第3話 魅惑のスープカレー事件(前編)

 「それにしてもいきなりだよねー。しかも山梨」


 クラスのちょいギャルである柚木ゆぎさんがバスの窓から外を見つめてそう呟く。彼女の視線の先には新緑の山々が連なる。

 「だよなー、こんなにすぐに遠足とか」

 羽村はむらもどこか気怠そうにそう返した。

 

 そう、俺たちは今まさに学校の遠足で山梨に向かっている最中なのだ。


 「え、めっちゃ楽しみじゃね? みんなでアウトドアとかちょっとテンション上がる」

 「えー、せっかく行くならアタシは富士見ローランドで絶叫乗りたかったぁ」

 同じくチーム陽キャの大沢、そして柚木さんよりもギャル味マシマシな南野みなみのさんがそれに続く。


 四月下旬というクラスの人間関係がまだ固まり切っていないこのタイミングでの遠足。きっとこれから来たる各イベントに向けてクラスの団結を強めるファーストステップという位置づけ、もしくはまだ友達作りに難航している人に向けた救済ポイントなのかもしれない。

 そして俺は今、何故かこの陽オーラを纏うメンバーの中に混ざっている。


*


 約一週間前。ホームルームでのことだった。


 新井先生から遠足についての説明があり、その後班決めタイムに突入した。決め方のルールは「基本は一班六人組で男女ともに必ず二人以上いること」「二つの班は七人組でOK(うちは38人クラスのため)」「班決めは自分たちでやること」の三つだった。


 開始の合図とともに教室が一気に騒がしくなる。俺は椚田くぬぎだ、矢川あたりと組もうかと頭の中で考えていると、羽村が「北浦ー! うちの班来いよー」と少し遠くのほうから声をかけてきた。意外過ぎて驚いた。椚田も同じことを考えていたようで、視線を向けると(こっちは気にするな! 行って来いよー!)と言っていた。たぶん。


 こうして出来上がった班は、女子が天ヶ瀬あまがせ、柚木、南野。男子が羽村、大沢、そして俺の六人だった。なんかキラキラ、むしろギラギラしすぎているメンバーに俺は期待よりも不安が勝っていた。

 

 そんな流れで、俺は今こうして陽キャ軍団と同じ班になり、しかもバス最後部というカースト上位でしか味わえないであろう席にいる。初めて知ったのだが最後部の一つ前の座席は横向きに回転できるらしく、まるでバラエティ番組のロケバスのような「コの字型」の席配置になっている。いや、さすがに目立つから先生止めてくれよ。


*

 

 「てかうらっちさ、話すとき人の目あんまり見ないよね」

 南野さんが前振りなしにそんな話題を出してきた。


 「なに、うらっちシャイ系?」

 羽村が煽ってくる。てかいつの間に俺の名前『うらっち』になったんだ。


 「そうかな? 俺はあんまり意識してなかったんだけど……」

 俺がそう答えると向かい側の横向き席に座る天ヶ瀬さんが「北浦君!」と声をかけて来たのでそちらを向いて「ん、なに?」と返すと


 「やっぱり! 今私と目が合ってないよ!」

 と言いながら微笑んだ。


 「やっぱりうらっちシャイじゃん。ウケる! でもちゃんと目見て話さなきゃダメっしょ」

 そう言って南野さんは隣の天ヶ瀬さんに耳打ちした後、みんなに向かって少し高めのトーンでこう続けた。


 「はーい、今からうらっちのシャイ克服トレーニングしまーす! うらっち、璃世りよと十秒間見つめ合って!」


 「えっ!? ちょっ」

 「よーい、スタート!」


 そうして準備もままならぬうちに「天ヶ瀬さんと十秒間見つめ合うトレーニング」が強制スタートした。

 いくら通路を隔てているといっても女子と面と向かって、しかもクラスの最強アイドルと十秒間見つめ合うなんて心臓に悪すぎる。


 「はい、ちゃんと目を見てー、あと五秒」

 一方で天ヶ瀬さんはしっかりとこちらの目を見ている。しかも照れた様子はなく、むしろ少し微笑んでいる。いや、だんだんその微笑みが蠱惑こわく的になってきている気がする。

 (ヤバい、顔めっちゃ熱い。こんなの慣れる前に俺が倒れる)


 「はいっ! 終了!」

 その合図と同時に天ヶ瀬さんの表情が優しい笑顔に変わる。俺はようやく解放された精神をクールダウンしていると天ヶ瀬さんが再びにやりとした表情で

 「北浦君、ずっと緊張してたね。これはまたトレーニングしなきゃだね?」

 と言ってきたので、俺の心はそのまま空へと召されていった。

  

 ちなみに俺が最強アイドル璃世様に天に送りだされている間、椚田と矢川は「トンネルを抜けるまで息止めるゲーム」に興じていたらしい。

 休憩のサービスエリアでそれを聞いた俺は、別の意味で酸欠になりかけていた頭に思いっきり酸素を送り込むべく深呼吸をしていた。

 うん、山梨の空気はうまいな。


*


 今日の遠足は富士山の麓にある氷穴ひょうけつを見学した後、近くのキャンプ場で飯盒炊爨はんごうすいさんをするという内容だった。氷穴というのは夏でもかなり涼しく、一年中氷が溶けないという洞窟らしい。

 俺たちを乗せた貸し切りバスは高速のインターを降りるとひたすら一本道を走り、しばらくすると氷穴と書かれた看板のある交差点を左に曲がった。それからほどなくしてバスは駐車場に到着し、先生の指示とともに下車した。


 外に出て改めて気づいたが、うちの班のメンバーは皆私服がオシャレだった。

 羽村は半袖のエキゾチックっぽい謎の柄シャツというリゾート風スタイル。大沢は白Tシャツの上になんかポケットの多いベストを羽織っており、下はカーキのこれまたポケットの多いパンツというアウトドア感満載のファッションだ。


 南野さんは丈が短くお腹が見えるような名称不明のトップスにダメージの入ったジーンズ。柚木さんは某配管工が着ているオーバーオールの柔らか素材バージョンみたいなやつ(サロペットっていうらしい)。天ヶ瀬さんは白Tシャツをノーダメージの正統派ジーンズにインして、上から薄手のシャツを羽織っている。


 一方の俺はといえば、プリントTシャツにベージュのチノパンという、ザ・マザーズセレクション、要は母親がアオンとかイヨートーカドーで買ってきたやつだ。俺も自分で買った服がないわけではないが、今日はアウトドア系の活動であることを考慮して二軍の中の主力選手をチョイスした。しかしいざ来てみるとその戦力差に圧倒された。むしろ俺の一軍でも彼らのチームではベンチ入りすらできないだろう。今更だけどめちゃくちゃ恥ずかしくなってきたな。

 帰ったらファッション雑誌でも読んでみるかと静かなる誓いを立てて氷穴へと進んでいくのであった。


*


 「地上に帰ってきたぞー!」


 探検家にでもなったのか、ひたすら先頭を歩いていた大沢は数分ぶりに見上げた青空に向かい声を上げた。

 「めっちゃ疲れたんだけど。こんなに階段あるとか聞いてないし」

 南野さんは予想以上にハードな冒険に文句を垂れている。


 氷穴は思っていたより距離は短かったが、最深部には長い時間をかけて形成された氷の柱や壁のようなものがライトアップされておりとても幻想的だった。また途中には、落ちたら二度と戻れないと言われる「地獄穴」というスポットもあった。どこまで続いているのかはいまだ判明していないらしく、伝説によると神奈川の海岸まで繋がっているんだとか。

 氷のライトアップは確かに綺麗だったが、途中、急な階段や中腰でしか歩けないような狭い場所があり、どちらかといえば男心をくすぐるような場所であったことは間違いなさそうだ。興奮気味で探検を終えた男子勢に対し、女子勢はスマホのカメラではえさせきれなかったその写真を見返しながら疲労感に包まれているようだった。


 俺たちは再びバスに乗り込むと、湖畔のバーベキュー場へと舞台を移した。


*


 『えー、皆さん氷穴の見学お疲れさまでした。ここからは皆さんで昼食を作ってもらいます』

 学年主任の先生が拡声器でこれからの流れについて伝達し始める。ここでは各班自分たちでカレーライスを作ることになっている。しかもライスの方は飯盒を使って炊くから難易度が高そうだ。


 『では早速始めてください。包丁や火を扱うので、くれぐれもふざけないように。』

 開始の合図とともに、俺たちの班も早速役割分担をして作業に取り掛かる。

 羽村と大沢は彼らたっての希望で火起こし係。天ヶ瀬さんは米研ぎ係。そして残る柚木さん、南野さん、そして俺の三人は野菜と肉の下ごしらえ係になった。


 「ねぇ、うらっちさぁ。玉ねぎってどこまでむけばいいの?」

 食事用のテーブルにまな板と食材を並べながら、南野さんが玉ねぎを手に取り聞いてきた。

 「それならウチわかるよー! 玉ねぎやろっか?」

 俺が口を開くより先に柚木さんがそう答えた。俺も玉ねぎはあまり扱ったことがないから助かった。

 「お、マジで? んじゃ玉ねぎ大臣ヨロ!」

 「りょ!」

 こうして玉ねぎは柚木さん、にんじん、じゃがいもは南野さんと俺。そして肉は早く終わった人が適当に、ということで下ごしらえが始まった。



 「ねぇ、うらっちはさぁ、なんでうちの学校受けたの?」

 ふと隣にいる南野さんが猫の手でにんじんを一口大にカットしながら尋ねてきた。

 「あ、ウチもそれ気になる! 確か神奈川の中学から来たんだよね?」

 対面の柚木さんもそれに乗っかる。


 「俺さ、親の実家が山梅やまめ市にあるんだけど、一昨年におじいちゃんが亡くなって。それでおばあちゃんと一緒に住むために引っ越したんだよね」

 「へー、そうだったんだ。でもなんで明神みょうじん? もっといいとこ行けたんじゃない? ひがしとか国高くにこうとか」

 東とは東高校のことで、地域ナンバーワンで国立大への進学率が高い。国高は国分こくぶん高校。「こくぶん」高校なのにみんな「くにこう」と略していて初めは分からなかった。ここは少し都心寄りにある、明神よりも少し上の進学校だ。


 「県外からの受験だったから、東とか国高は自校作成の入試問題が不安で。あと、私立はちょっとって感じだったから着実に選んだかな」

 「すごっ、やっぱ頭いいんだ!」

 柚木さんがおそらく純粋にそう褒めてくれる。

 「いや、そうでもないよ。それに学力の面もあるけど、どちらかといえば校風が自由そうだったし、駅チカで遊べそうだし、普通科で制服だったから選んだってのも大きいかも」

 「マジで? てか制服の方が良いの? 私服の方が良くない?」

 まぁアタシは近いからここにしたけど、と南野さんがそう付け加えて話す。確かに都立高校の一部は制服がなかったり、制服と私服どちらもOKの学校がある。


 「なんか私服OKのとこって『高校』って感じがしなさそうで。制服の方が青春って感じじゃない?」

 「ウケる。なんかうらっちって結構普通なんだね。もっとカタい感じだったり、信念みたいなのが強いのかと思ってた」

 普通という言葉。俺のモットーであり憧れであるその単語に、嬉しさを感じる反面、どこか特別ではないことへの寂しさを覚えた。しかしこれもきっと慣れの問題だろう。それに南野さんのようなトップカーストの言う普通であれば、それはきっと俺の描く理想に近いのかもしれない。


 「そっか、じゃあこれからウチらでいっぱい青春しよ!」


 そう柚木さんに言われて、やはり俺の考えは間違っていないのだと思い直した。そうだ、俺は「普通の青春」を手に入れるのだ。


*


 食材の下ごしらえを終えた俺たちは、一旦手を洗いに水場にやってきた。

 いくつかの蛇口が連なる広めのシンクの端っこでは天ヶ瀬さんが一所懸命に米を研いでいる。


 「璃世おつー!」

 天ヶ瀬さんが視界に入るのと同時に南野さんが声をかける。

 「あ、おつかれー! そっちはもう切り終わったの?」

 米を研ぎながら天ヶ瀬さんがこちらに顔を向けて尋ねる。

 「うん、人数いるからめちゃスムーズ! 璃世は?」

 「こっちももう少しで終わりそうかな。最初に他の班とお米を測って分けたりるのに少し時間かかっちゃって」

 「そうだったんだ、璃世おつかれだよー」 

 柚木さんがゆるーい感じでねぎらいの言葉をかけ、俺たちは手を洗った。


 「冷たっ!」

 俺は思わず声を上げた。最初に手を洗いに来た時もまったく同じリアクションをしてしまったが、普段地元で慣れている温度よりも格段に低く、改めてここが大自然の中であることを実感する。


 「え、璃世こんな冷たい水でずっと米研いでたの? ごめん、全然手伝えなくて」

 南野さんが天ヶ瀬さんに駆け寄りながら謝る。そっか、天ヶ瀬さんはこの冷たい水でずっと一人で米研ぎしてたんだ。

 「ううん、ありがとう! 私も最初はびっくりしたけど、慣れてくると案外気持ちいいよ」

 「天ヶ瀬さんありがとう。俺がこっちやれば良かったね」

 少し深刻になりすぎたかなと思うが、本心だった。それくらいこの水は冷たい。


 「そんなことないよ。だって北浦君も野菜切ってくれたんでしょ? それだってピーラーとか包丁使うから危ないんだよ? だから私からも、ありがとね!」


 あぁ、本当にこの人はどこまで天使なんだ。璃世様、一生推します!!


*


 「そういえばさ、俺うらっちの連絡先知らないわ」


 下ごしらえを終えた食材を鍋で軽く炒めて茹でている最中、ふと羽村が話しかけてきた。

 「あ、アタシも知らないや。教えてー」「あ、ウチもー」

 ちょうどその場にいた南野さんと柚木さんもスマホを片手にこちらに向かってきた。


 「ごめん、同じ班になったとき聞いとけばよかったね」

 そう言って俺はポケットからスマホを取り出し、LiMOライモを開いた。途中、トイレから戻ってきた大沢も混ざり、お互いのIDを交換した。


 (なんかこのメンバーとLiMO繋がってるの、よく考えるとすごいな)

 俺は安直な優越感に浸り、そんなことを考えていた。


 (あとは天ヶ瀬さんと交換できれば……)


 天ヶ瀬さんが調理器具の片付けから戻ってきたのは俺たちが一通り連絡先を交換し終わった後だった。


 天ヶ瀬さんの連絡先を知りたい。

 でも自分から女子に連絡先を聞くなんてハードルが高すぎる。しかも相手はあのクラスのアイドルだ。きっと彼女なら嫌と言わずに交換してくれるかもしれないが、本心では迷惑に思うかもしれない。


 『はい、それでは各班そろそろ食事の準備に移ってください』


 モヤモヤと考えているうちに先生が準備終了の合図を告げる。

 結局天ヶ瀬さんに連絡先を聞けなかった俺を尻目に、チーム陽キャ特製カレーがテーブルに並べられていくのだった。

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