第2話 夏を施す乙女
ジェーン達の行く野に夏の気配は稀だった。
林こそ暗緑をまとうが、地を覆うのは色褪せた薮と黄ばんだ葉ばかり。健やかな季節の緑葉はなかなか現れず、畑も褐色を帯びていた。紋章を見て馬車を追おうとした子がすぐに手をつく。
程なく、一行は見えて来た教会へと立ち寄った。
「王家のお使いがみえるって話だったが」
「ハーブ・ストゥルーワーだろ? 王様の」
モード達を遠巻く村人は、身なりの良い女性や従者が汚れる様を奇異に感じたのか。誰からともなく不信のささやきが漏れ出す。
「本当か? 魔女が騙してるんじゃないか? あの目」
「ああ。赤毛の子もいる」
「寒さも暗さもきっとそのせいだ。魔女が何かしてるんだよ」
彼らの声は話すごとに刺々しさを増し、ジェーンは黒のボンネットに手をやりたいのを何とか抑えた。しかし、教会の出迎えに柔和に応対するモードは勿論、護衛も従者もまるで何も聞こえないかに振る舞っている。
「お前達、失礼な」
喉の割れた大声が淡い闇を震わせ、
「この方のことはご領主様からよくお計らいするよう、くれぐれも、と申しつけられた。
ご領主様は摂政王太子殿下から直々ご意向を賜ったのだぞ。殿下は国王陛下に代わって世を治めるお偉い方だ。お詫びをしないか」
「良いのですよ。見知らぬ者が押しかけて、ご不安でしょう」
近づいて来る男に顔を向け、彼女は鷹揚に応えてみせる。彼は一行の姿にちらりと目を走らせて畏まった。
「何やら難儀をなされたようですな。道中、何かおありでしたか」
「いいえ。今、教会にも捧げましたが、ヴァレリアンを見つけましたの。この辺りでは枯れてしまったと伺いましたのに」
「ご自分で土から上げられたのですか。それは大変な……」
「陛下に献上する草木はわたくし自身の手でなければなりませんもの。ヴァレリアンの根を滅多な者には触れさせられませんわ」
満面の笑みを誇らしげに浮かべるモードに、狩猟番が感じ入ったように幾度も首を振った。
その背後では疲れた様子の村人達が不信と憧憬に揺らぎ、彼女の一挙手一投足を目で追う。モードはあくまでも朗らかに、何も起こっていないかに扇を弄んだ。
「一緒に掘り上げました株は、司祭様が祝福してくださいますので、村でお育て頂くか、お使い頂きたいと存じます。ご領地の村になくてはご領主様も民を案じられましょう」
「これはお気遣いを。皆の分もお礼申し上げます。夏を施して頂いたようです。今年は全く夏らしくない」
「ご苦労が多いですね。ファームハウスに王室から
それを耳にして村人はざわめいた。一行への猜疑は消えないものの目に渇望の光が点り、次々と期待にほころぶ顔も現れる。
「何もかも有難う存じます」
礼に首肯するとモードはジェーンを促した。
「レディ、馬車へお戻りください」
途端、男が息を殺して瞠目する。染め直しの喪服をまとう少女は王の香り爪弾く乙女の小間使いと彼さえ思っていたのだろう。何も気づかないように優雅に頭をもたげた儘、モードは馬車へ乗り込んだ。
「ごめんなさい。私がいると……」
「私の旅はいつもこうですよ。貴女のせいではありません。お裾分けで王家のご威光が届き、教会とご領主もお味方。心配することなど何もないですわ」
わざとすました顔を作って語った後、モードは再び表情を緩める。つられてジェーンの顔も解れたが、彼女は少しの気がかりを躊躇いがちに問いかけた。
「ヴァレリアンは村のためではないのですか?」
「村のためです。でも、私達がそう言って信じてもらえたでしょうか?」
その言葉にジェーンは寂しそうに目を細める。見知らぬ一行への警戒は王家の馬車に乗っていてさえ解けない程、強くあった。疑わしさをこそ探し出す村人にモードが何を言い、何を渡しても信じてもらえるとはジェーンにも思えない。
「二つ目のレッスンです。何かのご威光で人も自分も救われるなら、お借りして、傷つけ合わずに済ませましょう。宮廷では特に大事になりますよ」
ジェーンはきょとんとわずかに小首を傾げた。
しかし、モードは沈黙した儘、彼女を見つめている。そのブルーグリーンの瞳は不思議に輝いた。村人が怪しんだのは、そのことに違いない。だが、ジェーンにとってその目はいつも語りかけるようで、沈黙を是として来た彼女の心を溶かすのだ。
「……あの、ヴァレリアンをどうするのか見に行けますか?」
この時もつい常ならば言わない自分の興味をジェーンは声にしていた。教会へ荷を届ける人にそっとついて行けないかと思っていたのだ。しかし、口にすれば我儘なようで、彼女は少しずつ目を伏せる。
モードは馬車内に揺れる立派な草へ一度、視線をやってから語りかけた。
「ファームハウスは離れています。貴女はよく休まなくてはいけませんよ。お疲れなはずですから。旅に興奮して気付かれないだけで」
「三つ目ですか?」
「えぇ、そうですね。三つ目のレッスン、旅先の好奇心は程々に、よく休みましょう」
頷き、自分を納得させながら、明らかに気落ちするジェーンの頬にモードは指を添える。
「その代わり、後でヴァレリアンのお茶を召し上がれ。私の住まいに帰りましたら育てるところもご覧に入れましょう」
「お手伝いしても良いですか!?」
「はい」
ヘーゼルの瞳が出会ってから一番、輝くのをモードは感じた。一瞬ゆらめきかけた自分の愁いを彼女は拭い去り、前を見やる。
狩猟番に先導されて着いたハウスは彼らを極めて恭しく迎え入れた。ジェーンにも甲斐甲斐しく立ち働く使用人達は、入浴中に荷物から白の軽騎兵風ドレスを選び、皺伸ばしを済ませ、あっという間に彼女を小さな貴婦人に仕上げる。
赤い髪は鮮やかに背を覆い、結われた細い黒のリボンが一際、映えた。
しかし、初めてのことに渦巻かれた一日は彼女を早々に疲労の中へ落とす。晩餐の席から寝室に連れられ、ヴァレリアンのお茶を飲む頃、ジェーンの意識は甘辛い眠りを漂っていた。
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