第5話 プロムナードの柳蒲公英
「ジェーン、明日は
そうモードが頼んだのは、城勤めする彼女とジェーンが否応もなく数日すれ違ってしまった夜のことである。ベッドに入っていたジェーンを帰宅して間もないモードが訪ね、枕元で囁いた。
まだ眠っていなかったジェーンが目を見開く。モードは宮廷の装いの儘、微笑んでジェーンの額の髪を撫でた。
「はい!」
「あら、良いお返事。でも、レッスン九、内容は確かめてから頷きましょうね。大変かもしれませんよ」
「大変ですか?」
「ホークウィードがまとまって咲いているのは離宮の外苑だけだそうです。初めての場所で少し遠いですが、庭師のバリーと行ってくれますか?」
「はい!」
ジェーンの笑顔は爛漫として、モードは息をつく。
彼女の不在中もコテージは朗らかで、使用人達がジェーンをよく助け、ジェーンも何かと励む様子を報告されていた。しかし、どこか無理をした上であることは、接する時間が少ないモードにも判る。
「香草と一緒に撒くお花が少ないの。貴女に摘んでもらえたら助かるわ」
ジェーンにとってハーブの手伝いは休らぎであろうとモードは感じていた。初めて会った大人に囲まれ、離宮を前に暮らす子に、僅かな遊びを願えばこそ冷夏に咲く花を摘むことを頼んだのである。
翌朝、ジェーンは野良着として喪服を着込み、ショールをまとってバリーの荷馬車へ乗り込んだ。風は冷え、車は揺れたが、旅の途中で覚えた黄色い花を思い起こしていると、どれも辛いとは彼女には思えない。
むしろ笑顔になって行くため、バリーは呆れながら荷馬車を停め、ジェーンの荷物を抱えていた。
「お気をつけください。狩猟場も
案内しながら彼は左右を確かめる。外苑では最も賑やかに人の行き交うプロムナードと呼ばれる木立が今日、案内する予定の場所近くにあった。その脇には広い馬車道もあり、気をそぞろにすれば事故もあり得る。
しかし、
「こんなに咲いてる……」
黄色い花の咲き集う林に着くやジェーンは膝をついて、その一本一本を選び始めた。
ただ花を摘んでいるわけではないことはバリーの目にも判る。花を数え、葉を数え、形や香りを確かめては思案し、一本、また一本と手折る姿は小さいながら、確かに他と見紛うまいとしていた。
冷えた土に座り込んでそれを続ける真剣さはいつまでも途切れず、バリーはつい手助けしてやりたくなり、目の届く範囲で自分もホークウィードに印をつけ始める。しかし、それがいけなかった。
「リチャード殿下、お待ちを……」
バリーが気配に振り返ると思いの外、離れている。
そして、最も身分ある少年が同年代の双子の制止も聞かず先んじて彼女へ進み来ていた。その鋭過ぎる睨みに竦みながら、ジェーンは腰を低く目を伏せている。
「お前は?」
「ミルタウン伯爵の娘ジェーン・リーソンと申します」
「顔を上げろ」
少年は更に踏み出て彼女に影を落とす。
好意のない威圧的な声に震えながらジェーンは怯えをなんとか抑え込み、目線を上げた。彼に命じられたなら、どうあっても服してみせねばならないことは少年を誰かはっきり知らない彼女にも判る。
日に差された明るいローアンバーの髪が透け、輝きが人影の不機嫌さを一層、際立たせていた。彼は冷たい感情を隠すこともなく声に乗せる。
「何をしている?」
「ホークウィードを摘んでおります」
「喪に服する気がないなら喪服など着る意味はない。誰が亡くなった?」
「母です」
それを聞くや、まだ幼さ残る少年の顔の険ばかりが増し、物怖じしないグレーの瞳が侮蔑を顕にジェーンを見下ろす。
彼女はどうして良いか判らず、ただ黄色く鮮やかな花々を握り、その視線を受け止めていた。喪服で草を摘んでいたことを責められているのは判るが、自分が何を謝ったら許されるか彼女には想像がつかない。
その時、無礼にならないよう近づいたバリーが礼を取り、どうにか口を挟んだ。
「畏れながら、彼女は亡き伯爵夫人の遺言でミス・モードに学んでおります。本日も<王の香り爪弾く乙女>のため、ここに参りました」
リチャードは一瞬はっとし、表情を消す。
「そうか。言い過ぎた。許せ」
その声をジェーンは立ち尽くし、聞いていた。音は去り行き、何を言われたかが心に届かない。
リチャードは少しその場で目線を揺らがせると、大きく一歩、彼女に寄った。思わず緊張するジェーンの手ごと、彼は黄色い花束を掌で覆ってもたげ、胸元でその中から花の多い茎を引こうとする。
すると、ホークウィードが何本かつられ、二人は咄嗟に花々が溢れるのを押さえようと手と手、手と手が重なった。黄花の何輪かが零れ落ち、二人は間近に互いを見合う。
リチャードの手はそっと包むように野花をジェーンの掌に戻した。
彼の指には残ったのか残したのか、最初に触れたやや濃い色味と明るい黄色の二本のホークウィードが揺れている。リチャードはかすかに頭を傾けると二本を添わせ、ジェーンの耳元にそれを宛てがった。しかし、
「君には映えないな」
気難しげに首を振ると、そう告げて彼はそっけなく背を向ける。現れた時と同様に去るその後ろ姿を取り巻く人々が追って行った。
彼らの影さえも見送り終え、バリーは転がった籠を拾う。
「今の方は……」
「摂政王太子殿下の継嗣の君、リチャード殿下だ。四年前に母君を亡くされているので、つい咎めてしまわれたのだろう。いつもご立派に振る舞われているが、まだお嬢様と同じお歳なんだ。その……」
バリーは不器用に話しながらジェーンと散らばったホークウィードを籠に戻した。怖い思いをした女の子を慰めてやりたい、と思うが、離宮に身を置く人間として何をどう説明して良いか彼も悩ましい。
しかも、相手が伯爵令嬢となると、庭師仲間の娘を相手にするように対応もできず、放心気味の少女に対してかけられる言葉が思いつかなかった。
「まあ、なんだ……実は今日はネルがビスケットを焼く日なんだよ。俺も一緒に摘んで、早く帰るってのはどうだい? もうそのつもりで用意もしてあるんだがな」
彼は印をつけたホークウィードの方を親指で示すと決まり悪そうに笑う。それを見てジェーンもやっと顔がほころんだ。
砂糖香るコテージに甘く迎えられると、もうジェーンに出来事は夢のようにも思えていた程である。
しかし、王宮ではモードに現実が動き始めていた。
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