第4話 魅惑のスープカレー事件(後編)
「なぁ、これ……薄くね?」
全員揃ってテーブルに座るやいなや、
「まぁ、スープカレーってあるじゃん? そんな感じっしょ……」
「いや、これニンジン結構固いぞ」
羽村が試しにスプーンでニンジンを突きながらとどめを刺した。
もうみんなわかっていた。これは――失敗カレーだ!
分量はレシピ通りだから間違っていないはず。考えられるのは火力だ。
カレーのレシピは煮込んで水分が蒸発することを見越して分量が決められている。結果的に煮込みが足りずに野菜が少し生煮えで、ルーはシャバシャバなのだ。
「いや、味は少し薄いけどちゃんとカレーだし、全然イケるって!」
最初に食べ始めた大沢がそういって場を和ませる。こういう前向きさは俺も見習わないとな。
「確かに! てか野菜小さめに切ってくれたから良かったよ。食べられるのもちゃんと入ってる!」
そんな中、俺は自分で切った野菜ということもあり全部食べていた。本当はそんなに野菜が好きではないのだが、ここばかりは意地というものを張りたくなったのだ。
ふと
それでも高校生の胃袋にはカレー一杯では足りず、スープカレーは少しの生煮え野菜を残して完食となった。ごちそうさまでした。
*
食事が終わり、それぞれの班が食器や調理器具を片付け始めていた。洗い場のスペースが限られているので、うちはじゃんけんで負けた二人が洗い物をし、他四人はその他雑用(実質フリータイム)ということで話がまとまった。
じゃんけんの結果、俺と天ヶ瀬さんが栄誉ある洗い物係に就任した。
天ヶ瀬さんと洗い場へと向かう途中、隣の班だった和田さんと一緒になった。
「あ、北浦君たちも洗い物?」
「うん、じゃんけんで負けちゃって」
「そっか、じゃあ私達お互い負け組だ」
「うちの班は栄誉ある洗い物係って呼んでたよ」
「すごくポジティブ。なんかそっちの班らしいね」
「そうかも」
こうして他愛もない会話をしながら洗い場に向かい、じゃあねと言って和田さんは自分の班のシンクへと向かっていった。なんだか和田さん相手だと自然なペースで話せるな。ちょっとした会話に心地良さを覚える。
「北浦君って和田さんと仲良いんだね!
食器を流しに置きながら天ヶ瀬さんが興味津々に聞いてくる。
「そうだね。お互いミスチャが好きで盛り上がってから話すようになったかな」
ミスチャとは俺が好きなアーティスト、Mr.Childのことだ。
「え、北浦君ミスチャ好きなんだ? 私もHIBANAとか好きでよく聴いてた!」
「HIBANA良いよね! 俺も新しい方だったらかなり好きかも」
俺はスポンジに洗剤を垂らしながら答える。
「え、HIBANAって新しいの? 結構小さい頃の曲じゃない?」
天ヶ瀬さんが少しかがんで奥の方にある蛇口に手をかけながら俺の方を覗き込んで尋ねてくる。
「そうだね……」
せっかく俺の好きなミスチャの話題を天ヶ瀬さんと出来ているにもかかわらず、そんな返事しかできなかった。だって――
天ヶ瀬さんがかがんだことで出来てしまったそのTシャツの襟の隙間から、普段は決して望むことのできない光景がその奥に広がっている。淡い水色の上に浮かぶ綿雲のようなレース。まるで晴れた日の空を閉じ込めたかのようなそれに包まれる二つの小高い丘。
――っと危ない。これ以上見ているとさすがに気付かれる。そう思った俺はとっさに顔を上げたが、今度は天ヶ瀬さんとバッチリ目が合ってしまう。
「……どうしたの? ……急に見つめられるとその……ちょっと恥ずかしい」
時間にすればわずか二、三秒だったかもしれない。互いに見つめ合う格好となり、二人の間にくすぐったいような、でも確かに熱を帯びたような、そんな空気が流れる。
「ご、ごめんっ!! えっと……」
俺は必死に言い訳を探すが、言葉に詰まる。
「あ、あれだよね。目を見て話そうとしてくれたんだよね! ……ごめん、私の方が照れちゃって」
天ヶ瀬さんの耳がわずかに赤みを帯びる。その表情は、クラスのアイドル天ヶ瀬
「こっちこそごめん! ……でも天ヶ瀬さん、バスの時は全然平気そうだったから、ちょっと驚いたというか……」
「だってさすがに今のは不意打ちすぎるもん……それにバスの時はもっと離れてたから…………もう、この話はおしまい!! 早くお皿洗っちゃおっ!」
そう言って天ヶ瀬さんは蛇口を捻り、やっぱり水ちょっと冷たいねと言いながら洗い物を始めた。俺も水に手を当てて昂った気持ちを落ち着ける。
「嫌だったわけじゃないから心配しないでね。むしろ頑張って話してくれてちょっと嬉しかったよ」
少しの無言の時間を経て、皿を洗いながら天ヶ瀬さんが再び口を開く。
「でも、あまり見つめすぎるのはだめだよ? 勘違いさせちゃうかもしれないからね」
「え、勘違い?」
「うん。人によっては目を合わせるのは敵対心だと捉えちゃう人もいるから、実際には目と目の間を見るくらいがちょうどいいんだって!」
(そっか、勘違いってそういう意味か。そうだよな……)
「でも、私はちょっとドキッとしたけどね」
あぁ、ここは富士見ローランドだったのか。俺の感情はまさにジェットコースターのように振り回されたのであった。
*
遠足を終えた俺たちは再びバスで学校へと戻った。八台の大型バスが学校裏の大通りに停まり、その場で流れ解散となる。
天ヶ瀬さんは同じ
最寄り駅についた俺は、古びた駅舎の狭い地下通路をくぐり改札へ向かう。途中、壁のいたるところに観光者向けのポスターが貼ってあり、ここも東京だというのに「都心から一時間の観光地」という触れ込みでPRしているのがこの街だ。
(それにしても今日は本当に充実してたな……)
あまりかかわることのないと思ってた人たちと一日過ごしてみて、案外楽しめていた自分。友達と呼べるレベルなのかと言われたらまだ疑問符が浮かぶが、少なくとも入学したての頃と比べれば、お互いの距離は間違いなく近づいているはずだ。そして俺はその実感からある種の達成感のようなものに満たされた。
これで俺も、理想に掲げた「普通の青春」に少しは近づけたのだろうか。
そんなことを考えながら商店街を抜け、家へと向かう下り坂の手前の交差点で信号待ちをする。ポケットからスマホを取り出し画面を点けると1件の通知が届いていた。
《LiMO 3件の新着メッセージ:りよ》
俺は慌てて通知をタップして
《天ヶ瀬です。今日はおつかれさま! 突然ごめんね!》
《連絡先聞きそびれちゃったから、
《良かったら友達追加してください!》
天ヶ瀬さん!? こんなの「友だちに追加する」以外に選択肢無いだろ!
俺は思わずほころぶ、もといにやける顔を正すこともせず、喜びを思いっきり嚙み締めた。
(千夏って柚木さんか。天ヶ瀬さんわざわざ連絡先聞いてメッセージくれたんだ……)
連絡先を知れたこと。メッセージが来たこと。それだけでも凄いことなのに、天ヶ瀬さん自ら友達に俺の連絡先を聞いてくれたことが驚きだったし、何よりも嬉しかった。
俺は早速「友だち」になった天ヶ瀬さんにメッセージを返す。
〈メッセージありがとう! 柚木さんから聞いてくれたんだね〉
〈他の人たちとは今日連絡先交換できたけど、天ヶ瀬さんとはできなかったから連絡もらえてよかった〉
〈これからよろしくお願いします!〉
送信する前はもっとフランクな文章も考えたりしたけど、やっぱり無難にしようと思った結果、客観的に見ると堅めの文章になってしまったことに後で気づいた。
それも仕方ない。嬉しさのあまり感情ダダ漏れの文章で気持ち悪がられるのも嫌だし、私のこと好きなのかなって思われるのもそれはそれで恥ずかしくて無理だ。
すると早速天ヶ瀬さんから返信が届く。
《ありがとー!! 本当は遠足中に聞こうと思ってたんだけどなかなかタイミング無くて……》
《でも今日は結構話せたし、ちゃんと交換しておきたかったなって……それで思い切って連絡しちゃった!》
メッセージとともに「ごめんねっ」というテキストが添えられたライトな感じのキャラクタースタンプが送られてくる。
〈ううん、俺も連絡先聞こうと思ってたからメッセージくれて嬉しかったよ〉
〈俺も今日は天ヶ瀬さんと話せて楽しかった!〉
俺はなんとか気持ちが前のめりになりすぎないように、それでも最低限の喜びが伝わるように、そう願ってメッセージを返す。
《良かったー!! これからもっともっと色々話そうね!》
《そういえば今日のカレー、確かにニンジン固かったよね(笑)》
《北浦くんは大丈夫? お腹痛くなったりしてない?》
ありがとう、スープカレー。
ありがとう、生煮えの野菜たち。
俺の頭には青空をバックにスープカレーとともに天ヶ瀬さんが小首を傾げながらこちらを上目遣い気味に覗き込んでくる映像が自動生成されている。
天ヶ瀬さんが俺を心配してくれたメッセージ。
彼女の健気で他人思いな性格が伝わってくるとともに、気になる人から気にしてもらえるという事実に代え難い喜びを覚えていた。
死因:尊すぎて無理で死。
これが俺の中で末代まで語り継がれることになる魅惑のスープカレー事件の全容である。
―――――――――――――――――――――――
(作者からのお礼とひとこと)
いつもご愛読頂き誠にありがとうございます。
次回は「カラオケ回」です!
果たしてみんなはどんな曲を歌うのか……
お気軽にご評価、レビュー、ご感想など頂ければ嬉しい限りです!
(ちょっとした一言だけの感想も大歓迎です!)
それでは引き続きどうぞお楽しみください!
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