第15話 月と明時

 王宮漂う冷たい風はローズマリーを運び来る。喪に服する香は絶えることなく、しかし、その染みる広間において祝典の準備もまた進められていた。

 非公式ながら、国王、王太子の揃う談義。モードの顔があることに居並ぶ国務大官らが眉をひそめる。しかし、それらを見えないかに彼女は国王間近で、来たる戴冠式についての意を伝えた。


「陛下、新しい御代に新しい乙女を迎えるのはいかがでしょうか。既に二十代も半ばを過ぎましたわたくしは晴れの装いに耐えますかどうか……」


 惑う表情を作るモードに新王は笑う。


「四十を過ぎ、立派に務め果たした者もあったのに弱気なことを」

「<王の香り爪弾く乙女>は代を超え、長く仕えることで王室の永続を象徴すると聞きましたが」


 リチャードがすかさず言を差し入れた。その目はモードを射抜くが、彼女はどこ吹く風と受け流す。彼に賛同したのは国王だった。


「その通りだ。そなたは先王に仕えたとはいえ、実際に任じたのは私であったし、よく仕えていることを皆が知っている。流れを断つ不自然さが目立ちかねん」

「愚かなことを申し上げました。お許しください」

「いや、そなたのことだ。私が摂政であったからこそ新しい代と誰にも知らせる術を、と思ったのだろう。いつもよく考えてくれる。その考えも一理あるのだ」


 一考する素振りを見せる王にリチャードは僅かに眉根を寄せたが、すぐ無表情の中、それを包み隠す。その代わり、淡白に彼は意見を出した。


「補佐の乙女を多く参列させてはいかがでしょう。式典も繁栄に相応しい豪華さになります」

「時代に逆行する。古い慣習好みの浪費と言われるぞ」

「令嬢の参列を功臣への褒美としては? 支度は家で整えるはずです」

「悪くないが、理解して見る者ばかりではないからな。選ばれず逆恨みする者も現れる。重要でもない事柄だ。そう一々、真剣にならんで良い」


 王がまだ若い王太子を嗜めたその時だった。


「陛下は摂政でいらしたので、ご即位の特別さを示す必要はあると存じます。新宮殿では新たな<王の香り爪弾く乙女>を任じないこと、先に公にすれば数が多くとも香草の乙女らを労う花道で済むのではありませんか」


 それまで控えていたファイフ公爵が重々しく語り始める。落ち着いて油断ないその姿に場の緊張が増した。リチャードが警戒して無感情な目を向ける先、彼は笑みを湛えている。

 モードはそれに視線を流すと再び発言を求めた。



「王太子殿下がお出ましになります。応接室へお支度を」


 与えられた私室で香草を扱う他にすることもなく、ジェーンが秋のマージョラムから葉を取り分けていると、ソフィが現れ、無機質に告げた。

 王宮の話など知る由もないジェーンが気遅れてもソフィが何か教える様子はない。執務室で再会してから初めてリチャードと会う緊張に指を冷たくしながら、ジェーンは応接室へと向かった。


「戴冠式の<王の香り爪弾く乙女>に従う令嬢として君も選ばれる」


 しかし、リチャードはさり気なくそこに現れると、長椅子に少し身を寛げてそれを告げた。意外そうなジェーンを覗くように見上げてから、彼は自分の前に座るよう指し示す。


「式典の<王の香り爪弾く乙女>の装いは満月を思わせるので、君には暁と重なる装いを用意する。そのつもりで」


 ハーブ・ストゥルーワーの務めを超える思いがけない役を請われ、途端にヘーゼルの瞳は不安に揺れた。


「わたくしに役者を?」

「役目を降りるか? 令嬢達から代わる者を選ぶ」


 リチャードは表情を変えず、ジェーンを凝視する。その目にいつもの鋭さはない。しかし、えも言われぬ力が彼女を試すように迫り、彼女の視線を絡め取った。

 ジェーンは唇をかすかに開けたまま、息を詰める。それを暫く見た後、彼は姿勢を安らげ、目を細めた。


「心配しなくとも、その儘で夜明けの気配だ」


 リチャードの指先が目元に伸びる。かすかな風が頬を撫で、遠い体温の存在を肌が知る。惑う指がほんの僅かに遅れ毛に触れると彼はヘーゼルの瞳を見つめ、また長椅子に座り直した。

 それでも目を逸らさず、リチャードは戴冠式へと話題を戻す。


「君の装いはどうしたい? 令嬢達は淡い薔薇ローズヴァイオレットをサッシュや花冠にまとうらしい」

「戴冠式は再来年まで待たれるのですか?」

「喪が明けてすぐになるはずだ。春先の花は温室で学者達が時期に合わせるだろう」


 ジェーンの疑問が奈辺に根差すか、彼は捉えて答えた。


「ローズ、ヴァイオレット、デイジーくらいはもうかなり時を合わせられる。そういう時代なんだ」


 真剣さを増すグレーの目は何かを言いたげで、それは彼女の目指すハーブ・ストゥルーワーの道についてであろうことはジェーンにも察しがつく。彼女の睫毛が揺れ、リチャードは表情を変えた。


「君は白の野いばらが似合いそうだ」


 赤い髪の鼈甲櫛を眺めながら、唐突な言葉を声に乗せて彼は微笑む。ジェーンはリチャードの気遣いに何とか応えようと困ったように笑みを返した。


「香草の乙女はドレスも白のはずですが」

「女性の感覚は難しいな。君はサフラン色の薄絹を引くから冠が白でも……もう、いっそミス・モードと対で金冠はどうだ」


 初めて見るような打ち解けた姿と、ジェーンにはあり得ない提案に彼女は驚き、礼を忘れて語気を強める。


「それではミス・モードに申し訳が立ちません!」

「暁の見立ては彼女の提案だ。金冠は暁の象徴。大丈夫だろう。そうすると金の腕輪をつけるのがしっくり来るな」


 しかし、リチャードはそれを受け流すように肩をすくめ、彼女の指先を手に取った。


「殿下、豪華過ぎてわたくしには不相応です」

「私が用意するのに余り粗末にさせるな。王太子の権威に関わる」


 ジェーンの再びの抗議に彼は寂しそうに目を細める。そのどこか甘えるような仕草にジェーンは鼓動が打つのを感じた。


「殿下がご支援くださるとは思いませんでした。お礼を申し上げます」


 伏し目がちに丁重な言葉を述べ、彼女は心に線を引く。その心機を鋭く察し、リチャードの顔から気色が消えて行った。


「だが、君は<王の香り爪弾く乙女>ではない」


 先刻までとは異なる声が告げる。顔を上げたジェーンの前には王太子が座っていた。


「そして、次それを選ぶのが私としても、私が必要とするとは限らない」


 触れ合っていた指先が離れる。手袋越しの触れ合いは温もりを交わすには足りず、二人はまだ互いを知ることができなかった。

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