前髪を拾う柔らかな金木犀が、
あ、あ、あ、あ――!
「あああああ……!」
その日の私のベッド及びクッションは当然のようにぐちゃぐちゃになった。自分から言ったのに、小山さんと遊ぶ約束が出来たことが未だに信じられなくて。それよりも確かな、「朝楽しかった」とか、「ペアに誘ってもらった」とかの喜び幸せでまずクッションがつぶれた。
そうして30分ほど悶えていたところに、
『ねえ!佐崎ちゃんは行きたいところある?あたしはちょっと買い物とかしたいな』
初めての連絡が、来たのだ。
「ああああ……」
そうしてクッションのみならず枕まで見る影もなくなり、今に至る。
小山さん、小山さん――
「ありがとう、ひなたお姉さん」
私はひなたお姉さんにお礼を言ってから、ついでに返信する力も貰ってスマホを操作した。最初に聞いた時はそんなの出来っこないと思っていたが、言葉にすれば案外すんなりいくもの……なの、かな。
さんざん書き直してようやく出来た文章が、こう。
『私は特にないです。買い物は私もしたいです』
絵文字だらけで何を言っているのか分からないもの、砕けすぎて学校とあまりに別人なもの、堅苦しすぎて仕事のメールかと思ったもの。
それらを退けて勝ち残ったこの文言、我ながらセンスがない。
『おっけ!じゃああそこのショッピングモールにしよう。週末は空いてる?』
『分かりました。空いてます、週末』
本当は「!」を100個はつけたいくらい浮かれていたが、さすがに自重した。しかし、送ってから数分経って、あまりに淡々とし過ぎている気がしてきた。
私のメッセージに既読がついてからから返信がなくて、嫌な印象を与えてしまったかもしれないと焦って。
「や、やばい……えっと、違くて」
私はデフォルトで入っているスタンプの中で一番可愛いものをとりあえず送ってみた。送ってから、ちゃんとデザインを見る。赤いハート、キャラクターの赤い頬、背景にLOVEの文字。
キャラクターが可愛かったからデザインまで見ていなかったとはいえ、これは、あまりにも。
「あ、あ、あ、あ」
送信を取り消そうにももう既読されてしまって、私は喉から心臓が零れ落ちてしまいそうなくらい焦って、後悔に襲われた。だって、これじゃあ……。
遊ぶ予定を立てる連絡にしてはあまりにも。
「――あ」
そう思っていたら、小山さんから返信が来たようだ。
スマホの画面を落としていたので、真っ暗な画面に通知を知らせるバナーが降りてきて気が付いた。「“小山ひかげ”さんから1件の画像メッセージ」と表示されている。
画像……って、な、なに?
恐る恐るスマホを開いた私は、次の瞬間に目に飛び込んできたものに心を奪われてしまった。
「か、可愛い……!」
小山さんから送られて来た画像とは、なんと小山さんの自撮り写真だった。
制服を着ているところを見ると、今帰ったのだろうか。19時前のこの時間だし、帰ってすぐ連絡をしてくれたんだろう。写真はバストアップで、いつものあの笑顔と共に、頬の横でいわゆる「指ハート」を作った写真。
私のスタンプを見て、私が気にしないように同じハートを送ってくれたのだろうか。それにしても、なぜ自撮りを。
「……優しいな、小山さんは」
私は勝手に保存しちゃだめだと必死に言い聞かせながら、自撮り写真にサムズアップのリアクションを返してスマホを閉じた。言葉やスタンプを探したら、また意図しない展開になってしまいそうだったから。
クッションの代わりに胸にスマホを抱きよせて、静かに目を瞑る。目蓋の裏に浮かぶ、小山さんの写真。
「……本当だったら嬉しいな」
穏やかに弾む鼓動に耳を傾けながら、私は週末を想った。
※※※
未だかつて、こんなに週末が楽しみだったことがあるだろうか。
今なら何が起こっても大抵のことは許せてしまう自信があった。推しのトークイベントの抽選が外れたって心は凪だ。それは嘘だ。ごめんさい。
でも普段ならしばらく引きずるところを、今は週末のおかげで、それどころではなくて。
「――佐崎さん、だよね」
「うん、えっと……堀井さん?何か、用かな」
昼休み、お手洗いに向かっていた私は背後からかけられた声に振り向いた。そこにいたのは小山さんの隣の席の子で、小山さんと仲のいい堀井
私は堀井さんとはほとんど話したことがないから、特別用事があるとすれば、委員会関係とか、だろうか。
「ひかげのことで、少し話があって」
「え――小山さんの?」
「うん。ちょっと、裏門のところまで一緒に来てくれる?」
裏門は昼休みということもあり、閑散としていた。内緒話には持ってこいだ。しかし、こんな場所に呼び出して、小山さんのことで話がある、とは――
浮かれていた私は突然のことで混乱して、想像が良くない方に転がっていく。
「うん、ここならいいかな」
「あの、それで、話って」
「――ありがとね」
「えっ」
堀井さんは私に背を向けたまま藪から棒にそう言うと、私の困惑を知ってか知らずかそのまま続けた。
「詳しくは言えないんだけどさ。ひかげがあんなふうに笑ってる姿、久しぶりに見た」
「あ、えっと……それと私に何の関係が?」
「え?気づいてない?んー、ならそのままで大丈夫。ただ、私はお礼が言いたかっただけだから。ひかげと友だちになってくれてありがとうって」
どうして堀井さんがそう言うのだろうか、いやそもそも「友だち」になったのはSNSにおいてで――
連絡先を交換して、遊ぶ約束をして、週末会う。
けれどそれは確かに、「友だち」と言って、よくて。
「んー、一応裏門まで来たけどそこまで心配はいらなかったかな。ごめんね、変な話しちゃって。とにかく、さ」
「は、はぁ」
「ひかげのこと、よろしくね」
終始話がかみ合わないような、あるいはあえてかみ合わないことを言われているような。想像していたような困った事態にはならなかったけれど、こんなことを言われるとは。
小山さんの笑顔と私――だって、私は仲良くなる前から小山さんの笑顔が、声が好きで。
「――ん?」
刹那に感じた違和感は、前髪の下を潜っていった金木犀の香りを乗せた風に運ばれて消えてしまった。
※※※
私は今世紀もっとも身だしなみに気を遣った。前髪を整えるだけで30分かけた。
午後に待ち合わせなのに朝の6時に起きた。シャワーも入ったし。
「だ、大丈夫。ただ遊ぶだけだから」
そして結局、待ち合わせ時間の30分前についてしまった。
駅と一体になっているこの商業施設は、冬にはイルミネーションが綺麗で有名な場所で、映画館も併設されていることから週末はかなりの賑わいだ。週末なのに制服姿の子もちらほら見かける。
親子連れや数人のグループ、2人組。
「私、小山さんと」
どうせ土曜日は眠れないだろうと思っていたから、あえて金曜日、夜更かしをした。かつ早起きをして、日曜日の今日をちゃんと迎えられるように、半ば無理やり寝た。
自分でも明後日の方向の努力だな、とは思う。自分がこんな風になってしまうのがちょっと面白くて。
『明日、楽しみにしてるね』
『あたしも!』
数日前、予定を決める、という共通の話題にかこつけて、私は思い切ってメッセージを送った。何回かの会話のラリーで予定が決まり、これで会話が尽きると思った時。
小山さんの方から『そういえばさ』と話題が繋がって、私と小山さんの会話のログは、「遊ぶ予定」以外でいっぱいになった。
「ふふ」
それがなんだか宝物のように思えて、私はついスマホを覗いてしまう。
「――あれっ、佐崎ちゃん!早いねっ、おはよ!」
「こ、小山さん!?あっ、えっと――ぁ」
にやにやとスマホを眺めている所に小山さんがやってきて、私は慌てて表情を取り繕おうとして――できなかった。私に手を振りながら早足でこちらに向かってくる小山さん。
髪型こそいつものポニーテールだったけれど、印象は学校とはまるで違った。何かのライブTシャツだろうか、ラフなインナーの上から水色を基調にした、裏地にピンクをあしらったオーバーサイズのパーカーを羽織っている。黒のパンツとブーツを合わせて、いわゆるストリート系だろうか。
学校ではあんなに可愛い小山さんが、とてもかっこよくて。
「好き……」
私はほっ、と吐いた息と共に思わずそう零していた。
「えっ」
「――あっ、え、えっと!服!こ、小山さん今日、とっても素敵だね」
「あ、ああ、服ねっ。うん。ありがと!佐崎ちゃんも似合ってて素敵だよ」
「あ、ありがとう」
時間をかけたから、そういってもらえて嬉しい。
それから2人してしばらく見つめ合ってから、小山さんの方から「それじゃ、行こっか」移動を促してくれた。そうだ、これは服のお披露目会じゃない……。
あまりに素敵すぎて、釘付けになってしまった。
「映画のチケット、間に合うかな」
「上映は少し後だから多分、大丈夫じゃないかな」
お出かけコースはこうだ。
まず集合してすぐ映画のチケットを買いに行く。それからお買い物をして、どこかでお茶をしながら時間を潰して映画を観る。映画が終われば解散にはちょうどいい時間だけれど、その後も少し時間を空けておいて、と小山さんから頼まれていた。
『映画終わった後って、感想話したくなるでしょ?それでね』
ということらしい。確かに、と思った。
普段はひとりで噛みしめているから、誰かと感想を共有するのは新鮮でいいかも。
――それが、小山さんとならなおさら。
「ねえ、佐崎ちゃん、これなんかどう?」
買い物ではしゃぐ小山さんはとても楽しそうで、私は嬉しい。誘ってよかった、と思う。
まだどうして私なのか、答えは出ないけれど。
『ひかげがあんなふうに笑ってる姿、久しぶりに見た』
ふいに、堀井さんの言葉が脳裏にちらついた。
あの時はよく分からなかったけれど、小山さんをよろしく、というその言葉だけはちゃんと届いたから。でも、私が貰ってばかりで、その期待には応えられるか分からないでいた。
(小山さん、そういえば、他の子にもこんな風に笑うのかな)
その跳ねる足取り、踊るポニーテール。
もし、もし、私にだけ見せてくれているのだとしたら。堀井さんの言っていたあんなふうが、今のこの表情なのだとしたら。
「うん、可愛いと思う。小山さんに似合いそう」
多分、息が、詰まる。
嬉しくて――恥ずかしくて。
でも多分、これは私のそうあって欲しいという願望で、本当はさ。
「そっか。あたしは佐崎ちゃんにも似合うと思う!お揃いで買っちゃおっか?」
「――っ」
本当は、ずっと、小山さんから目が離せなくてさ。言葉ひとつとっても全部が大切でさ。
ああ、そうだよねって、思う。ただ素敵で憧れていただけの小山さんの傍に居られて、友だちになれたかもしれなくて。それだけで嬉しかったから、私は忘れていたけど。
私は、小山さんが好き、でさ。
「大事に、するね」
「へへっ、あたしも、大事にする」
友だちのやり取りに、特別な部分を探してしまって、高鳴る鼓動を緊張のせいにして。
それは全部、小山さんが好きだから。
もっと近くに居たいなって、思ってしまう。前の席を眺めるだけの頃には、もう戻れないなって。
「映画、楽しみだね」
この時間の永遠を願って、私は笑った。
映画の感想を語りながら、私たちは秋の宵の下を2人で歩いた。本格的なイルミネーションこそ始まっていないが、大きな駅に根付く人々の営み――その光が散らばって、夜の街に星が降っているみたいだった。
駅に向かっていく人の流れに逆らって進む小山さんについていく私は、そろそろ目的地を聞こうかと口を開こうとして、
「実は話があって」
小山さんの神妙な声色に、唇を結んだ。
いつも聞いている明るさの薄れた重い声――
(あれ、どこかで)
妙な既視感にこめかみを掻く私を振り向いた小山さんは、何かに耐えるように口を引き結んでいたが、私と目が合うと頬を緩めた。目を細め、一歩、二歩と近づいてくる。
距離の近さに伴って私の鼓動は早くなる、体操の時と違って、正面から向き合う距離。暗さのせいじゃない、ポニーテールがよく見えない距離――
「ずっと、お礼が言いたかったんだ」
「え……」
小山さんは、おもむろにポニーテールに手をかけると、するするとゴムを外した。そして鞄から何かを取り出すと、それを顔に着ける。
ウェーブを描く髪、銀縁の眼鏡。
服装こそいつもの雰囲気ではないものの、そこに立っていたのは忘れもしない。
「ひなたお姉さん……」
「――うん」
ああ、なんで気づかなかったんだろう。
声も、笑顔も、胸に引っかかったのに。
「ごめんね、なんか、騙すような真似をして。佐崎ちゃん気づいてなかったから、なんか言い出せなくて」
「そ、それは……だ、大丈夫、だけど」
私は鞄の中に入れたお揃いで買ったアクセサリーをなぜか思い出す。それから、気づいた。
ひなたお姉さんが、小山さんなのだとしたら――あの日泣いていたのも、小山さんで。
「あのね、佐崎ちゃん。なんかじゃ、ないんだよ」
「え……」
そっと私の手を取った小山さんのその声の色を、私はずっと忘れることが出来ないな、と思った。
「あたしを、助けてくれてありがとう」
どうしての、答え。
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