第7話 冷たき夏の野を

 焼き砂糖の匂うコテージに異変が訪れたのは昼半ばだった。

 モードの手配と判る印を持つ人達が幾人も訪れ、荷物を置いて行く。ノアが中身を改めれば、子供用と思われる黒や濃緑のドレスの類でジェーンのためであることは明らかだった。

 そのこと自体に戸惑う彼女と異なり、彼やセシル、ケリーは内容に只事でなさを感じ、目配せする。


「上等過ぎます。いつ、どこでお召しになるんですか」

「今日、殿下に遭われたことと……関係ありますよね?」

「でしょうね。でも、十歳に喪服なんてもう要りませんよ」

「良いドレス過ぎて教会にも着て行き難いですし、使い道が判りません」


 その答えを持って帰宅したモードは一階の書斎にジェーンを呼んだ。


「リチャード殿下とお逢いしたそうですね」

「……はい」


 自然と暗くなる顔をなんとか平静と呼べる表情に留め、ジェーンは小さく肯定する。バリーによると「最後は誤解と理解し歩み寄ってくださった」王子だが、彼女の中には彼の強い怒りがいつまでも消えず残っていた。

 ジェーンと同じ歳とはいえ彼は王族であり、モードの仕える王室の中心である。彼女に何を言われるかがジェーンは一番怖い。


「驚いたでしょうに頑張りましたね」


 それを聞いた瞬間、ヘーゼルの瞳から涙がぽろと転がり出た。自分でも思ってもみなかった涙に見開いた途端、彼女の目は泣いて止まらない。母の教えで、してはならない、その行為を止めようもなく、ジェーンは涙を擦り、更に教えを破った。


「……怖かったのでしょう? ごめんなさい。貴女にもっといろいろ教えておかなければいけなかったのに」


 モードはジェーンの座る横に跪き、ハンカチで目元を拭ってやりながら頭に腕を回す。伝わる体温に安心したか、ジェーンは声を上げて泣きじゃくり始めた。


「私……は、ご迷惑、を……」

「いいえ。迷惑なんて一つも。それどころか貴女のお陰で、初めてリチャード殿下に話しかけて頂いたくらいです」


 モードの肩に顔を埋めて咽ぶ子の髪を彼女は暫く撫でていた。泣き疲れた頃、モードは長椅子に二人で腰掛け、その顔を覗く。水差しからレースに水を注ぐと指先が赤く腫れた目元にその端をそっと触れさせた。ヘーゼルの瞳が濡れた儘、見上げた後、少しずつ笑んで行く。

 二人はラベンダーのお茶を一口、一口ゆっくりと飲み、やっと向き合った。


「ジェーン、貴女と私は殿下にお呼ばれしました」


 あれ程、泣いていた子に酷と思いながらモードは言わねばならないことを告げる。案の定、ジェーンの顔が強張った。


「お呼ばれ、ですか?」

「はい。殿下にお目にかかります」

「どうして……」


 再び表情の崩れようとする彼女の頭をモードが包む。


「殿下がお望みだからです。ジェーン、丁度十個目のレッスンです。高位の方のご希望に『なぜ』を探すのはやめておきなさい」


 額と額が触れ、複雑な香草の香りがジェーンに降り注いだ。パースリー、ローズマリーにラベンダー。彼女の覚えたハーブ達が他のかまびすしいささやきをまとめるように語りかける。


「お会いすることは決まっているのですね」

「はい。十日後の午後、殿下の温室をお見せくださるそうです」

「温室?」

「えぇ、温室に何があるかは貴女も興味あるでしょう?」


 好奇心に勝てず頷くジェーンへ少し微笑んだ後、またモードは真剣な表情になった。


「ただね、ジェーン……リチャード殿下は貴女を侍女に、とお考えです」


 聞いた瞬間に彼女の顔は緊張する。それでもモードは冷静な態度は変えず、ジェーンの背を撫でながら続けた。


「今すぐ実現するお話ではありませんので、まずは落ち着いて。今回は、折を見て、ということになりました。具体的には、貴女のお母様の喪が明けるまで、特にご生活を変えることは考えなくて良いでしょう」


 それを聞き、ジェーンははっとドレスのあった玄関の方を見る。モードも頷いた。恐らく「母親の喪に服している」ことがリチャードには最も尊重される。ジェーンがそれと判るようにしていたら、リチャードから多くは求めないはずだ。


「侍女になるには実際には殿下の側も、貴女の側も支度が要ります。先のこととして考えましょうね」


 しかし、モードの言葉は将来的には彼に仕えることがあるのだ、とも指し示していた。ジェーンはそれが余り納得が行かない。


「あの……私は、とても嫌われていると思うのですが」

「それはありません。殿下は貴女に好感をお持ちです」


 少女の思い込みをモードはさらりと否定する。

 彼女の接した感触では、王子の感情は既に好感の域を超えていた。幼い時から気難しいが、我慢強くもあると評判の王子は側に仕える者についても執着した話を聞かない。ジェーンが恐らく初めての指名なのだ。


「貴女がお母様の遺志を大切にする姿に感心されたのでしょう。侍女を志すのでしたら、ロスシー公となられる方の宮殿にお仕えすることは滅多にない良いお話ではありますよ」


 どこか澄まして感じられる笑顔がジェーンは気に掛かった。少し考え、彼女はおずおずと切り出す。


「侍女になってもハーブを教えて頂けますか?」

「お話を受けるなら余計なことを身につけない方が良いでしょうね」


 モードの答えは早かった。


「余計……?」

「ええ、侍女、特に高貴な方のお近くに侍るなら他に学ぶことが沢山あります」

「ですが、ハーブが役に立つこともありませんか?」

「その時はその道に詳しい者が殿下をお支えします。貴女は別の役割でお支えするのです」


 あくまでも侍女は侍女の役目を全うすべき、と告げるモードの姿勢は動きそうになかった。そこにはハーブの仕事を担って来た彼女自身の誇りが感じられ、ジェーンは侍女をしながらハーブを学びたいと言おうとした口を閉ざす。

 彼女は胸の前で指先を絡め、目を細めた。

 パースリー、パースリー、あのけぶる小花に導かれ来た旅をジェーンは振り返る。


「判りました。私はハーブ・ストゥルーワーになりたいです」

「ジェーン!?」


 モードは動揺を隠さなかった。あの輝くブルーグリーンの瞳が大きく見開き、しかし、強く強く彼女を見つめる。それでもジェーンはその目を見返して言った。


「私はハーブを学びたいです」


 沈黙が流れ、モードが姿勢正しくジェーンを見下ろす。


「ハーブ・ストゥルーワーは香草も花も踏みにじるのが仕事です。貴女は育て、摘み取り、合わせたハーブを潰せますか? ただ好きなだけならば裕福で優しい方に嫁いで庭を作って頂きなさい」


 感情豊かな香草の乙女ではなく、感情の読めない宮廷人でもなく、ただ厳しい女性の顔をして彼女はそこにいた。それがジェーンは少し哀しく、必死で言い返す。


「私は、潰されて香るハーブも美しいと思います」


 すると、モードはなんとも言えない表情で目を細め、吐息をついた。


「決めるのは、侍女のこともハーブのことももっと学んだ後に。知らないものを選ぶことは、できるなら避けましょう。レッスン十一です。喪が明けるまで、何を選ぶ必要もないのですから」

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