第26話 ワルツ・オフ・ウィズ
「躓かない自信があるの? どこをどう進むか君に判る? 後一歩、寄って。そう」
ド・ヴィアー家のホールにエドワードの声が響く。慣れない距離に俯き、指だけを手に乗せているジェーンに彼は溜息をついた。
「小さい頃、作法の基本だからとダンスを習わなかった?」
「ワルツくらいまでは……」
「エスコートもダンスみたいなもの。大体の動きがあって、お互い察し合うの。調整は男がするけど、指先だけ乗ってても先を読めないから助けてあげられないよ?」
そう言うとエドワードは首を傾げる。しかし、体を強張らせた儘の彼女を見て彼は一度、離れ、思案げに天井を仰いだ。
その視線をまたゆっくり戻した後、彼はジェーンに苦笑しながら左の掌を上向けて差し出す。
「ちょっと踊ろう」
ジェーンが驚きを返す前に、部屋の隅からソフィが口を挟んだ。
「ミスター・ハイド、余り……」
「なら、君がリードで踊って。それとも護衛の彼に頼む? 悪いけど、僕には今の儘でエスコートするのは難しいし、他に方法を思いつかないよ」
渋々とソフィが引くのを確かめ、エドワードはジェーンへと歩み寄る。彼女の右手を取ると、体を離した儘、彼は肩の後ろに掌を当てた。
「手を肩に置いて。足を引く。間違えても良いの。動きを合わせることに集中して……下向いて良いから」
彼女の覚束ない足取りにいつもより柔らかな声音が落ち、拙い姿勢に寄り添うように力の抜けた体が動きを追う。
エドワードは窓から外をちらりと眺めると、ジェーンが足元をしっかりと見ているところに声を潜めた。
「……ソフィは君といない時、どこにいるの?」
「私のお隣りの部屋です」
「で、護衛が扉の外ね……ちょっとリードを強めるから」
独りごちた後、声を大きくして言うや、エドワードの姿勢が少し整う。それにつられて背の伸びた次の瞬間、ジェーンは足を縺れさせかけた。その背に腕が回り、彼女を支えてエドワードが微苦笑する。
「少し危なかった」
「有難うございます」
「そこは助けて当然くらいに笑って流すの。その方が綺麗だよ」
その儘、彼はジェーンを導くようにゆっくりとステップを踏んだ。自分一人では生まれないその流れる動きに彼女はヘーゼルの瞳を丸くする。エドワードは目を細め、護衛の休憩時間を尋ねようとする声を飲んだ。
伯爵が自身の令嬢を住まわせるハウスである。当然に使用人達の警戒も強い。広い邸であれば掻い潜れる目も都の家では隅々まで届く。何の策も用意せずいる今、ジェーンどころかメアリも連れ出せないことは彼にも一目瞭然だった。
窓には時折、馬車道へ繋がる裏口へ警護の姿が現れる。しかし、譬え裏の警護が外れる時であっても
火事でもあれば。脳裏を掠めた考えに彼は小さく首を振った。
「今は出してあげられない」
呟きにジェーンが彼を見ようとした瞬間、その背は引き寄せられる。エドワードの左手が小指から手を包み込み、足が踏み込んだ。ジェーンの体は浮くように下がり、片脚が軽やかに伸びる。そこに回り込みながらエドワードはふわりと彼女を舞わせた。
体を開き、指を掬い上げると彼はポーズをつけ、また肩に腕を回してジェーンを寄せる。
「今は待ってて」
衣擦れに消えそうなささやきが耳元を掠め、ジェーンが顔を見そうになった時、彼の体が押し来るように旋回した。大きく床を回る浮遊感の中、思わずエドワードの肩と手に置いた手に力が籠もる。右手を軽く握り返し、彼は微笑んだ。
息の上がる彼女と構えを解かずに立ち止まり、
「判る? 大体、動けるなら任せてくれれば対応しようもあるの。エスコートだと離れてるけど、歩くだけだから、ここまで必要ないしね。取り敢えず、硬くなり過ぎないで、離れないで」
語りかけるとエドワードは手を離す。それから肩を竦めた。
「でも、君を転ばせたらジョンの恥だから。思い切り睨んで責任押し付けて助けさせたら良いよ。……少し休みたいから移るよ」
ソフィに断りながら、彼はジェーンに掌を差し出す。そこに置いた指はエドワードの人差し指以外に包まれ、隣りの遊戯室へと引かれた。
「今回、リチャード様が踊るのはカドリール。判る?」
ジェーンを椅子に座らせると、その斜めに彼は腰掛ける。彼女は首を振った。
「王宮の舞踏会の最初は国王陛下と王后陛下のカドリールから始まるんだって。でも、僕も見たことないよ。王后陛下はいらっしゃらなくて、代わりを務められるルイーズ殿下は夜会に出るお歳じゃない。陛下の他に王太子殿下や王弟殿下、王族方がご夫妻で
エドワードが語る前でソフィが茶器を運び、並べる。それに目をやりながら彼は話し続けた。
「今回、早い時間に催されてるお祝いの集まりなのに舞踏会みたいなのがあるのは、このカドリールで王家の未来を感じて欲しいから。リチャード様が踊ることで、王家はまた栄えて行く、王室主催の舞踏会ではお相手がいなくてまだ踊れなくても、もうすぐこうして復活しますよ、と前触れしてる感じかな。リチャード様は凄く大変なんだよね」
彼は淹れられた茶を暫く見つめてから、それを手に取る。含めた一口を飲み込まずにいるのを前にジェーンも茶器へ手を伸ばした。穏やかな香りと甘みが鼻先を漂うが、それは彼女の親しむ香草とは異なる。
「その分、歳を重ねる毎にいろいろなことが許される方なんだ。一応、君も判っていた方が良いよ」
彼の言葉により明確に視線を向けたのは壁際のソフィだった。それを知りながらエドワードは揶揄うように笑う。
「
それから、身を屈めてジェーンを覗き込むと彼はささやいた。
「でも、
日の差さない遊戯室で赤い髪が漏れ明かりに輝いている。彼の言葉の意図までは伝わらないだろう人にエドワードは沈黙を守った。
できるものなら
ジョンが今、きっと家の近くにいることを彼は確信している。もし騒動を起こしてでもジェーンを外に連れ出した時、兄弟がどうするのか、彼は少し考えた。
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