君に木霊する囁き

 私はひなたお姉さんの言ったことが頭から離れなかった。

 

『いっそ、遊びにでも誘ってみたら?デートとかさっ』


 ぐるぐると渦巻く色んな言葉が私の頭を掻きまわすのだ。あるいは誘い文句を、あるいは小山さんが朝話しかけてくれた理由を、あるいはひなたお姉さんの言葉を考える。

 そのどれにもまともな答えを出せないまま、祝日は終わり、学校が始まる――小山さんに、会える日が。願ってやまなかった学校の日。けれど私の足取りはいつもよりも少し重い。

 もらった言葉のぶんだけ。


「どうして、私と」


 私、と言いかけて――やめた。

 代わりに、をくっつける。ただ憧れて眺めているだけの私と、小山さんに一体何が起きれば連絡先を交わすなどという事態になるのか。

 嬉しいはずなのに、SNSの「友だち」欄に小山さんがいることが眩しいはずなのに。


「――小山さん」


 私の胸に去来するのは、すれすれの浮かない言葉たちだった。


――人は単純なもので、そんな私の気分の折れ線グラフは教室に入った瞬間に右肩上がりになった。


「あ!おはよ、佐崎ちゃん!」


 普段の私の登校時間より少し遅いとはいえ、小山さんのいつもの時間よりは早い。そのはずなのに、前の席には小山さんがいて、私におはようを言って、手を振ってくれて。

 というか、今、


「あ、え――ちゃん?」

「……あっ」


 距離が近くなった気がして嬉しくてつい聞き返してしまった。小山さんははっと息を呑んで慌てて口を手で隠した。誤魔化すように「あはは……」と力なく笑って。

 と呼んでくれるのはやめてほしくない、から。


「あの、呼び方……嬉しい」

「えっ、いいの?急に変えちゃったんだけど」

「うん。小山さんなら」

「――そっか、佐崎ちゃん!じゃあ改めて、おはよう!」

「うん、おはよう」


 たった数日会わなかっただけなのに、その笑顔が本当に懐かしかった。私を絡めとる言葉の網は一瞬でほどけて、目の前の小山さんに意識が全て吸い込まれていく。

 我ながら単純だと思う。でも、だってしょうがない。

 こんなに嬉しいのだから。


「あ、あの、小山さん」

「うん?どうしたの?」


 衝動的に名前を呼んでから、しまったと思った。

 ひなたお姉さんに遊びに誘おうとアドバイスを貰ったとはいえ、いきなり誘うのはハードルが高いし。それに、連絡先を貰ったくらいで友だち、なんて。でも。

 ポニーテールを後ろから眺めているだけの時よりは、確実に。


「……今日は小テストなくて残念だね」

「嬉しい、じゃなくて?」


 いや、無理無理!

 いきなり誘うとか――!

 なんて思っていたら、口を滑って出て来たのは私の密かな本心そのいちとかそのにとか。小テストの時は小山さんと話せるから。なくて残念、なんて。


「あっ、えっと、小テストの時、お話出来て嬉しかったからというか」


 口を開けば開くほど墓穴を掘ってしまう気がする。

 どんどん取り返しのつかない方向へ落ちていく私を、けれど小山さんはまっすぐに見つめた。怪訝に思ったり、一歩引いたりせずに、私の好きな笑顔を見せて。


「あたしもあの時間ちょっと好き。でも、休み時間とか、お昼とかさ。これからはもっとたくさんお喋りしようね」

 

 私はこの先数年分の幸福を得てしまったのではないかと現実を疑った。HRの時の担任の声よりもはっきりと聞こえたし、脳裏でずっと響き続ける声、その意味も意識に沁みていく。

 小山さんも、好き?


「――連絡先、交換したしね」


 小山さんは私にそっと耳打ちをするとぱっと私から離れてしまった。かたまって動けない私はその光景をぼんやりと眺める。

 いつの間に登校していたのか、小山さんは隣の席の子と話していて、きっとそのまま朝のHRを迎えるだろう。私は、今日も多分、ポニーテールから目が離せない。


「……」


 だから、前の席から注がれる視線に私は気づけなかった。



※※※



 この日、マラソンの授業がようやく終わり、体育の授業が通常形態に戻る日。

 バレーの授業が始まるらしい、ジャージに着替えて体育館に着いたところで知った。最近の私は小山さんのことばかり考えていたし、前回のマラソンの時もまともに話を聞いていなかったかもしれない。


「2人組で体操だって」


 クラスメイトの雑談でそれを知った私は、とりあえず前と後ろの様子を窺う。こういう時は近くにいる子と組んでいたから。ところが、あまりにぼーっとしていたからか普段組んでいる子は既に別のペアに入っていた。

 ぽつん、と取り残された私はどうしたものかと頬を掻き、同時に肩に触れた熱に「ひゃっ」変な声を上げてしまった。


「あっ、ごめん。驚かせちゃった?」


 小山さんだ。私の肩をちょんちょんと叩いて呼んでくれていたらしい。


「い、いや、ちょっとぼーっとしてて。えと、何か?」

「あ、うん。ペア!組もう!」

「えっ――堀井ほりいさんとじゃなくて平気?」

「ああ、堀ちゃんは部活の子と組んでるから。あたし、余っちゃって」


 堀井さんは小山さんの隣の席の子で、確かに探してみると少し離れたところで別の子と組んでいる。その子は別のクラスの生徒だったからなるほど、と思った。

 3クラス合同の体育の時は、堀井さんは部活仲間と一緒なのか。


「えへへ、えっと……もしかして、先約がいた?」


 照れくさそうに袖で手を隠し隠しする小山さんだったが、こんなに素敵な子、引く手数多だろう。ひょっとして、いやいや、そんな。

 私を選んでくれたとか、そんな。


「ありがとう。ちょうど、ペア探してたの」

「ほんと!やった!よろしくね」


 体操のペアが決まっただけだというのにゆらゆらとポニーテールを躍らせる小山さん。私に犬の尻尾が生えていたら負けず劣らずの振り具合だったに違いない。

 というか、今気づいたけれどペアの体操をするということは、手を繋いで引っ張ったり背中を押したりするのでは。しかも体育館という広い空間でペアは一番近くにいる相手で。


「佐崎ちゃんはバレー得意?」

「えっと、運動自体、そんなに得意じゃなくて」

「そうなの?じゃあ先週のマラソン、すごい頑張ってたんだね」


――君のおかげ、なんて言えない。


「ん、っしょっと。じゃあ、伸びしよっか」


 担当の先生が用具の準備をしている間、まばらに体操をする私たち。

 その中のペアの1つでしかない。でも私にはそれがとても特別に思えて、運動不足の身体が悲鳴を上げる柔軟体操すら、小山さんと一緒にしているという事実だけで幸せな時間になった。

 最後のメニュー、体育館の床で開脚したペアの背中を押してストレッチをする。先に私からやってくれた。なんだか、小山さんが私の後ろにいるの、新鮮。


「ふふ、なんかいつもと逆だね」

「席順のこと……?」

「そうそう。あたしが前で、佐崎ちゃんが後ろで――よし、交代、お願い」


 耳元で楽しそうな声色で囁いた小山さんの番になって、立ち位置を交換する。思えば、私も随分自然体で話せるようになった。

 それは慣れたんじゃなくて、身体を動かしながらだったから適度に緊張もほぐれたのだと思う。でもあえて、ということにした。


「――ねえ、小山さん」


 朝考えた色んな可能性。

 距離感の話、小山さんの気持ち、お姉さんの言葉。

 その中でも一番低い可能性に設定した「自分から誘う」を、今なら出来る気がした。だって、小山さんからペアに誘ってくれて。今一番小山さんに近い所に居て。背中側で顔を見なくて済むし、身体を押す時にちょうど顔が小山さんの耳に近づく。

 ストレッチのせいにして、言うなら今しかないと、思った。


「今度、遊びに行きたい」


 背中を押した瞬間、小山さんの耳元で私は囁いた。

 すると、「んぐっ」という苦しそうな声が聞こえたから、慌てて手を離す。事実に今更ながら早鐘を打つ心臓に、何かやってしまっただろうかという心配がさらに追い打ちをかけた。

 しかしそれは杞憂だったようで、小山さんは床に両手をついて身体を支え、首だけ動かして私の方を振り向いて、そのポニーテールをふわりと揺らした。


「――嬉しい!あたし、楽しみにしてるね」


 何が私と小山さんを繋げてくれたか、答えが出ないまま、席替えから1か月半、私は小山さんと遊びに行く約束をした。約束――


を、ちゃんとしなきゃ)


 だってゴールは、ここじゃないから。

 ひなたお姉さん、ありがとうございます。私、言えました。


「……ふふ」


 漏れた吐息は私か、それとも――

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