第3話 宿りの夜

「悩ましいこと」


 ハウスの使用人を下げた寛ぎの中、暖炉脇でモードは呟いた。

 護衛二人が互いを見合う。このハーブ・ストゥルーワーの日常も旅も護る役に就いて久しい彼らには、嘆息が預かった伯爵令嬢についてであることは疑う余地もない。


「正直に申しますと、ご友人の葬儀は冷夏を視察される口実かと思っておりました」


 彼女の杯に甘やかなヴィンサントを注ぎ終えた後、従者のノアはゆっくりチーズと蜂蜜を整え、口を開いた。


「そうなるかもしれないと私も思っていたわ。伯爵夫人が縁薄い私をなぜ頼るのか、そこまで窮してらっしゃるのかと気に掛かりはしたけれども。奥様が宮廷に夢をご覧なのでしょう、という気持ちが強くて」

「ご葬儀を拝見する限り、ミルタウン伯爵家がお苦しいのは確かなようですが」

「ええ。でも、彼女はお家よりお嬢様を案じたのではないかしら」


 モードは液体に模糊もこと映る自分を見つめる。

 葬儀後に話した伯爵は、王室近くにあれど政治とは一線を画す立場の彼女にも踊らされる人だった。生前の夫人が娘を任せられないと思ったとして意外ではない。


『伯爵様、お嬢様をお預かりできませんでしょうか』

『宮廷から下がられるのですか?』

『いいえ。わたくしと宮殿にご一緒くださるお嬢様を探しておりますの』

『十歳の娘に務まると言うと……』


 伯爵が気取りを保てず目元緩めるのをモードは見逃さなかった。彼女はすかさず言葉を挟む。


『わたくしの、ハーブ・ストゥルーワーのお手伝いですわ』


 聞いた途端、伯爵の顔色は明らかに不機嫌に転じた。そこに人並みの権勢への欲を持ちながら、夢の中に生きている危うい当主を感じたから彼女はジェーンを連れ出そうと真剣に考えたのだ。

 その時、彼女は口元を扇で隠し、伯爵の目を捉えていた。


『ご存じの通り、わたくしもいつも宮殿中に香草を撒いて歩いているわけではございません。その時々、その場所場所、そして、お人に応じて、そこに侍る者が役目を果たしますが……少年や少女がふさわしい場もある、と伯爵様も思われますでしょう?』


 モードはなまめかしい笑みを浮かべてみせる。

 それは自分の妖花のひとみと呼ばれる双眸を意識した行いだった。まなこに花咲くかの如く、彩り揺蕩たゆたう目は見る者の心をも揺らすらしい。

 ローズマリーにパースリー、葬儀と埋葬に香る緑を辿る追憶。その中、娘時分のジェーンの母はモードの瞳を忌避していた。彼女の子のため、その夫の心を惹きつけようと初めてこの目を自ら使おうとするとは。


「判らないものね」


 ジェーンもまた妖花の眸を持つことにモードはすぐ様、気がついた。二人の色調こそ違う。モードに較べればジェーンのヘーゼルは自然だ。

 しかし、死を予感した伯爵夫人が自分を頼りたくなるには充分だったろう。単に都への伝手だからではなく、同じを持つから。その必死さが哀れでもあり、ジェーンの姿も彼女の胸を打った。


「あの方、見る目はあるのよね。嫌になるわ」


 モードは杯を傾け、溜息をつく。


「王室で香りを爪弾くのは、私が最後くらいに思っていたのに、随分とハーブを気に入られたものね」

お嬢様マドモアゼルはまだ子供ですから、新しいものにはご興味を持たれるでしょう。また移るかもしれません」

「……余り目立たないためにも離宮の方で暫く暮らして頂こうと思っていたの。私が都にいる時も。それが関心を強めてしまわないかしら」


 都の政庁である王宮の王族の居所にモードは日頃、勤め、近くにロッジを賜っている。しかし、そこは働く者も出入りする者も多く、彼らは都慣れしており、今のジェーンに合うとは彼女には思えなかった。

 そのため、香草や花を準備するためにも与えられている都近い離宮のコテージを考えていたのだが、こちらはこちらで彼女に合い過ぎるかもしれない。


「その時はお嬢様の天職なのでございましょう」


 ノアは静かに答えた。パースリーに膝を折り、ヴァレリアンを掘り上げて見違えるように打ち解けた少女は侍女よりハーブ・ストゥルーワーが向く。モードだけでなく彼もそれを直感していた。


「都で洗練の機会を差し上げて、静かに暮らせるような出会いに恵まれたら私は肩の荷が下りるのだけれども」


 十六の歳から宮廷で役目を担う人にしては平凡な未来を少女に思い描きながら、彼女は呟く。暖炉の火の爆ぜる音が心地よく響いた。


「美しくなられるでしょうし、宮廷に余り長く身を置くのは考えものよ」

「それでもお嬢様に侍女の先をお探ししよう、とお考えなのですか」


 結婚ならば伯爵家にあっても適うだろう、と言外に問うノアにモードは翳りある含み笑いを浮かべる。確かに家がどうあれ麗しい伯爵令嬢となれば妻に求める者はいるに違いないのだ、貴重な宝石を買い求めるように。そして、きっとそれをこそジェーンの母は危ぶんだ。

 そこまではモードにも想像がつく。誇り高い令嬢だった人が娘に我が身を重ねて哀れんでいたことも。


「選べない一本道ではないと教えて差し上げたいの。どうしようもなかった運命と思わないように。勤め先でも嫁ぎ先でも。ただ……」


 チーズにかかる蜂蜜が炎を映して赤らむ。

 喪服さえも華やがせる少女は人の心を揺らす程、脅威と見做され、陰口と噂に塗れるだろう。更に香草、薬草と親しむとあらば、魔女の誹りへ繋がりやすい。排斥を望む者に僅か、他を上回る力さえあれば、ジェーンは風前の灯だ。


「先のない仕事のために、そんな思いをさせたくないのが老婆心だわ」


 モードは思案げに酒を嗜むと、立ち上がった。



 

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風はハーブをささやく 小余綾香 @koyurugi

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