その瞳の暗がりに火が灯る
11月がやってきても、私と小山さんの距離感は変わらない――はずだった。
それは、ある朝のこと。私はその日、英語の小テストが、というよりも小山さんとのほんの数秒の会話が楽しみで仕方なかった。自分でも、小テストを待ちわびるなんてちょっと可笑しかった。
家が少し遠いこともあって、電車通学の私は朝のHRの30分前にはいつも登校している。自転車通学(らしい)の小山さんは10分前とか、そのくらい。
いつもは小山さんは友だちと話していて、朝のおはようはあまり交わせたことがないから、毎朝今日こそは、と思うのだけれど。
「……あ」
いつも通りの頼りない決意と共に教室の扉を開けた私は、私の前の席に座る小山さんの姿を見つけた。しかも、椅子を90度ずらして、私の席に右ひじを置いてスマホをいじっている。
小山さんに会えた喜びでほころぶ顔が、私の席に触れている小山さんが分からなくて固まって。ガラガラと扉を開けたくせに入り口で立ち尽くしてしまった。
――だからだろうか。
「あ、佐崎さんっ」
小山さんはつい、と顔を扉の方に向けた。音がしたから見てみた、という具合で。私を見つけると顔を輝かせて、手招きをしている。
現実に頭が追いつかない。ひょっとして私は自分が知らないところで小山さんと仲良くなっていただろうか。
……そんなわけないし、じゃあこの小山さんは?
「おはよ!佐崎さん」
「お、おはよう。小山さん」
私は何とかして自分の席までたどり着き、半分くらいが小山さんに染まっている自分の机のわきにスクールバッグをかけて、ぽすん、と椅子に座った。
座ったのと同時に目が合って、何故か嬉しそうに微笑む小山さん。
座ったまま立ち尽くす、と言うべき大道芸人も仰天の硬直の、私。
「えへへ、今日は早起きしちゃった。佐崎さんとお話したくて。席近くなったのにちゃんと話せてなかったでしょ?」
前半部分は置いておくとして、後半部分にはなるほど、と相槌を打った。
「あー、と……さ、最近寒いねっ」
「う、うん。私ずっとスラックスだ、だし」
「いいなぁ。あたしも明日スラックスにしようかな。そしたらお揃いだね」
「――!あ、うん」
どうなってるのどうなってるの――!?
ああ私の前世は、きっと何かとてつもなく偉大なことをしたに違いない。それとも小山さんに褒められたくて昨日推しのライブ配信を我慢して小テスト勉強をしたから?
いずれにせよ、私はいま小山さんと話しているのだ。
いつもほんの数秒話して、ぱっと前を向いてしまう小山さんが、私に半身を向けて。だから、気づいた。ああ、正面から話しているとポニーテール、あんまり見えないな。
「……でさ、佐崎さん。あたし、バイトとかどうかなって思ってるんだけど、何か知らない?」
「バイト……?」
小山さんと話すのに精いっぱいで会話の内容が若干怪しかったが、季節の雑談の流れでそんな話になった気がする。バイト、バイト――小山さんならどんなバイトをしていても様になりそう。
でも、どうして私に聞くのだろう。まあ、バイトの部分には心当たりはあるけれど、小山さんは知ってるはずないし。
「わ、私は、ごめん、あんまり知らないかも」
「――そっか。ううん、気にしないで。あっ、てか今日体育じゃん!来週から通常に戻るらしいけど、今日までマラソンなのほんと無理~」
「う、マラソン……」
マラソンは嫌だ。
走る小山さんを見るのは、好き。なんて、言えるわけないよ。
「――ね、佐崎さん」
「……?」
私は、小山さんとこんなにたくさん話せるだけでも奇跡みたいに嬉しいのに、ずいっ、と身体を寄せてきたから、幸せが限界突破してしまった。どうして急に、とか、近い、息がかかりそう、とか。
それを全部置き去りにして、心臓のうるさい鼓動すらもはねのけて、小山さんが耳元で囁いた一言だけが、私の中に強烈に響いて来た。
「……さぼっちゃおうか、2人で」
「――えっ!?え、えっ」
「ふふ、あははっ、冗談、冗談だよ。ふふ、佐崎さんってそういう顔もするんだね」
何事もなかったかのように、ぱっ、と私から離れた小山さんが心底楽しそうに笑った。いつものはつらつとした声に、少し重さが加わったような不思議な囁きは、私の希望が8割を占めるにしても何故か、冗談には聞こえなくて。
あっけにとられる私をしばらく見ていた小山さんは思い出したようにスマホを取り出し、慣れた手つきで画面を操作した。はい、と言って差し出された画面はSNSのプロフィール画面。
いわゆる友だち交換の画面で、私には慣れない領域。
「そういえば佐崎さんの連絡先、交換してなかったなって。あ、もし嫌だったらだいじょ――」
「い、嫌じゃないっ、嬉しい!」
「う、ぶ……あはは、そっか。良かった」
「――あ」
小山さんの連絡先なんて、喉から手が100本は出るくらい欲しかった。
入学したときに入れて貰ったきり発言を一度もしていないクラスのグループから飛べばいいということを最近知ったけど、そんなの出来るわけもなく。
だから、小山さんからそう言ってもらって、嬉しすぎて、食い気味で半ば、叫んでしまって。がたんどたんと机や鞄に身体をぶつけながら急いでスマホを取り出して同じ画面を開いて。
変、だったかな――失敗した。
「……ごめんなさい」
「ん?何が?」
私は自分でも分からない何かに、謝っていた。
不思議と、謝罪の形に口を開くと言葉は次から次へと流れてきてしまう。こんなこと言わない方がいいって、分かるのに。
「あの、どうして、小山さんは、私と連絡先を交換しようと、思ったの?今朝も、いつもはもっと遅いのに」
これじゃあ、まるで責めているみたいじゃないか。違う、嬉しかった、幸せだったって――いや、そっちも言うに言えないけど。
私の言葉にけれど小山さんは嫌な顔一つもせず、それどころかどこか嬉しそうに頬を緩め、まっすぐ、私を見つめ返して来た。
「それはね、佐崎さんの素敵な所をもっと見たくなったから、かな」
「――え」
私の、素敵な所?
「……はい、登録完了!」
「え、もう!?」
「これからよろしくね、佐崎さん」
その瞬間の小山さんの表情を、私はたぶん、ずっと忘れないだろう。
「……小山さん」
大切な何かを見つけたみたいな、とても、とても優しくて温かなその目の色を。
「えと、よろしく?」
その色に射貫かれて、私の心に火が灯った――そんな気が、した。
「――はい、送ったよ」
小山さんはそう言うと、私に向かってスマホをひらひらと振って見せた。見て、ということだろう。
小山さんとの会話画面、その一番最初のログに言葉はなく、小山さんがいつも話している(のが聞こえてくる)キャラクターのスタンプの笑顔とハートマークが躍っていた。
私は混乱しながらも半ば勢いで、デフォルトで持っているスタンプから似たようなハートマークを送り返してみた――え?ハートマーク!?
「あっ、えと、これは」
「――ふふ」
「え、ええっ」
やっぱり、今日の小山さんは分からない。なんで、そんなに楽しそうなのか、とか。
でも、一つだけ分かったことがある。
「ほーい、じゃあ席につけ~」
朝のHR、前を向く前に私に手を振ってくれた小山さん。いつもの後ろ姿、見慣れたポニーテール。
そのどれも全部憧れで、好きだったけど。
(小山さんとちゃんと顔みていっぱい話しちゃった……!!)
前から見る小山さんも、とても素敵だということだ。
余談だけど、
「え、佐崎さんすごいっ」
私は朝に貰った幸せで絶好調だったおかげで、マラソンのタイムを大幅に更新したのだった。
まあ私はその後少しだけ小山さんと話せたことの方が何倍も嬉しかったんだけど。
「こ、小山さんも、早かったよっ。す、すごい!」
――今朝までの私は、小山さんとこんなふうに話せる時が来ようとは夢にも思わなかった。
ああ、幸せだ……。
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