第23話 けぶるヒソップ
とりどり咲いたアスターにミント、ヒソップ、レモンの花。
彩り鮮やか目に映えて、爽やかな芳しさがプリンセス・ロイヤルの前を流れる。ルイーズは動かない笑みを浮かべながら、ロスシー公の貴賓室を歩んで腰掛けた。その向かいでメアリ・ド・ヴィアーが明るい顔をほころばせる。
「貴女の香草は本当に綺麗」
「畏れ入ります。季節のお陰です」
「真似して良いですか? お茶会の女主人の練習をしているんです。お花を考える時、貴女のハーブを思い出します」
目を輝かせるメアリを見るとジェーンは心が安らいだ。自分の合わせたハーブに惜しみない賛辞を口にされる気恥ずかしさと共に、喜んでもらえることが心に染みる。
そのはしゃいだ風が過ぎるとグリーンの瞳がジェーンをちらと見た。
「お兄様は怒ってらしたわ。貴女は貴族の園遊会にも出たことがないのに、と。でも、わたくしも初めてよ。大丈夫」
「……不調法でルイーズ殿下にご迷惑をおかけしたら申し訳なく存じます」
「お父様がお兄様にお祝いを仰るだけなの。わたくし達はそれを見ているだけ。その後、お兄様はたくさんお祝いを受けて、でも、わたくし達は見ていれば良いの」
そう言うとルイーズは顔を和らがせる。言葉に詰まるジェーンへメアリは肩を竦めがちに笑顔で話しかけた。
「ロスシー公がアン姫と踊られたら、陛下もお二人もルイーズ姫も退場されて、後は大人達の舞踏会なのですって。貴女は……」
「王太子殿下がおみえになります」
その時、扉の向こうの気配が動き、声が告げる。ルイーズは静かに立ち上がり、メアリはジェーンの方へと引いて他の者と共に腰を落とした。
リチャードが入室すると王女が礼を取る。重く礼を尽くされる気配の中を平然と行くロスシー公は日の沈まない夕庭の彼とは重ならなかった。仕える者達が多く下がるのに続き、ジェーンとメアリもまた扉へ向かおうとする。すると、
「待って」
ふわりと響き、他を制するルイーズの声が短く引き留めた。驚いて振り返る者達の中からジェーンとメアリに小さく頷き、王女は他の者に僅かに視線を送る。それを見て、彼らは部屋を出た。
少ない近侍と警護のみ残る貴賓室でルイーズは笑みを結んだ。
「彼女はもうお兄様にお仕えしないのかしら?」
ジェーンは息を呑む。既にシャトレーンを外す合図を思い出しながら、彼女は誰に打ち明けることもできずにいた。腰にそれが無ければ人目を引くことを思い知らされる。
しかし、王女は絵画のようにそこにあり、少しだけ睫毛が動いた。リチャードが片眉を寄せる。
「お兄様の小枝を持たないなら、わたくしのところに、と。彼女の花と香りがわたくしには一番ですわ」
「枝は渡した儘だ。今は不都合で外している」
不機嫌に答える兄に小首を傾げると、
「そうでしたの。残念ですわ」
ルイーズは微笑み、二人へまた頷いた。その合図に解放され、ジェーンとメアリは退室する。厳かな廊下を緊張気味に暫く歩き、ジェーンの警護が離れてついた頃、彼らは顔を見合わせた。
「ルイーズ姫がご自分から何かを欲しがるなんて初めてよ!」
「……光栄です」
するとメアリはくすくすと笑う。それは彼女の言葉を真に受けていない顔だった。変わらず聡い彼女にジェーンの頬が少し染まる。
「でも、貴女のハーブは王女様が欲しがっても不思議はないと私も思うわ。綺麗で香りがすっきりしていて、いろいろ考えられてるでしょう? 私だってルイーズ姫のところで知ったのでなければ、家に来て、ってお願いするもの。きっとレディ達の集まりで人気になるわ」
「私のハーブはミス・モードとは違いますか?」
尋ねるジェーンにメアリは目を丸くした。
「勿論! 今日ならばスペアミントとウォーターミントにヒソップを重ねたのが貴女らしいと思うの。ミス・モードならば一つにするか、両方使ったらヒソップではなく、もっと重い香りを加えて複雑にするんじゃないかしら。宮殿っぽいけれども、お部屋に欲しい感じではないの」
饒舌に語る彼女に今度はジェーンが驚く。明るいブラウンの瞳をじっと見て、彼女は嘆息した。
「お詳しいのですね」
「ド・ヴィアーは薬種商組合を後援して来たから、そういう人の出入りが多いのよ。だから、自然とこうなるのね」
先に
「聞いて。その薬種商が今、弱って来て、変な仕事に手を貸す人もいるそうなの。香草を手に入れる時は気をつけて。それと私は……」
何かを言おうとし、メアリは目を伏せ、口を引き結ぶ。彼女の天真爛漫に明るい姿ばかりを見て来たジェーンは目を見張った。
しかし、彼女は頭をもたげるとにっこりと笑う。
「でも、良かったわ、お姉様のお支度が貴女に役立ちそうで。お姉様、去年予定されていたお祝い用に仕立てたドレスが今年は入らないんだもの。私はまだ歳が足りなくて出られないし、無駄になるところだったわ。貴女のお支度が間に合わないと聞いた時は……」
急にメアリははっとし、慌ててジェーンの袖を引いた。彼女が身を屈めると耳元にメアリは口を寄せる。
「ロード・ハイドからプロポーズされたんですよね? ご結婚されるんですか?」
「ち、違います」
咄嗟に答えたジェーンを見つめ、彼女はまた小声で囁いた。
「ロード・ハイドを振られたんですか。その話もかなり興味ありますが、貴女がまだ<香草の乙女>をするなら嬉しいです」
そう言いながらメアリはジェーンの掌に硬い物を握らせる。彼女が身を離して横に並ぶ合間にジェーンはそれに視線を落とした。それは恐らくヴァイオレットの刻まれた銀のロケット。しかし、その蓋は開かず、金具が溶接されて、代わりにカモマイルらしき愛らしい縁取りが施し直されている。
「この二つと山楂の組み合わせは私。何か一つでもあったら気にしてね。言葉や絵で他のものがないか。三つ揃ったら私が使う薬種商よ。きちんとした香草が手に入るし、頼み事をしても大丈夫。伝言くらいは運べるわ」
メアリは邪気なく笑った。しかし、明るい瞳がかすかに揺らぐ。
「私、少し前から気にかかってることがあるの。今は言えないけど。もしかするといつか私も貴女に頼み事をするかもしれない。貴女は信じて良いでしょ?」
それきり彼女は詳しいことを話さず、ジェーンの部屋で姉のドレスを宛てがい、楽しそうに指示を出し続けた。そこに深刻な気配は窺えず、先刻の打ち明けは十二、三歳の幼い相談のようにも思える。
祝賀を直前に控えた日、ジェーンはジョンの迎えを受けるため、ド・ヴィアー家のタウンハウスへソフィと共に移った。
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