席替えしたら、憧れのあの子が前の席だったんですが
音愛トオル
月が私を照らした、その微かな温度に
高校1年生の秋、通学路に金木犀が香る頃。
春に脱いだブレザーを着込んで、朝だけは寒いこの時期の廊下を私――
寒さ――だけじゃきっとないかもしれない理由で、最近はスラックスを選んでいる。制服が選択出来るのは嬉しい。決まった図形しか入れられない積み木入れみたいで私は窮屈だったから。
「じゃあ、前も言ったけど今日の5限に席替えするからね」
朝のHR、担任のその知らせに教室がざわついた。
仲のいい子と隣だったり、好きな子と近かったり。あるいは、今度こそそうなりたいと思う子だったり。周りの興奮をけれど、私は一歩引いて眺めていた。
もう10月だというのにまだクラスに慣れなくて、友だちと言えるほどの仲の子がいない私にとっては、結局どの席になっても同じ。窓側がいい、廊下側がいい、前が、後ろが――
ああ、どこだっていいよね。
……ああ、この席になってよかった。
「えー、じゃあちょっと先生、プリント取って来るから、5分くらい待っててもらえる?」
担任は急ぎ足で教室を後にしたが、席替え後のこの喧騒ではその声は生徒たちには届かなかった。かくいう私の耳にも全く入っていない。
担任が放った言葉が文字列として頭の中を流れたけれど、意味としては入ってこなかったのだ。だって――
「それでさぁ」
「え、マジで!?やばぁっ」
隣の席の子と楽しそうに話すその横顔。綺麗な髪、笑うと揺れるポニーテール、しなやかな指、艶やかな目。
中学からボブカットの私にはないその流れるようなポニーテールが、特に好きで。
密かに憧れていた、
「あ、後ろ佐崎さんだ。よろしくね」
「う、うん……よろしく」
振り返ってにっこりと歯を覗かせた小山さんに、私の心臓は奪われてしまった。
ほんの数時間前はちょっと斜に構えて「席替えなんてどうでもいい」とか言ってたけれど、白状するとめっちゃ小山さんの隣とかになりたかった。だって入学式の日からめっちゃ可愛くてかっこいいし、優しくて素敵で。
ずっと、仲良くなりたかったから。
「待たせてごめんね。それじゃあ早速だけどこのプリント、配るからよろしくね」
担任の声が耳を滑る。麺とかプリとか言ってる。
隣になれたら嬉しすぎてまともに話せなかったかもしれない。そう思うと、小山さんのことをずっと見て居られるこの距離が、私にはちょうどいいのかも。
友だちと話す小山さんの、揺れる身体に合わせて動くポニーテールが目から離れない。その顔を、もっと近くで見られたら――
「おーい、佐崎さん?ぼーっとしてるけど、何かあった?」
「……!?あ、ご、ごめん。えと、プリント」
「うん。はい、これね」
小山さんに見惚れていたせいで、小山さんが私にプリントを渡そうとしてくれているというのに身体が全く動かなかった。よろしく、と言ってはにかんだ小山さんからプリントを受け取る。
刹那、指先がほんの一瞬触れて、その熱に私の中のメトロノームが壊れてしまった。早鐘を打つ心臓をなんとか落ち着けて後ろにプリントを配った後、そっと小山さんを盗み見る。
(今、手が)
しかも、だ。
プリントを回すあの一瞬、小山さんはちゃんと振り返ってくれた。席は隣同士ではないし、まだまだ友だちでもないけど。あの瞬間、私は多分、小山さんの視線を独り占めできる。
それってなんだか、特別じゃない……!?
「……えへへ」
月光のように優しくて綺麗なその瞳を、私はもっと見たいと思ったんだ。
※※※
すごい、すごいよこの席――!
プリントを配るタイミングなんて冷静に考えたらあまりないかも、と思っていた私だったけれど、考えが甘かった。
「はい、佐崎さん」
まず授業のプリント。かなりの授業が毎回プリントを配るから1時間に1回は小山さんと目が合う。
「すごい、佐崎さん全部埋まってる!」
「ぐ、偶然ヤマが当たったんだよ」
そして小テストの回収。なんとこれ、行きは小山さんがテスト用紙を渡してくれるし、帰りは私が小山さんにプリントを渡すのだ。私が後ろから回って来るプリントを待つ間、しかも、小山さんは私の方を振り向いて待っていてくれている。
ほんの数秒の雑談に、私は心が躍った。
「えー、あんた、分かる?」
「私もさっぱり」
「そっか……あ、佐崎さんはどう?」
「どぅえ!?わ、私は、えっと……こう、じゃないかな」
これは珍しいけどグループワーク。4人で机をくっつけたらなんと私は小山さんと隣の席なのである。しかし実際に隣になってみると、恥ずかしすぎてまともに小山さんを見れないし、なんかたまに肩が触れてどきどきしちゃうしで落ち着かない。
やっぱり、私には――
「えへへ、佐崎さん。今日はあたしも勉強してきたからね。見ててよ!全部埋めるから!」
「う、うん。頑張ってっ」
この、小テスト前の小声のやり取りが、心地よくて。
プリントのやり取りでたまに触れる指先の温度が、愛おしくて。
私に笑いかけてくれた小山さんが前を向く、その一瞬の横顔が、素敵で。
「――ふふ」
2週間もしないうちに、私は面倒だった小テストの時間を心待ちにするようになっていたのだった。
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