第21話 アロエの効かぬ傷
ジェーンの警護者に促され、宮殿へ戻った二人をリチャードは廊下で迎えた。グレーの瞳の激しさは中庭での出来事を知っている。彼は彫像の前、ジョンを塞ぐように立ち、
「体を動かしたい。拳銃とサーベル、どちらが良い?」
王太子に銃を向けることは遊びでもしない。決闘を示唆することは明らかだった。
公務なされる宮から顕な庭の出来事は目撃者が多いだろう。年若いロスシー公にその目と口全てを塞ぐことはできず、ジョンの行為は必ず噂となって駆け巡る。クラレンドン伯爵の継嗣が<暁>を奪った、これであれば、まだ良い。<妖花>が伯爵家の宿り木と宮廷に咲く。後者がより好まれ、世を賑わすことは想像に難くなかった。
「サーベルを」
ジョンが静かに唯一の選択肢を答えると、リチャードは踵を返す。ジョンはそれについて行った。
古びた練武場の扉が軋んで開く。
「私を怪我させても不問と書いて来た。遠慮は要らない」
リチャードは右手袋と
左腕を後ろに二振りの刃が正面へ構えられる。切先が小さな音と共に交わるや、リチャードの剣は撓めて襲い掛かり、ジョンは平刃でそれを止めるとすかさず打ち返した。剣先の撃ち合いが続き、グレーとブルーの目が互いを捉え合う。
リチャードは下方へサーベルを突き込んだ。後ろへ下がるジョンの刃は真っ直ぐリチャードの胸元へと伸びる。互いに切先を向けた儘、半円を描いて歩くと今度はジョンが王子の剣へと刃を叩き込んだ。それをリチャードは跳ね上げ、一瞬、距離を取ると再び斬り込む。ジョンが攻撃を
最初の血の一滴。それが流れることなく、どちらも引くことはできない。
二人の剣がバインドし、交差した儘、震えている。次の瞬間、ジョンのサーベルが巻かれ、刃を潜り抜けたリチャードの刃先がジョンの肩を切った。
鮮血がシャツを染める。
「あれは君の遊び。それでいいな?」
リチャードは肩を上下させながら剣をまだ引かず、彼を睨んでいた。破れたシャツに左手を宛てがいながらジョンはサーベルを下ろしたが、その視線を受け返す。
「今はこれが一番、彼女を守れるはずです」
「今はだろう?」
息を荒く吐き出すとリチャードは冷ややかに言った。
「君は<夫人>を誰に差し出すこともできる」
「<王の香り爪弾く乙女>になるのを手伝うこともできます。婚約しなければ」
冷静に返すジョンに灰色の目が怒る。しかし、それを難じるようにジョンはかすかに視線に力を込めた。
「望みを叶えさせないなら、殿下は侍女になることを命じるべきです。大事にされ過ぎるから危ぶまれて、陛下が取り上げることにもなりかねないのでは」
「判っている!」
「でしたら、リチャード様は僕達を気にかけず祝宴は過ごされてください。今日のことは尋ねられても上手く答えます。彼女はまだ十六になっていませんので何とでも言えます」
肩を抑えた指から血が伝う。リチャードは眉間に皺を寄せながら眼光鋭くジョンを見、それから顔を逸らした。大股に歩き去る彼は扉を開けると、
「手当をしてやってくれ」
不機嫌さを抑えた声で告げる。幾人かの足音が遠退き、ドレスの裾音がジョンへと近付いた。ソフィがリネンとガラス瓶を差し出すと、
「ご苦労様」
彼はやっとサーベルを置いて振り向き、微笑みを浮かべる。血の付いた左手を淡々と拭い、ジョンはガラスを日に透かせた。それを暫く見守った後、彼女は無表情な顔を崩す。
「火種を撒かないでください。あの人を奪われまいとする時だけは殿下は……」
「<
ソフィの言葉を遮りながら彼は瓶を傾けた。アロエの液が掌に広がる。
隣りの少し驚いた顔が目に入っていないように手を見つめ、ジョンは語りかけた。
「殿下の評判が心配なのは判るよ。噂だって君は一役買ってるだろうし、それはジェーンを失って殿下が感情的にならないため、噂で周りに認めさせてしまうつもりなんだろう。でも、僕のことは止めたって次の誰かだよ。キリがない」
彼への警戒心を全身に漂わせながらソフィは顎を少しもたげる。
「ご自分の心配をなさっては」
「ジェーンと結婚したら殺されるかな、と思ってるけど?」
しかし、悪戯っぽく笑いかけるジョンに彼女は目を剥いた。その様子に彼は肩を振るわせかけ、少し顔をしかめる。
「君でもそこまでは考えないのか。僕は君に淡々と毒でも運ばれるかと思ってたよ」
「リチャード様はそういう方では……」
「僕が彼女の夫でも? 未来の伯爵夫妻として盛大に結婚式を挙げるよ? それだけでもリチャード様は僕が憎いと思うけど」
「ロード・ハイドの命懸けの忠誠心は判りました」
眉根を寄せ、断ち切るように言うソフィにジョンは苦笑しながら視線を流す。
「嫌味だなぁ。そういう尖った子も可愛いけどね。殿下の好みじゃないと思うよ?」
途端、彼女は唇を締める。表情は消えた儘、震えそうなソフィを困ったように見た後、彼は溜息をついた。
「ごめん。君も頑張り屋さんだから苦労するね。僕を殺す時は毒殺でも刺殺でも正面からおいで。不意だと返り討ちにしちゃう。そうだ、容疑がエドにかかるヘマをしないでよ?」
楽しい話をするかに明るい表情と抑揚弾む口調で語るジョンを睨み、彼女は再び説く。
「ですから、もう少し殿下とご自身を守る道を考えてください。ご友人でしょう」
しかし、彼は少し天井を見上げると息を吐き出した。手が血のついたリネンを取り、掌のアロエを拭う。それをシャツの破れにジョンは押し込んだ。
「僕も頑張ってこうなってるの。好きで傷を負ってると思う? 一緒に生まれた弟も、友達のはずの殿下も、降って湧いた女の子も僕は嫌ってない。僕が避けられてるの。でも、跡取りとして恵まれたし、殿下と近くて良い思いはしたし、女の子は可愛かった。文句は言えないよね」
ジョンはソフィに背を向け、クラヴァットを締める。羽織ったウェストコートがシャツの破れと血を隠したが、少しずつ赤い染みが浮き出した。その上にコートを着込み、彼はソフィの元へ歩み寄る。
「有難う。でも、もういいよ。この傷にこれは効かない」
アロエの瓶を返すと、ジョンは踵を返した。
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