかないね」
「は、はい。きちんと、言いつけ通りに頑張ります‼︎」
少女はやる気があることを見せるように、ぐっと両手を握り締めます。青年はそれを見て、素直な子で良かったと少しだけホッとしました。
そうしている間に、再度ドアがノックされます。青年がそれに応答すると、今度こそ夕食の準備ができていました。
「さぁさぁ、どうぞ召し上がれ」
宿屋の主人がワゴンから、今日の夕食を運びます。豆のスープ、パン、魔獣の肉の塩焼きに、雑多としたサラダと、物珍しいものは特にありません。
「わぁ……すごい、です……」
しかしそれらも、少女にとっては驚くべきものでした。青年がそれを受け取り、机に並べている間も、彼女は瞳を大きくしてそれらを眺めています。
「お腹が空いただろう。しっかり食べるんだよ」
「…………こ、この身も、いただけるのですか……?」
宿屋の主人が退出した後、少女は信じられない様子で何度も食事と青年を見比べます。少女からすれば当然の質問でした。しかし、青年はその様子を見て、少し悲しそうな顔をします。
「……俺と同じものは、食べたく無い、と?」
「そ‼︎ そんなことはありません‼︎ そういうつもりではなくて、ですね‼︎」
伸び放題の髪の毛をブンブン振りながら、少女は否定します。
「この身は、その、野菜の端や果物の皮がいただければそれで充分過ぎますので……い、いや、むしろその、お水だけでも本当に嬉しくて……‼︎」
「わ、わかった。わかったから、その動きをやめないかい」
ふわふわの髪の毛がぺちぺちと当たるので、青年はこそばゆさを感じます。
「寧ろ君はもっと肉をつけなくてはいけないからね。遠慮せずきちんと食事をしなければならないよ」
「え、えと、でも、それにしても、豪勢すぎます……」
少女の瞳はぐるぐると回っており、とても混乱しているようです。
「気にしないでほしい。君が今までどんなものをどう食べていたのかは知らないけども、これからはこうした食事をしてもらうよ。いいね?」
「わ、わかりました……ありがとう、ございます。ありがとうございます……」
再度ペコペコ頭を下げる少女。青年もひと安心し、自分用の椅子を引きました。
「では、失礼致します」
それと同時に、彼女は自分の皿を床に置き始めます。
「ちょっ、待ってくれ。何をしているんだい」
「え……? ご主人様が机で召し上がられるのならば、この身が床で食べるのは当たり前ではありませんか……?」
「ダメだよ、椅子に座って机で食べるんだ。上流階級の者たちに笑われてしまうよ」
「あ、あ……そ、そう、です、ね……?」
少女はどうやら机で食事をしたことがなかったようです。皿を机に戻しますが、今度は椅子に座ろうとしません。
「今度はどうしたんだい」
「あの……机は一つしかなくて……ご主人様と同じ席になってしまいますが……」
「……それは、やっぱり……俺と一緒なのは、嫌だということかい……?」
しゅん、と音がするように、青年が再び悲しそうな顔になります。
「ち、違います‼︎ そうではなくて、ああ、えっと……し、失礼致します‼︎」
ワタワタする少女は何度も頭を下げて椅子に座りました。青年も視線を泳がせた後、その向かい側の椅子に座ります。ガチガチに緊張している少女。どこか居心地が悪そうにしている青年。空気は最悪ですが、なんとか食事の準備は整いました。
「……いただきます」
「い、いただき、ます」
手を合わせる青年。少女も見よう見まねで倣います。こうしたマナーも知らないのでしょう。青年はそれらを教える必要性を感じます。
「冷めないうちに、食べよう」
青年がスープを掬うために、スプーンを手にしました。少女もまた同じようにスプーンに手を伸ばします。しかし、食器の扱いに慣れていないのか、持ち方が明らかに異なっていました。
「指が絡まっているよ。人差し指は、こう」
「こ、こう……」
「親指がずれたね。こうするんだ」
「こう、ですか……?」
力を入れ過ぎているのか、スプーンがガタガタ震えています。それで無理やり突き進もうとするので、スープの表面が波打ち際のように荒れました。
「大丈夫。緊張するのはわかるけど、怒ったりはしないから」
「は、はい、あの、はい……」
震え続けるそれを、少女はようやく口にします。ぱち。少女の瞳が大きく瞬き、動きが一瞬にして止まりました。
「……ど、どうしたんだい?」
青年はその様子に心配します。運ばれてきた際に毒のチェックは済ませていたものの、アレルギーの類でもあったのでしょうか。
「……お」
「お?」
少女はごくんと嚥下したのちに答えます。
「おいひ、です……‼︎」
ぱぁと顔を輝かせる少女。ただその味に痺れていただけのようでした。
「お、大袈裟、だよ。驚かせないでくれ……」
緊張が解けた青年は、ズルっと肩が落ちそうになりました。
「も、申し訳ありません。こ、こんなに美味しいものは、初めて食べたので……」
「そうかい。でも気に入ったのなら良かったよ」
椅子に座り直し、青年もまた食事を続けます。ぎこちない動作のまま、少女は美味しい美味しいとスプーンを進めます。
「これは、ふわふわしてて美味しいです」
「パンだよ。メロホスが入っているね。付け合わせにもよく出てくる野菜なんだ」
「成程……この粒々も美味しいです」
「豆だよ。ミルサ豆とズウだと思う。これもよくある食材だ」
青年は食べ方や素材を丁寧に教えていきました。少女はその美味しさに大きく頷きながら聞いていきますが……何故かその動きが次第に遅くなっていきます。
「お腹でも、いっぱいになったのかい」
そう言いかけて、青年は視線を上げました。その先にいた少女の瞳には、じわと涙が浮かんでいます。
「……大丈夫かい」
「だ、大丈夫です……申し訳ありません……い、嫌なことなんて、ないのに……何故か、その……」
どうしてか涙が出てしまって。少女はそう言って必死に指先で拭います。
「な、なんだか、夢を見ているようで……し、死んでしまうのではないかな、と思ったり、なんか、して……」
「……現実、だよ」
青年は自分の食事に視線を落とします。少女の気持ちがわからないわけではありません。名前も知らない男に買われ、緊張と不安があったのは誰の目にも明らかです。食事はもちろん、言葉や空気によって、少しずつ緊張の糸が解けたのでしょう。これまでの生い立ちを考えると、仕方がないとも言えます。
「申し訳ありません、折角のお食事なのに、変なことを……」
「いいよ。胃がびっくりしてもいけないし、ゆっくりお食べ」
青年もまた、食べるスピードを落としながらスプーンを進めます。
「美味しいかい」
「はい、とても……」
「しっかり噛むんだよ。お腹を壊してもいけないから」
「はい、ちゃんと……」
泣きべそをかく少女の食事が終わるまで、かなり長い時間がかかります。しかし青年は椅子から離れることなく、同じ卓に静かに残り続けていました。
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