第7話:魔動式タブレット

 翌朝早く、青年は瞼を開けました。万が一と思って刀を構えていましたが、流石に少女や宿屋の主人による襲撃はなかったようです。

 天候は昨晩よりも悪くなっています。風が唸り声を上げる中、青年は部屋の端に視線を向けました。


「ん、ぅ……」


 少女が何時寝落ちしたのはわかりません。しかし今は、随分と深く眠り続けており、青年が起きた様子にも気づいていないようです。スゥスゥと小さな寝息が聞こえる様が、青年にとっては物珍しく感じられます。一人で寝て、一人で起きて。そう繰り返すことが主だった日々の中、少女の存在は異質にも思えました。


─まだ日が昇って間もない。起こさない方がいいだろう─


 青年はできるだけ物音を立てないように身支度を整えます。荷物のチェック。刀の手入れ。軽いトレーニングと素振りをしていると、少女がもそりと身じろぎしました。


「おはよう。起きたかい」


 青年が汗を拭きながら声をかけました。ぽや、と焦点が定まらない目をして、少女は青年を見上げます。ここはどこだっけ。この方は誰だっけ。そう数秒考えた矢先、ばっと頭を下ろします。


「も、も、申し訳ありません‼︎ ご主人様より、遅く起きてしまいました‼︎」

「え、は? え?」


 青年が驚いている間も少女は許しを乞うように、何度も頭を床に打ち続けます。


「申し訳ありません‼︎ この身は、とんだ失態を……‼︎」


 あまりにも勢いよく打ち付けるものですから、床がガゴンガゴンと音を立てます。


「け、怪我をするからやめないか。傷物になってしまうよ」

「で、ですが、ですがこの身はご主人様の奴隷なのに……」


 ぐるぐると目を回す少女に、青年は小さく息をついて近づきます。


「怒ってないよ。それに、俺もそうしたことを望んでいるわけじゃない。君は形式上奴隷の身であるだけだから」

「それは、その、その通り、なのですが……」


 少女はもご、と言葉を濁します。


「一応、主人という肩書きがあるだけだよ。利便性から奴隷魔法を使っているだけだ。迷惑をかけないのであればして欲しい事もするべき事もないよ」

「そ、そう、ですね……この身は奴隷ではなく、肉ですものね……烏滸がましいことを口にしてしまい、申し訳ありません……」


 少女は認識の違いを恥じるように視線を落とすばかり。昨晩から感じてはいましたが、どうにも少女は素直で天然で、それでいて怖がりなところがあるようです。


「謝る必要もないよ。強いて何かを求めると言うのなら、健康で綺麗になってもらいたい事くらいかな。色欲の肉になるんだろう。上流階級の魔人に気に入られるように、今日から頑張らないといけないよ」

「は、はい。それは、その、勿論、です」


 何度もこくこくと頷く少女。寝癖がぴんぴんと跳ねていて、その手入れはやりがいがありそうです。


「朝食を食べたら、昨日言ったように髪を切ろう。それに他にも君を綺麗にする方法がないか調べないとね」

「はい、頑張ります‼︎」


 少女が両手で拳を作る中、ドアのノックが響きます。今日の朝食が宿屋の主人によって運ばれてきたようでした。



 朝食を終えた後、青年は少女の髪を切る為にあれこれと準備をし始めました。流石にケープまではありませんが、ハサミはちゃんと専用の物を持っています。


「ご主人様はすごいですね。なんでも出来てしまいます」

「節約のために自分で切っているだけだよ。誰かの髪を切るのは初めてだ」


 青年は少女の髪を触りながら、毛量などを確認します。枝毛や絡まりが沢山ありますが、基本的にふわふわと細い猫っ毛でした。


「じゃあ、はじめようか」

「は、はい。よろしくお願い致します」


 青年の持つハサミが、少女の髪の間を滑ります。しょき、しょき。リズム良くハサミが歌う度に、伸び放題な毛が落ちていきました。


「えと、どのように切っていただけるのでしょうか」

「短くしてもいいけれど、長い方が色々とアレンジが効くだろう。それに切ることはすぐにできても、伸ばすには時間がかかるからね」


 しょき、しょき。バランスを見ながら少しずつ進めていくと、少女は少しずつ目を細めていきました。


「……眠たいかい」


 青年が声をかけると、少女はハッとして目を開きました。


「も、申し訳ありません。なんだかとても心地よくて……」

「いいよ。ガチガチに緊張されるより、こっちの方が切りやすい。寝るなりなんなりして構わないよ」

「あ、ありがとうございます……」


 しかし今度は、青年の思惑に反して少し緊張してしまいます。


「言われたら逆に緊張してしまうよね」


 その様子を見て、青年は思わず笑みを零しました。


「うう……どうにも不器用で、申し訳ありません……」


 ペコペコ頭を下げそうになるので、青年は慌ててその動きを止めました。

 さて、時間こそかかりましたが、少女の髪はそれなりのバランスになりました。前から見たり、後ろから見たり。色々な角度を確認して、青年は頷きます。


「はい、鏡。どうだい」

「わぁ……‼︎ とても、綺麗です‼︎」


 少女は自らの姿を見て、何度も目を瞬かせます。後ろの髪だけでなく、前髪やサイドも整えたので、今までのような鬱蒼とした感じは無くなりました。


「仕上げにこれもしておこう」

「きぅ……いい香りです」


 宿屋の主人から購入したヘアミルクを揉み込めば、ふんわりと清潔感のある甘い香りが漂いました。順調そのもの。しかしそこから青年の手は止まってしまい、んーと小さく悩みます。


「あとは髪型だけど……これに関してはよくわからないんだよね」

「下ろしているままでも素敵だと思いますが、やはり結ぶなり巻くなりした方が良いのでしょうか」

「上流階級は流行に敏感だからね。とりあえず色々試してみよう」


 ツインテール、サイドアップ。ポニーテールとやってみますが、なかなかに決めきれません。メイクの類もしておいた方がいいでしょう。しかしこれに関しても、青年には何をどうすべきなのか、よくわかりません。


「お困りのようだね、旅人さん」

「ひゃ⁉︎」

「うわ、びっくりした」


 そんな中、ぬっと現れたのは宿屋の主人でした。手を揉み込みながら笑みを浮かべる際は、また何かよからぬことを考えているようです。


「一応ノックはしたんだがね。まぁそれはさておき、お困りの様子の旅人さんに良い道具の紹介があるんだが」

「先に言っておくが要らないよ」


 また押し売りをされるのだろうと、青年は警戒を隠せません。


「まぁまぁ、話を聞くだけでも。伺えば旅人さん、情報収集に困っているそうじゃあありませんか」


 宿屋の主人は青年の機嫌など気にすることなく、マイペースに話を続けます。


「色欲の肉になるには、如何に上流階級に気にいられるが肝だからね。素材の良さも大事だが情報戦も必須と言えるだろう」

「一理あるが買わないよ。雑誌や本の類は、買っても買ってもキリがない」


 青年は渋い顔をしたままですが、宿屋の主人の表情も変わりません。


「紙で読む楽しみもあるものだが……まぁ、それは人それぞれか。旅人さんならできるだけ身軽に、そしてできるだけ長い間使える方がいいだろう」


 そんな貴方にオススメなのが、と宿屋の主人は小さなスケッチブックほどの板を出しました。


「こちらの商品さ」

「うわ、出た。魔動式タブレット」

「魔動式、たぶれっと……?」


 少女は聞き慣れない言葉を繰り返します。


「簡単に言えば魔力で動く多機能な道具なんだけど、これがまた随分と高価なんだ。一般的な魔人だと給料の数ヵ月分は吹き飛ぶと言われているし、そう簡単には持てないものだよ」

「さすが旅人さん、よくご存知で」


 宿屋の主人はそれでも怯む様子はなく、うんうんと頷くばかりです。


「あれだけ噂になっている物だからね。わかったらもう出ていってくれないかい。こっちは何かと忙しいんだ。押し売りに付き合ってる暇は無いんだよ」

「この肉を着飾ったり、あれこれ教える必要があるからだろう? でもそれだって、このタブレットがあれば楽々簡単に乗り越えられる。動画やスライドで凡ゆる情報を得られるし、教養学習のアプリも導入されているからね。マップ機能に情報収集の機能にも長けているから、この都から出た後も長く使えるよ」


 プレゼンに慣れているのでしょう。宿屋の主人は画面をタップやスライドをして如何に便利で素敵な道具かを示します。


「いらないよ。それなら本を買って、読み終えたら燃料にした方がいい」

「こちらは写真も撮れるし、文字を書くこともできるけどね。読み書きの練習も捗るし、日記なんかも残せるとは思わないかい?」

「生憎、日記をつける習慣はないよ。写真も特に興味がない」


 青年がいらないと言えば、宿屋の主人がすかさず利点を述べていきます。少女はその問答を聞きながら何度も二人の顔を見比べていましたが、だんだん興味が湧いてきたのでしょう。じ、とタブレットを見つめるようになりました。


「今なら割引サービスがあるよ」

「必要ない」

「カバーやペン、フィルムもセットにしようか」

「だから必要ないと言っている」

「強情だね、旅人さん。なら、いっそメイク道具一式もつけようじゃないか」

「だから、いらないと言ってい……ん、メイク道具は必要か……」


 青年と宿屋の主人は受け答えを繰り返していましたが、ある程度の攻防を重ねていくと、次第に少女の様子が変わって来たことに気づきます。キラキラした瞳で動画を見つめる少女。彼女は魔動式タブレットに夢中で、会話が止まった事に気づきません。


「わ……すごい……動いて……わ……音……わ……ふわぁ……」

「「………………」」


 宿屋の主人は、青年から勢いが消えたことを察します。


「北風と太陽とはなかなかに的を得ていると思わないかい。旅人さん」

「……今だに俺は、君たちがグルなんじゃないかと考えてしまうよ」


 青年は頭痛がするかのように額に手を当てました。


「レンタル、という手も有るよ」

「それでもおまけは全部つけるんだろうな」

「それは勿論、ぬかりなく」


 宿屋の主人はエプロンのポケットからスチャ、と伝票を取り出しました。


「ここに切りたての髪もある。パスタにできるんだろう。その分も割引してくれ」


 ボソ、と青年が呟くと、宿屋の主人は満面の笑みで頷きます。


「またもや良い買い物をしたね、旅人さん」

「レンタルで終わりだからな。あの子を売るまでの借り物だ」


 伝票の数字がまた変わり、青年は深くため息をつきます。もうこれ以上無駄な買い物はするまい。青年はそう強く思いました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る