第4話:宿屋

 奴隷魔法の引き継ぎは、思っていたよりも簡単でした。少女の所有権はあっという間に青年へと引き渡され、首から下げたペンダントトップが青年の瞳と同じ紫色へと変わります。


「奴隷魔法がすぐ切れるということは無いだろうね?」


 些細なことも気になるようで、青年は念入りに彼女の扱い方などを尋ねます。


「それはもう。頑丈に強くかけているから安心しなよ」

「ああそうそう。この魔法は避妊の効果も抜群だがね、色欲の肉は初物の方が値が張るもんだから、つまみ食いはお勧めしないよ」

「余計なお世話だよ」


 青年が睨むのもどこ吹く風、二人の主人はケタケタと笑います。しかしそれも長くは続きません。やがて肉屋の主人が少女の背中をズイと押して寄越します。


「ようし、これでこいつは正式に旅人さんの肉になった。何をどうしようが、旅人さんの自由だよ」

「よ、よろしく、お願い致します……」


 少女はおずおずと首を垂れ続けます。見る限り、彼女に荷物の類はありません。着用しているボロボロの布だけが唯一の持ち物のようでした。

 青年が少女を連れて肉屋を出る頃には、随分と風が強くなっていました。この先、外に出ることが難しい状況になる為、都に住む魔人達は忙しそうに食料などを積み込んでいます。


「うちの宿には食料も水も充分に揃っているからね。旅人さんは何の心配なく、肉の熟成に専念すればいい」

「それは頼もしい話だな」


 得意そうに鼻を鳴らす宿屋の主人に、青年はどこか疲れたように言葉を返します。

 ごうごうと風が吹く中、何とか三人は宿屋に辿り着く事ができました。髪も服もぐちゃぐちゃに乱れてしまいましたが、それらを整える暇もなくそそくさと部屋を案内されます。


「ここを曲がった先が、旅人さんの部屋だよ」


 鍵を受け取り、扉を開けた先には、何とも言えない質素な空間がありました。一番安い部屋だとはいえ、随分古く埃っぽく、クローゼットなどの最低限の備え付けもニスが剥がれてボロボロです。


「問題はないね?」

「ああ。壁と屋根があればどこでもいい」


 青年は特に拘りもなかったのか、特に文句を言うことなくそれを受け入れます。少女に至っては何が良いのか悪いのかもわからないようで、あちこちをキョロキョロと見渡していました。


「それでは夕食の準備に掛かろうか。旅人さん、ごゆっくりお過ごしを」


 宿屋の主人の手により、木製のドアが閉められました。狭い部屋に二人きり。気まずい雰囲気を感じますが、青年はひとまず、預けていた荷物の確認を始めます。


「宝石、よし……魔導書、よし……流石に盗まれはしなかったか……」

「あの、その、ご主人様……」

「なんだい」


 少女のか細い声に、青年は声だけで答えます。


「この身はご主人様を、どのようにお呼びすればよろしいでしょうか……」


 名前を教えて欲しい。そう意味する言葉に青年はふと手を止めました。


「……教える必要はないよ。俺は君を売る為だけに接することになる。だからお互いの素性は必要以上に知らない方がいいと思うんだ」

「あ、そ、そうで、す、ね……」


 少女は己の発言を恥じ、スカートの裾を握ったまま震えています。


「変な情を湧かせたくはないからね。その方が君もいいだろう?」

「そ、その通りです……浅はかで、その、申し訳ありません……」


 少女は怒られるのではないかとビクビクしながら壁の方に下がります。影の中に隠れてしまうと、そのまま消えてしまいそうな程に縮こまってしまいました。


「別に気にしていないし、してほしくもない。このままなんとでも呼ぶといいよ。そんなことより、風呂に入った方がいいだろう。色欲の肉になるのなら、まずは身綺麗にする必要があるからね」

「あ……も、申し訳ありません……この身はその、気づかなくて……」


 少女は顔を真っ赤にしながら頭を下げ続けます。恐らく、こうした反応や答えしか知らないようで、青年はどこか心苦しいものを感じました。


「それについても謝る必要はないよ。早く入ってくれたらそれでいい」

「あの……あの、あの、はい……」


 どこに向かえばと視線を左右に動かす中、青年はバスルームと書かれた浴室のドアを指さします。少女は小さな足取りでヨタヨタと向かい、出来るだけ音を出さないようにゆっくりとドアを閉めました。


「きつく言いすぎたかな……」


 奴隷の類を持った経験もなく、変な状況が加算され、青年もどう接したらいいのかわかりません。厳しくし過ぎれば、肉としての成長に良くありませんし、優しくし過ぎてもお互いの為にならないでしょう。


─俺の人付き合いの少なさも、裏目に出てしまったかな……─


 青年は思わず暗い思い出に嵌りそうになり、それをかき消すように少し大きく首を横へと振りました。


─……そういえばシャワーの音、聞こえないな……?─


 少女が浴室に入ってから幾分か時間が経っています。防音に関しても対策がされてなさそうなこの部屋で何の音も聞こえない事に、青年は疑問を抱きました。


「……失礼。何か不都合でもあったかい」


 念の為、青年はドアの向こうから声をかけてみました。


「あ、あの……あの……」


 少女は困ったような、しかし面倒をかけてもいけないと思っているのか、うまく説明ができないようでした。


「怒らないから、何があったのか教えて欲しい」

「……あ、あの……ここで、何を、どうすればいいのか、わからなくて……」


 少女は申し訳なさそうに伝えますが、青年にはその意味が理解できません。


「……シャワーがそこに無いのかい?」

「え、えと……このホースのことですかね……?」


 恐る恐ると言った返答に、青年はまさかと思います。了承を得てドアを開けてみたところ、少女は本当に何もわからないようで、申し訳なさそうに俯いていました。


「シャワーを使ったことがないのかい」

「も、申し訳ありません……いつもバケツで水をかけていただいていたので……」


 少女は情けなく思っているのか、目尻に涙を溜めています。青年はその返答に絶句しましたが、今はそれを深く考える事はやめました。


「……いいかい、このカランを捻るとお湯が出る。赤い方だ。こっちの青い方は水。どっちも使って、うまく調整すると、丁度いい温度のお湯がここから出る」

「か、かしこまりました。ちなみに、これはなんでしょうか」


 少女は洗面器などのセットの下に置かれている、白い物体を指さします。


「石鹸だよ。体の汚れを取るもので、水分を含ませたタオルで擦ると使えるんだ」


 青年は説明をしながら、少女の反応を確認します。その顔は作ったものとは到底思えず、本当にこうした設備を使うのは初めてのようでした。


「髪と体と、念入りに石鹸で泡をつけるんだ。それをしっかりすすぐこと。初めは泡が黒くなったり、上手く泡立たなかったりするだろう。でもそれがふわふわの真っ白になって来るから、そうなるまでは洗い流しを繰り返すんだよ」


「あ、あの、はい。かしこまりました」


 少女はペコペコと頭を下げながら、おもむろにシャワーのカランを捻ります。勢いよく出てきたお湯は、服ごと少女をべしゃべしゃに濡らしてしまいました。


「ふ、服は脱いで洗うんだよ。着替えも持っていないだろうに」

「え……あ、も、申し訳ありません……‼︎」


 少女は慌てていたのでしょう。今度は青年がいる前で、服を脱ごうとし始めます。


「まっ、俺が出るのを待ってくれ‼︎」

「え……あ‼︎ こ、これは、とんだ、無礼を……‼︎」


 顕になった肌を見る前に、青年は急いで浴室から脱出します。しっかりしようと努力していますが、抜けているというべきか、天然というべきか……そうしたところが少女にはあるようでした。


「なんだか、とても忙しない……」


 念の為ちゃんと使えているのか耳を澄ませてみましたが、あれこれ教えたこともあり、それ以降の問題はなさそうです。

 やれやれ。そういった様子で椅子に腰掛けると、ここで初めて、青年は腰に下げていた刀を外すことができました。


─俺にちゃんと、あの子を育てることができるのだろうか……─


 天井を見上げると、急に不安が込み上げます。色気とは無関係そうな少女。しかも常識が欠けており、上流階級の魔人に気に入られるには至極大変なことでしょう。


─やるしかないんだよな……時間だけはあるわけだし、幸か不幸か、そこまで難しい性格をしている訳でもなさそうだ……─


 シャワーの音は続きます。少女は青年の言いつけ通り、きちんと体を洗っているようでした。

 コンコン。そうしていると、部屋のドアをノックされる音が聞こえます。誰だいと尋ねて見れば、宿屋の主人の声が返ってきました。夕食の支度でもできたのだろうか。そう思った青年は、再度刀を携えてドアを開けました。

 軋みながら開いたその向こうでは、衣装屋ではないかと思うほどの衣服やアクセサリーを準備していた主人が立っています。


「……何の用だい?」

「見たところ、あの肉の着替えなどご準備されていないと思ってね」


 ニンマリと笑った口角に、青年は肩を落とします。


「そうだな、流石に女の子の服は持っていない」

「ならばどうぞいかがだろう。こちらには丁度、その手のものが揃っているよ」


 宿屋の主人は満面の笑みで、幾つかの衣服を広げます。


「こちらのドレスなんてどうだい。肌がよく出て人気の品さ」

「もう少し大人しめのはないのか。目の毒だ」

「ではこちら。透け感が魅力的な代物だ」

「だから、もう少し大人しめなものを出してくれよ」


 用意されたものは、どれもこれも肌が顕になるものばかり。結局青年は、一番シンプルな白のワンピースを購入することになりました。


「毎度あり。こちらもちゃんとツケで承るのでご心配なく」

「ありがとう。じゃあ、夕食ができるまで休ませてくれ」


 伝票に追記する宿屋の主人。青年はドアを閉めかけますが、それをちょいと、と止められます。


「まだ何か売りつけるのかい」

「下着や靴下、靴の類はお持ちだと?」


 まだまだ搾り取れる。そう思わせる宿屋の主人に、青年は口元を歪めます。


「……まとめて全部ツケといてくれ」

「毎度あり。そうそう、今ならこのスキンケアセットや、ヘアミルクなんかもオススメだよ」

「まとめて全部ツケといてくれ……」


 こうなれば、もうすっかり宿屋の主人の思惑通りと言わざるを得ません。青年が今日何度目かのため息をつくと、宿屋の主人は満足そうに戻りました。

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