第25話 フーガ・デモナムは咲き実る

 ジョンは帰宅を出迎えた執事に一言、二言尋ねると、邸の裏手へと足を向けた。剣の瑕の多く刻まれた石畳の一辺に、<魔除け草フーガ・デモナム>とも<戦い傷の軟膏>とも呼ばれる青薬が植えられ、背を高く伸ばしている。

 その涼しい香りの先、自分と似た人影がこちらに気づくや邸へ向かおうとするのにジョンは静かに声をかけた。


「エド、頼みたいことがある」


 エドワードは苛立つ目の端で彼を捉えたが、黙ってその場に足を止める。ジョンはそこに歩み寄った。


「話が済んだらド・ヴィアー家を訪ねてジェーンのエスコート役をしてやって」

「代役は得意だからね。構わないよ」


 乾いた笑いを吐き出すエドワードに彼は落ち着いた声を返す。


「エド、皮肉を言ってる場合じゃないんだ」


 指で壁際を示し、歩き出すジョンにエドワードは眉をひそめながらもついて来た。

 人の気配に羽ばたいた駒鳥ロビンが遠くへ行かず、フーガ・デモナムの向こうに舞い降りる。隅で邸の方へ目を向け、立ち止まったジョンから離れてエドワードは壁にもたれ、横顔だけを晒した。


「何?」

「ジェーンからミス・モードに連絡したいから、エドがジェーンといてソフィを引きつけて。その間に……」

「囮ね。それだけで良い?」


 話を切り上げたがる兄弟をじっと見ると、ジョンは手袋を外し、青薬の実と重なり合って咲く黄色い一日花を指先で揉んだ。花からは赤い液が出て肌を染める。

 魔除け草は二人が剣を習い始めた頃、ここに植える場所を作られた。誰かの願いの込められていただろう草を稽古の合間に潰して遊んだ記憶を辿り、ジョンは口を開く。


「できたら、ジェーンにリチャード様の箱庭は僕達の世界より広い、と伝えて」


 反射的にエドワードは体を起こし、振り返った。


「自分でしろよ! その箱庭に閉じ込めたい奴がやればいいだろ」

「それはリチャード様に言うべきだね」


 しかし、ジョンは少し目線を鋭くしたのみで淡々と返す。同じ色の目がそれを睨むと、彼は僅かに眉を寄せ、嘆息した。


「ジェーンに会えるなら僕が言ってる。エドに頼まないよ。あの子、<王の香り爪弾く乙女>になろうとしてる。詳しく聞けなかったけど、陛下に自分の望みを叶えてもらうんだって」

「どういう……」


 さすがに反発を置き去りに驚くエドワードへジョンは首を振る。


「多分、リチャード様の言葉が足りないんだよ。それしか方法がないと思ってるみたいだった。でも、ロスシー公にできなくて陛下にだけ叶えられることって何? 国政なら判るけど、ハーブ・ストゥルーワーになりたい女の子の望みだよ?」


 毒気を抜かれたようにその話を聞いた後、エドワードは背を丸めて笑い出した。止まらない笑い声にジョンが目元に険を浮かべる。


「笑ってる場合?」

「昔から頑張り方を間違える子だったと思ってね」

「これは間違えたでは済まないよ」

「間違えたとも限らないけどね。もしかしたら望みは国政かもよ? 自分達だけがものを考えてると思ってる?」


 壁に足裏を当て、体を折り気味にエドワードは髪を掻き上げた。その両眼は挑発的な艶を湛えてジョンを向く。

 指先の赤い染みの上を親指が往復し、ジョンは一度、目を閉じてからエドワードを見た。


「判った。そこはいい。けど、甘えて欲しがってる王子様におねだり一つしないで畑にいる子が陛下に願いを叶えてもらうなんて芸当はできない。リチャード様から引き離すために立場だけ与えられたら? 守る人もいなくて目も当てられないことになる」

「だから、ジョンと結婚して、リチャード様の寵姫になって箱庭の中で何でもさせてもらえば良い。そう言えって? 断る」


 強く言葉を畳み掛けるとエドワードは顔を背ける。

 それを暫く見ていたジョンは指を握り込むと、表情を消した。


「言えないのは誰のため? ジェーン? それとも、アン姫?」


 エドワードは逸らした儘の全身を強張らせる。

 語り口の柔らかさはいつものジョンながら、宿る気配が凄みを増した。


「憧れちゃったんでしょ? 十歳、ポニーが騒いだ時。押さえたエドが怪我をして、アン姫が心配してくれた。お姫様が初めてちょっと笑ったよね。僕はいつも君の横にいたんだけど知らなかった?」


 表情のないジョンと表情を消し切れないエドワードが対峙する。傍らに揺れるフーガ・デモナムは昨日の花の凋みを落とし、実が光に照り映えた。


「アン姫を慮って言えないなら諦める。でも、それなら紛らわしい行動はもうするな」

「紛らわしいって何だよ」

「まるでジェーンのためみたいに振る舞うな、って言ってるんだ」


 語気を強めて睨むジョンにエドワードも激して声を上げる。


「ジェーンのためを考えてるよ! だから言えないんだ。ふざけるな! 自分こそ、家のためを考えて行動してる癖に」

「その家の中のエドだけどね。ジェーンみたいに一人で何かしたことなんか、ある?」


 ジョンは淡白に詰り、冷え冷えとした眼光を散じるように脇を見つめた。

 小さな駒鳥ロビンが諍いの声を聞こえないかに石畳を跳ねて来る。小鳥の接近を拒むような硬い声を彼は投げつけた。


「僕が寵姫側、エドが妃側なら、ハイド家には悪くないね。もうこれからはその道で行こう」

「勝手に決めるな。いつもそうやって何でも……」

「エドがいつも間に合わないんでしょ? ジェーンのことも。僕はずっと表向きしか近づかなかった。エドと幸せになる、それが誰にとっても良いと思ったから。でも、あれも嫌、それも嫌でこれだ」


 額に手を当て、ジョンは溜息をつく。指先の赤が端正な顔に移った。エドワードは視線を逸らし、ただ前だけを見ようとする。


「ジェーンは僕もジョンもリチャード様も選ばなかった。選びたくなかったんだから……」

「それで痛い目を見ながら成長できる訓練場なら良いけどね!」


 ジョンが青薬を拳で叩く。縮れた花びらが舞い散る中を駒鳥が飛び去った。


「エドの考えが通用するくらいなら今日、君があのミューズ鳥籠から彼女を連れて逃げられる。やってみせてよ」

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