3章 輝ける日のローズマリーは

第17話 金まとうチャプレットの葉

 扉にイチイが門を成し、続く身廊に花が咲く。

 水仙、鈴蘭、ライラック、歩みと共に季節は進み、先人の碑へ捧げる常緑の葉もこの日は金と銀とをまとっていた。シスル、ローズに柳蘭、純白の星の花びらを開かせ甘く匂うはステファノティス。その先、戴冠の石を取り囲み、ラナンキュラスが咲き乱れた。

 緋の幕の張られた寺院は飾られ、輝く季節の戴冠を一層、鮮やかに彩ろうとそこに待つ。喪の明けた晴れやかさと紛うことない夏の日差しは王の祝賀を照らし出そうとしていた。


 <王の香り爪弾く乙女>と令嬢達の集う部屋にジェーンは踏み入れる。モードを除く十二の目が一斉に彼女へ向いた。

 白のドレスにサフラン色のヴェールをまとい、淡紅の薔薇の花と葉に金を施したチャプレット花冠とフィンガーブレスレットをつける彼女は暁の明かるような美しさを誇る。

 皆の集う予行の場へリチャードは一度も彼女の出席を許さなかった。モードさえジェーンの参列姿は初めて知るはずが、彼女は動じる様子もなく、よく似たサテンのドレスを鳴らし、厳かな緋のマントルを波打たせて少し微笑む。ジェーンに付き添うソフィが警戒するのも見つめてから、彼女は声を転がした。


「レディ・ジェーン、少しわたくしの花籠を見て頂けません? 貴女の目にも華麗かしら。花やがせることで貴女の右に出る人はいませんもの。頼みにさせてくださいな」


 一際、絢爛な机に大切に据えられている美しい籠をモードは指し示す。それは令嬢達も近づかない特別な存在だった。ジェーンは驚いたように師を見返したが、彼女はゆったりとそちらに体を向けながら、目を細める。ジェーンは膝を折ると、その籠へと寄った。


「心を痛める仕事を望みますか?」


 彼女がその中へと視線を落とした時だ。鷹揚な表情を少しも変えず、モードのささやく声が降る。ジェーンは身を固まらせた。


「私は<王の香り爪弾く乙女>を望み、手の汚れも心の痛みも厭うのをやめました。ですから、貴女もそれを望むなら陛下にお願いして貴女を最後の一人にしてあげます。この戴冠式のお役目を果たせば、それはできます」


 モードの声に耳を傾けながら、ジェーンは籠の香りを聴き取り、花を見つめる。

 ローズマリーも茴香フェンネルも青葉は金粉を着て煌めくのを待っていた。季節のラベンダーは瑞々しく、国中の野の蘭を集めたような<王の香り爪弾く乙女>の花籠は格調高い。そこに不安など、あろうはずがなかった。


「ですが、<王の乙女>です。その名だけでも人は邪推しますし、邪推でないこともあります。陛下の下で務め上げる覚悟はありますか? 貴女の望みは何?」


 最後の言葉に彼女の心臓が跳ねる。

 それを見透かしたようなモードの美しい瞳が辺りに笑いかけ、手が籠の中で花々をふわりと舞わせた。女性達の溜息に似た声が上がる。


「<王の乙女>を望むならシャトレーンの手帳だけ磨かず黒ずませなさい。話を進めます。急ぎならシャトレーンを外す。これが最後のレッスンかもしれません。迷う内に手詰まりになるより何かを選ぶの、ジェーン。何か一つでも手に入るなら、手に入る内に」


 黄金の小麦に葡萄とローレルの葉をあしらったチャプレットを被り、金に縁取られた肩衣を着こなして悠然と座るモードはこの場を支配する重みがあった。

 ジェーンは少し考え、顔を上げる。


「カンパニュラを少し足されるのはいかがでしょうか」

「そうね、遠目にその方が映える気がするわ。少し試しましょうか。そちらの花籠を取ってくださる? ええ、その青紫のお花のたくさん入った籠」


 モードが余所を向き、ジェーンはそこを離れた。

 ソフィが彼女をじっと見ている。しかし、言葉を発することなく、ただ席を用意して彼女は装いを直し始めた。それはロスシー公の支度と知られている暁の乙女役に綻び一つないため、と彼女の淡々とした瞳と指の動きが告げている。

 その器用な手がジェーンのヴェールを丹念に整えた。戴冠式で暁を務めるのが、あのアプリコットの花咲く離宮でリチャードの馬に乗った赤い<妖花>という噂が陰で最も興味を引いている。ソフィはまるでその髪の色を包み隠したがっているようにジェーンには見えた。

 自分は花形を望んではいない。

 ジェーンはモードの、望みは何かと問う言葉をなぞりながら、思う。


「どうして殿下が薔薇にきんをかけたか、お判りですか」


 その時、突然の潜めた声にジェーンは心底、震えた。このような場で侍女の分を超える人ではないソフィのアンバーの目が鋭く、彼女を射抜いている。

 リチャードがチャプレットに妥協できずにいたことはジェーンも当然知っていた。他の令嬢と似て暁の色であるローズ、コロナリア冠草と詠われ香草の乙女らしいローズマリー、どちらも彼は嫌がったが、その心までは彼女は打ち明けられていない。


「薔薇もローズマリーも花嫁が被ります。ローズマリーに金を施せばより婚姻の印象ですが、薔薇ならば金によって意味は薄まり、暁に寄るとお考えになったのでしょう」


 間近でチャプレットを直すように寄せたソフィの顔は、ハーブ・ストゥルーワーがそんなことにも気づかないのかと責めていた。


「殿下のお気持を踏み躙るなら、その前に私が貴女を踏みます。宮廷にいる以上、殿下のためにしか香らせません」


 戴冠式開始を告げる使者が来る。

 花々匂う式場の、王の前に鮮やかな香りが踊り立ち、そこには踏まれた香草が残された。金も銀もまといながら緑は凋れ、地に伏せる。

 若いロスシー公爵と麗しい暁の噂はまことしやかに賑やかにその日から立ち上って行った。

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