第11話 アプリコットの飾り花

 通されたリチャードの応接室でジェーンは思わず動きを止めた。一つ一つはささやかな品がテーブルに溢れ、煌びやかに、つややかに、華を競っている。金銀、象牙に真珠貝、クリスタル……貴婦人を彩るもので、ここにないものはないとさえジェーンには思えた。


「ソフィは目立たない物が良いらしい。侍従に女性同士と言ったら香水瓶や化粧道具を勧められた」


 リチャードはテーブルに触れながら彼女を誘う。ジェーンには近づくのも躊躇われる品を何気なく手に取る彼はやはり遠い人だった。離れて久しい彼女の実家にこのような物は母の愛用品しかなく、それさえも今はどうなったか判らない。

 ジェーンは目を瞑った。彼女がリチャードの誘いを受けていれば、少なくとも母の形見は彼女が手にし、残せているだろう。

 隠れて吐息をつくと彼女は姿勢を正した。目映い品々を見て回り、ジェーンの視線が止まると、自然とリチャードの手が伸びる。時に尋ねると彼は嬉しそうにそれに応じた。

 ジェーンが最終的に手にしたのは、親指の先程な本を模った金細工である。


「それが好きか?」

「ミス・ストートンは本が似合われる気がして」

「確かに読むな。気付け薬入れヴィネグレットは侍女の持ち物にも合う。それにしよう」


 金であることにジェーンが迷う横でリチャードは決断を下す。彼の一言で周囲は動き始め、ただ一つを恭しく持ち去ると他を片付け始めた。

 新しくティ・セットの運ばれて来た席にリチャードは歩むと彼女を顧みる。ジェーンは膝を折った。


「殿下にはいつも助けて頂くばかりで申し訳ありません」

「……では、頼まれてくれるか?」


 酷く真剣な声にジェーンは密かに息を飲む。自分の言葉が欺瞞と彼女は知っていた。彼へ返すには侍女として仕えるだけで良い。今まで幾度か彼に仄めかされた月桂樹。それを思えば、侍女は謝罪として与えられるのではなく、彼自身の望みと知れた。

 今度こそ彼がはっきりと求めるのでは、と彼女が不安を隠そうとしていると、


「妹の遊びの席の香草を君に任せたい」


 予想に反し、リチャードの口からはハーブ・ストゥルーワーの役目を請われる。ジェーンは慌ててそれを拒んだ。


「王家の方々の香草は<王の香り爪弾く乙女>でなければなりません」

「ミス・モードの責任で君が撒けば済む」


 慣れた様子で口にする彼は一瞬、気遣わしげに眉をひそめる。<王の香り爪弾く乙女>を軽んじれば、彼女が傷つくと知ってのことだった。


「ルイーズは余り人と馴染まない。復活祭で珍しく君に興味を示したから側にいるのも良いかと思った。私も周りに歳の近い者が少ないが、王女は尚更だから」


 十歳の王女は麗しさを讃えられる一方、主張のない霧の情景のようだと宮廷の裏舞台で囁かれる。その王女が自分を指名することに違和を覚え、どこか出会った時のリチャードを彼女は思い出した。


「お許しを得ましたなら」


 ジェーンが恐る恐る頷くと彼は珍しく身を寛げて笑う。その安堵の濃さに戸惑いながら、彼女もそっと息をついた。


「父上に私から頼んでおく。君はミス・モードと支度を始めてくれ。ファイフ公のプリンセス・アンと、オクスフォード伯のレディ・メアリが六日後に来る。何か知りたいことはあるか?」

「お二方はお幾つでいらっしゃいますか?」

「アンは私より二つ下だ。レディ・メアリは、三つだったか」


 それから急にリチャードは真剣な表情になり、彼女の視線を捉える。


「……プリンセス・アンは恐らく私の妃になる」


 彼はジェーンの瞳を見つめていた。その打ち明けの意味が判らず、ジェーンは途方に暮れて沈黙が流れる。それにやがて耐えかねたように彼は長椅子に身を埋め、独り言のように語り出した。


「昔から聞き分けの良い無口な人だ。愚痴も弱音も聞いたことがない。ルイーズも余り話さないから、レディ・メアリがいつも話している。彼女がいずれルイーズを支えてくれたら心強そうだ」


 その言葉を思い出しながら、ジェーンは王女の間に香草を散らす。ドライハーブの数々に新芽のセージの緑を混ぜて床にはらはらと鏤めては彼女は踏んで行く。そうして姫君の前の香りを整えた後、ふわりとアプリコット・ブロッサムを舞わせた。

 途端に少女達の顔が輝く。


「綺麗」

「本当。春のお花を別にされたのね」


 一際、瞳明るく視線を送るメアリにジェーンは顔を伏せた。彼女はこの場ではあくまでもハーブの撒き手、影に控えるのが相応しい。その時、


「失礼する」


 声と共にリチャードが入室し、ジェーンは思わずそちらを見た。しかし、その場の者が一斉に礼を取る。


「その儘、続けてくれ。王女の様子を見に来ただけだから」

「今日はとても気分も良くて楽しいですわ。お兄様、ご覧ください。可愛らしいお花」


 花の舞った時さえ声は出さなかったルイーズがふわりと亜麻色の髪を揺らし、浮き立つように語り出した。


「ああ、本当に今日は良さそうだな。何よりだ」


 それからアンの掌に花が乗るのに目を止め、リチャードは意外そうな表情を浮かべる。しかし、ルイーズはその儘、彼の袖を握った。


「わたくし、アプリコットの林を見てみたいです」

「……離宮にあるのか?」


 彼はジェーンを振り返り、彼女は畏まり答える。


「外苑の東の池の先にございます」

「花の舞うのは見られて?」


 不意に大人しやかな声が漂うように問うた。ジェーンはその方へ目線を上げようとし、リチャードもルイーズも意表を突かれたようにアンを見ているのに気づく。彼女が声を出すのを躊躇うと、


「珍しいな、貴女も興味が?」


 リチャードが話しかけた。しかし、アンは何も言わず伏し目がちに佇む。オフブラックの結い髪さえ動かない。リチャードが王女の警護に視線をやると彼は控え目に発言した。


「池の辺りで馬車を止めることになります」

「馬は行けるか?」

「問題ございません」

「では、王女は君が。二人にも腕の良い者を」


 急の外出の列は大掛かりに組まれ、そこにはハイド家の兄弟も加わった。彼らは簡素な馬車に一人乗るジェーンへ馬上から声をかける。


「遠いけど、今日の花もそこで君が摘んだの?」

「まさか一人で歩いて来たのかい?」


 エドワードの控え目な問いかけに驚いたジョンが声を重ねる。ジェーンは小さく頷いた。途端にジョンは朗らかに笑う。


「今日は歩かなくて良いよ。池からは僕が馬を引くから乗って」

「私は馬には……」

「だったら後ろに乗るね」


 言葉通り、彼は池に着くとジェーンに手を差し伸べた。大勢の前でのエスコートに緊張する彼女をジョンは慣れたように馬車から案内する。水辺の風が通り抜け、極淡い薄紅色の花びらが一片一片、舞い出ていた。アプリコット林の気配へ彼女は目を眇める。


「レディ・ジェーン」


 その時、馬の足音と共にリチャードが傍らに現れた。

 続く王子の目配せに王室厩舎侍従クラウン・エクエリが礼を取り、彼女に手を伸べる。迷いながらジェーンがジョンの手を離し、それに応えると、彼女の体はふわりと浮き、次の瞬間、馬上でリチャードに支えられていた。


「練習だ。ルイーズやアンを落とすわけにはいかない」


 悪戯っぽく笑う彼へ光に白む花びらが散らう。それを後ろから見ていたエドワードは何かを追うように馬首を他所へ向けた。

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