第12話 伯爵家のメイフラワー
「ジェーンは畑?」
帰宅したモードはコテージの気配を窺い、セシルに尋ねた。彼女は少し顔を曇らせる。
「はい。ケリーを行かせましょうか」
「今日はまだ良いわ」
モードは懐中時計を見つめ、嘆息した。何かを深く考え込む瞳は緑を帯びて照明の明かりに揺らめく。
「
早春、二人の深窓の姫君が花を詣でた話は瞬く間に宮廷を広がった。表に出ることの少ない奥床しいプリンセスの心を捉え、野に
そして、その立役者として<香草の乙女>の存在も陰でささやかれていた。その件以来、ルイーズ王女は度々ジェーンを呼び、ロスシー公もそれを許している。姿の見えない王女にまつわる形ある噂として、それは宮廷人の密かな関心の的だった。
モードはシャトレーンの位置を指し示し、首を横に振る。
「リチャード殿下からお話を頂いているので、それはありません。殿下の意を上回れるのは陛下とロスシー公だけです」
「ご兄妹揃って随分とお嬢様をお気に召したのですね」
「そうであれば良いのだけれど」
「……何か?」
「いいえ。それより迂闊なことを言わないで」
敢えて厳しい視線を一瞬作るモードにセシルは指先を唇に当てた。
ルイーズの噂と共に広がる陰口がある。曰く、<妖花>に蕾がついた、それは赤い花らしい。摂政王太子に取り立てられたモードとジェーンを重ね、人々は言い立て、アプリコットの林で王子の馬に乗ったことが伝わると非難は一層、強まった
「まったく綺麗な目や髪をしてるからって何だと言うんでしょうね! お嬢様の方から近寄れる方々でもないのに」
「だからこそ、魔法と思われるのよ」
モードは予期していながら防げない数々に溜息をつく。それから、やおら背筋を伸ばし、彼女は目線を据えた。
「やはり呼びに行かせて。セシル、もう畑には行かせないで。あの子はもうハーブは充分知っているわ。今、必要なのは宮廷の生き方よ」
その頃、畑に今年、二度目のセージの植え付けをしていたジェーンの頭上から思いがけない声が降り注いでいた。
「ごきげんよう」
明るくまだどこか幼いその声に彼女は振り仰ぐ。ルイーズ王女の遊び相手として離宮に招かれるメアリ・ド・ヴィアーが柵の向こうで満面の笑みを浮かべ、楽しげに首を傾げていた。バリーが慌てて礼を取り、ジェーンも軽く膝を曲げるが、それを待ちかねるようにメアリは茶色の瞳を輝かせている。
「この間は楽しかったわ。お呼ばれして、あんなに楽しかったのは初めてよ。離宮のアプリコット林の話をすると姉妹どころか兄にも羨ましがられるの。アプリコット・ブロッサムを上手に使った貴女のお陰ね」
ジェーンが近寄ると待ち切れないとばかりに彼女は話し始めた。
「でも、私はあの香草がもっと気になっているの。あれは貴女が組んだの? ミス・モードの合わせ方と違う気がするわ」
「私の考えで加えた香草もございます」
溌剌とした少女らしさと、十一歳にしては大人びた話題にジェーンは少し圧されながら答える。
「そう。新しいって好き。眠気が醒める、というのは冗談。でも、本当にあちらの方が好きよ。いつもは少し頭が痛むのだけど、それがなかったの」
「それは良うございました。きっと質の良い香草でしたお陰です。私の力ではないかもしれませんが、嬉しく存じます」
メアリはジェーンをじっと見つめた。それを不思議そうに受ける彼女を見届けたように、子供の印象の増す笑顔をメアリは結ぶ。それからレースをかけた籠を差し出した。
「お礼に家の
籠一杯の花をつけた小枝にジェーンも自ずと目が輝いた。
「有難うございます! 棘に指を傷められたのでは」
「大丈夫よ。
メアリは蠱惑的になれない明るさでその笑み方を試みる。ジェーンは思わず顔をほころばせた。
「何か守られる気も致しますね」
「あら、貴女は守られたいの?」
無邪気にも鋭くも思える表情でメアリの声が返る。ジェーンがどきりとする前で、しかし、彼女は愛らしく思案顔をすると、また明るい瞳を真っ直ぐに向けた。
「そうね、守られたい時もあるわ。迷信深いレディ達はどうせすぐに興味をなくすから、これは貴女にあげたかったのだけど、たまに迷信で遊ぶのも良いのかもしれないわね。確か守ってくれるのよ? 折角ド・ヴィアーの山楂は名高いんだもの。いろいろに使う方が山楂も摘まれた甲斐があるわ」
まるで年上の女性と話すかの錯覚をジェーンは覚え、メアリを見つめる。
ジェーンはまだド・ヴィアー家が薬種商と縁深いことを知らなかった。王女のためのハーブに
伯爵令嬢はあの常と違うハーブをよく弁えてジェーンを訪れていた。彼女は幼い伸びやかさと不思議な賢さを織り交ぜ、問いかける。
「貴女はミス・モードの跡を継ぎたいのでしょう?」
「……ハーブ・ストゥルーワーにはなりたいと思っております」
「王室には拘らないってこと? まぁ、いろいろ噂はあるものね」
メアリは小首を傾げた。しかし、その顔に深刻さはなく、すぐに溌剌と喋り出す。
「でも、ミス・モードみたいに飾りの顔をして、役に立ってしまえば誰も辞めさせたりはしないでしょ? 貴女だって<王の香り爪弾く乙女>になってしまったら良いんじゃない? 王室の方が良いハーブが手に入るわ。うちの山楂みたいにね」
彼女の笑顔が弾けた時だった。
「失礼致します、レディ」
控えていたメアリの添い人が声をかける。ケリーが木立から姿を現し、深く腰を下げていた。その向こうにメアリを案内して来たらしい人の金髪が木々の間から覗く。
「お時間ね。私もロード・ハイドを待たせてしまったわ。また殿下のところでお会いできるでしょう? 私、楽しみにしているの」
メアリは闊達に身を翻し、それは春めいた日の風のようにそよぎ去った。
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