第14話 都鳥のパーチ

 崩御に伴う数々の儀式のため、モードが都に留まる中、共に働くつもりでいたジェーンはコテージに置かれた儘だった。王族も馴染む顔もない離宮はあの冷たい夏に似た風が吹く。

 彼女はただ一人、喪服でセージの花を摘んだ。摘む程に積もる香りの中、彼女の喪中の安らぎに心砕いたリチャードがそれを得られないことに思い当たり、ふと手が止まる。


 それは石鹸草ソープワートも咲き終わる秋めく日に届いた。

 王室の馬車にモードを期待し飛び出したジェーンの前、伝令が厳かな紙を差し出す。蝋印には翼開く都鳥。それは新しいロスシー公爵の副紋章に違いなく、最早、彼が子供でないと知らしめる儀礼のようでもあった。

 だが、重責担うリチャードから直接、文書の届く事態がジェーンに思い当たらない。彼女はそれまで装飾であったシャトレーンから急ぎペーパーナイフを取り出した。


「式典の宮で香草の乙女を?」

「この馬車でお連れするよう命じられました。どうぞお支度を」


 思わず呟いたジェーンに伝令の男は淡々と告げる。

 困惑しながらも彼女はコテージに戻り、いつでも都へ発てるよう整えてあった鞄をバリーに預けた。そして、自分は慌てて格の高い喪服へと着替える。最後に黒のリボンを取ろうとして、机の木箱が目に入った。止まった手がその蓋を開けるとピクウェの櫛とブローチが現れる。ふと考えた後、ジェーンはその箱を持って部屋を出た。

 離宮から都は五時間程だ。騒がしい街中を抜け、馬車は旧王宮へと辿り着く。政務も国王の住まいも新宮殿へ移り、今は式典のみ行われるそこは人の生きる気配が薄い。近衛兵の儀礼の前を通り過ぎ、彼女は王太子の執務室へと案内された。一段と大人びた彼を見出し、ジェーンは深々と腰を落とす。


「お役目を頂きましたこと心よりお礼申し上げます」

「そのことだが……下がってくれ」


 人払いを済ませたリチャードは立ち上がり彼女に歩み寄った。何気なく差し出された手を取ると、彼は部屋の奥へと彼女をいざなう。

 火の消えた暖炉の前で立ち止まるまで、彼はどこか距離があった。そこにロスシー公という地位をジェーンが感じている前でリチャードは向き直る。二人の腕の下りない位置から彼は真っ直ぐに彼女を見つめると、


「側にいたい」


 指を握る手に力が籠った。グレーの瞳に宿る熱にジェーンは息を飲む。


「香草でも王でもなく私に仕えて欲しい。今すぐとは言わない。ミス・モードと遜色ない務めはここで行えるようにする。心に整理をつけてくれないか」


 少し前とは異なる力強さが彼にはあった。同時に穏やかなゆとりは薄れ、切迫する鋭さが漂っている。

 ロスシー公に叶えられない彼女の望みはあっても、潰せない望みがあるだろうか。

 ジェーンは本心を告げるか迷った挙句、口を開いた。


「<王の香り爪弾く乙女>はわたくしの生涯一つの夢と思っております。叶えることをお許し頂けませんか」


 自身を欲するグレーの目から彼女は目を逸らす。

 その言葉は偽りではなかった。ジェーンの望むハーブ・ストゥルーワーとは、ただ香草を撒き、場を浄める乙女ではなく、あの旅で見た冷夏に夏を施せる程、知を時々に惜しみなく役立てるモードの姿だ。一人、コテージで花を摘みながら、メアリとの時を思い起こし、彼女はそれに気づいてしまっていた。それが許されるおおやけの立場が欲しい。

 ジェーンを捕える指は翻意を促すように離れなかったが、やがてその力が緩み、指先が空を泳ぐ。


「夢は現に消えるものだ。君を振り向かせることを夢とは私は言わない。君がその職を得ることはないだろう」


 リチャードはジェーンに背を向けた。

 彼は無言の儘、執務の机につくと木象嵌の手箱を開け視線を落とす。静かさが幾度か震えて割れそうな時が経ち、リチャードはその蓋を閉めた。


「君には警護をつける。レディ達の席にはソフィを伴い、居住棟ハウスを出る時は私の許可を。ミス・モードであっても許しなく面会は許さない」


 彼がベルを鳴らすとソフィが現れ、無言でついて来るようジェーンを促す。彼女にはそれに従うしかなく、リチャードがこちらを見ることを拒むように体を背けているのが最後に視界を掠めた。


「レディ・ジェーンは何をお望みですか?」


 案内された部屋でソフィが冷ややかな琥珀色の瞳を彼女に向ける。


「私はハーブ・ストゥルーワーに……」

「それだけが望みならば教会にでも雇って頂けば良い。貴女がお好きなのはハーブではなく宮廷では?」

「そんな!」


 咄嗟に零れた声にソフィは淡々と言い返した。


「私は好きですよ。宮廷にいれば最先端を知れますもの。ここにいられるよう、どんなこともしてみせます」


 姿勢良く、少し顎先を上げるソフィは自信を誇りながら、どこか無理をしているようでもある。ジェーンは目縁を狭めた。


「ミス・ストートンは殿下のお側に仕えたいから侍女をなさるのかと思っていました」

「勿論。宮廷かロスシー公か選ぶ時は殿下しかあり得ません」


 その言葉をやや考えてからジェーンは目を見開く。ソフィは眉根を寄せながら薄く笑った。


「考えたこともないお顔ですね。殿下に望まれてもう五年なのに。だから私は貴女が嫌いなんです。ハーブが好き? 好きだから許される程、お家は恵まれてました? ミス・モードのお力だけで今の暮らしができるとでも?」


 彼女の視線がドレスを撫でて下り、美しくレースの揺れるスカートで止まる。その黒い絹の中、シャトレーンが埋もれ気味に輝いていた。


「お計らいに気付かなかったとは思えません。認めたら殿下にお応えすべきだから目を背けていたのでしょう? そんな人は宮廷に向かない。ロスシー公の足を引っ張ります。どこへでも行ってハーブと戯れてください。私が貴女に最高の場を探しても良い。二度と戻って来ないように!」


 最後、吐き出すように言うと、ソフィは感情を抑え直し、宮廷人の顔を作る。


「私達の月桂樹に都鳥は止まっていません。私はロスシー公から改めて月桂樹を頂き、私を信任頂きたい。そして、大変な殿下の止まり木パーチになるんです。お互いの夢のため、貴女をお手伝いします。貴女にはこの気付け薬入れヴィネグレットの恩がありますので、ご遠慮なく」


 しかし、冷たく表情を消そうとしながらアンバーの目は炯々と人を射て、彼女がジェーンにだけは都鳥の紋章入る月桂樹を渡したくないことを如実に語っていた。

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