第10話「涙を拭って立ち上がる」フォンジー視点



確かに弟が元婚約者のエミリー嬢にしたことは酷いし、許されることではない。


他家から、ザロモン侯爵家の教育方針が疑われるのは当然だ。


デミーとは幼馴染で、大恋愛ではなかったが、信頼関係を築けたと思っていた。


「デミー」「フォン」と愛称で呼び合う仲だった。


領地で水害が起きなかったら、私とデミーは昨年結婚式を挙げる予定だった。


領地に付いてきてほしかったが、デミーに断られてしまった。


離れていても思いは通じ合っていると思っていたのに……。


「デミー……!」


私の頬に涙が伝っていく。


学園を卒業してすぐにデミーと結婚していれば……とも思ったが、結局リックがやらかしたら、デミーに離婚されただろう。


離婚が婚約破棄になっただけだ。


むしろ、デミーの戸籍に傷が付かなくてよかったかもしれない。


そう思っても、涙は止まらなかった。




◇◇◇◇◇




私は床に膝をついたまま、一時間ほど泣いた。


家令は何も言わず、私が泣き止むまでずっと待っていてくれた。


私には守らなければならないものがある。


王都にいる家族、私を頼ってくれる使用人、無力で善良な民。


彼らのために、私はいつまでも泣いているわけにはいかなかった。


私は涙を拭い立ち上がった。


ザロモン侯爵家の後継ぎとしてやるべきことが、山ほどある。


それは部屋に籠もってめそめそと泣くことでも、後悔に打ちひしがれて縮こまっていることでもない。


私は家令に父からの手紙を見せた。


手紙を読んだ家令は絶句していた。


「案ずるな、君たちを路頭に迷わせたりはしない。私は急ぎ王都に戻る、領地の復興作業の指揮は君に任せるが頼めるか?」


家令は私の言葉に我に返った。


「お任せください」


家令は胸を張って答えた。


彼なら信頼し任せても良いだろう。


「頼んだぞ」


私は適当に着替えを鞄に詰め、馬車を飛ばし王都に帰った。




◇◇◇◇◇




王都の屋敷は葬式のように重い空気が立ち込めていた。


魔術師団長の職を辞してから精神を病んで寝込んでいるという父。


最愛の息子が荒野に捨てられ、部屋から一歩も出ず泣いて暮らしてる母。


期待をかけて育てた孫を失い、抜け殻のようになった祖父。


これからどうなるのかわからず、おろおろしている使用人たち。


まずは使用人を落ち着かせよう。


私は使用人を集め、これからのことを伝えた。


できる限り今まで通りにしたいが、王都で爪弾きにされている現状ではそれは難しいだろう。


だから使用人の数を半分に減らさなくてはいけない。


使用人にそのことを伝え、志願者には僅かだが退職金も出すし、他家に仕えることができるように紹介状も書くと伝えた。


そして使用人達に考える時間を与えた。


大半の使用人が当家を去るかもしれない。それは仕方のないことだ。


誰だって悪評の立つ、崩壊寸前の家に仕えたくはない。


次は両親と祖父の健康状態の回復だ。


父たちを医者に見せる必要があるので、使用人の一人に医者を呼びに行かせた。


その間に迷惑をかけた各家にお詫びの手紙を書き、訪問の許可を取った。


そうしている間に使用人が医者を連れてきた。


医者の見立てでは、両親も祖父も精神的な疲労が大きいらしい。


とりあえず彼らに消化の良いものを食べさせ、心が安らぐお香を焚き、部屋に花を飾り、様子を見ることにした。


私はその日は夜更けまで、取引先などへの謝罪の手紙を書いた。


そしてその後、風呂に入り仮眠を取った。


仮眠を取ったあと、溜まっていた書類に仕事に目を通した。


父も祖父も寝込んでいたので、やらなくてはいけない仕事が山積みになっていた。


しばらくは睡眠時間を削って仕事に追われることになりそうだ。






翌日、礼服に着替え、昨日先触れを送った各家に謝罪に向かった。


まず初めに訪れたのは、エミリー嬢の実家のグロス子爵家だ。


子爵はきっと怒っているだろう。


私は子爵に、罵詈雑言を浴びせられ、水やお茶をかけられる覚悟で子爵家に向かった。


何を言われても土下座をして謝り通す、覚悟を決めていた。


子爵家の応接室に通され、待つこと数分。


子爵が入ってきた瞬間、私は頭を下げた。


「この度は弟がお嬢様に対し、大変失礼なことをいたしました! 愚弟の代わりに侯爵家の跡継ぎである私が謝罪いたします! 申し訳ございませんでした!」


私はどんな罵詈雑言を浴びせられても耐える覚悟をしていた。


「子爵家からお借りしたお金や、婚約破棄の慰謝料は時間がかかっても必ずお支払いします!」


私の侯爵家の跡継ぎとしてのプライドなど、領地の民の生活に比べれば安いものだ。


どうしても子爵からの許しを得なければならない。


そのためなら私はなんでもする。


「頭を上げなさい」


だが子爵からかけられた声は穏やかだった。


恐る恐る顔を上げると、いつもの穏やかな子爵が立っていた。


「リック殿のしたことには怒っている。娘は彼に傷つけられたからね」


「申し訳ありません!」


私は床に擦りつける勢いで、また頭を下げた。


「フォンジー君、頭を上げなさい。リック殿のしたことで君を責めるつもりはない」


「ですが、リックは私の弟です。私が教育を間違わなければこんなことにはならなかった! 大恩あるグロス子爵家の令嬢に弟は非礼を働いたのです! とても許されることではありません!」


「君はリックの親ではない。三年先に生まれた兄でしかない。君が責任を感じることではないんだよ」


「グロス子爵……!」


彼はなんて器の大きな方なのだろう。


私は小手先の謝罪で子爵の許しを得ようとした自分が恥ずかしくなった。


「借金については焦らなくてもいい。返済できる時にしてくれたらそれでいいんだよ。領地が水害に見舞われたり、お父上が魔術師団長の職を辞したり、いろいろと大変なときだろう」


「しかし、それでは……! そんなに子爵家に甘える訳にはいきませぬ! お嬢様への慰謝料のこともありますし……!」


婚約破棄した家に慰謝料を請求しなければ、婚約破棄した側に問題があるとみなされる。


エミリー嬢の今後や、子爵家の面子にも関わるだろう。


「わたしはね、これでも君を買っているのだよ。わたしは君ほど誠実で努力家な人間を見たことがない」


「私には祖父や父や弟のような才能はありませんでしたから、誰にでも平等に接することと、人一倍勉強するしかやれることがなかっただけです」


頭脳明晰な祖父、魔力量の多い父、容姿端麗な母、三人の良いとこどりで才能の塊の弟。


私には侯爵家の長男という肩書き以外なにもなかった。


敵を減らす為に誰にでも平等に接した。


無能な上に怠け者といわれないように、勉強を頑張った。


それだけのことだ。


「優秀な家族に囲まれ、家族には弟だけが溺愛され、普通なら腐ってしまうような境遇の中で君は挫けることはなかった。

 ひたむきな努力を続け、優秀な成績で学園を卒業した。

 誠実な人柄で味方を増やした。

 リックが今回の件を起こすまで、わたしは社交界で君の悪口を聞いたことがない。

 わたしが君を評価しているのはそこなのだよ。

 君が長男でなかったら、当家の婿養子にほしかったぐらいさ」


「グロス子爵、それは買いかぶりすぎです」


私はそんなに立派な人間ではない。


「いいや、誰にでもできることではないよ。君のひたむきな努力は娘にも影響を与えた」


「エミリー嬢にですか?」


「娘は君に会ってからコツコツ努力することの大切さに気づいたのだよ」


私のひたむきな努力が、エミリー嬢に良い影響を与えたのなら、それは良かったと思う。


「今はお金が必要な時だろう?

  当家への借金は余裕ができてからの返済で構わないよ。

 わたしはね、娘を傷つけたリックのことは憎いが、君や君の領地の人間まで憎いわけではないのだよ。

 借金は君の人柄へのつけにする。  君なら人々の信頼を勝ち取り、侯爵家を復興できると信じているよ」


「ありがとうございます!! この御恩は生涯忘れません!!」


子爵に向かって私は深く頭を下げた。


子爵はそんな私の肩をポンと叩いた。


涙が溢れて止まらなかった。




◇◇◇◇◇




その後も取り引き先などへの謝罪は続いた。


祖父も父も母も寝込んでいるので、侯爵家の領地経営も私がしなくてはならない。


昼間は各家を訪れて謝罪、夜は書類仕事に追われる日々が続いた。


グロス子爵のように話がわかる方ばかりではなく、罵倒されたり、門前払いされたりすることも少なくなかった。


頭から水をかけられたこともある。


「二度と家の敷居を跨ぐな!」と縁を切られた家もある。


罵られようと、石を投げられようと、生ゴミを頭からかけられようと、私は謝罪を続けなくてはいけない。 


私が折れたら、ザロモン侯爵家は終わる。


使用人や領民が路頭に迷うことになる。


それだけは絶対に避けたい!






そんな生活が数カ月続いた。


使用人の半数は当家を辞めていった。


彼らには少ないが退職金を払い、紹介状を渡した。


残った使用人で侯爵家の仕事を回してもらっている。


こんな状況でも残ってくれた彼らには感謝しかない。


家令や執事も領地経営を手伝ってくれている。


お蔭で少し、睡眠時間を増やすことができた。


両親や祖父は未だに抜け殻状態だ。


リックがいなくなった衝撃がよほど大きかったのだろう。


彼らはリックのことを溺愛していたから、しかたない。


父は魔術師団長であることを誇りにしていた。父に至っては職を失ったショックも大きいのかもしれない。


父は仕事ができる状態ではないので、私が侯爵家の当主の座を引き継いだ。


取引先に「当主の代理」として謝罪に行くより、「当主」としていったほうが、話が通りやすいので、当主になって良かったと思っている。


領地の復興が終わったら、両親や祖父を領地で療養させる予定だ。


都会の喧騒を離れ、空気と水が良い場所で過ごせば、彼らの心も少しは安らぐだろう。


侯爵家への風当たりは未だに冷たい。


それでも由緒あるザロモン侯爵家を、私の代で終わらせるわけにはいかない。


領地民のためなら、私はどんな逆風も乗り越えていってみせる!





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