二 雨を乞うたら槍の降る
「のうお主、好きな武者は誰だ?」
初対面の男の一言目がそれだった。輝く目は期待で満ちており、純粋な子供の表情のよう。少々背は低めだが、髭面の立派な大人である。
宮司から紹介された名は
彼の家の前で、雨に降られながら。信太郎も永も呆れるしかない。
「河童の話をしに来たのだが」
「だからこそだ。命を預けられる人間かどうかは、この答えで分かる」
譲らない顔も声音も真剣そのもの。ふざけている訳ではなく、どうやら独特の理念を持っているらしい。
認められる為には仕方がないと、簡潔に答える。
「藤原秀郷公。大百足退治の伝説には憧れる」
冷静に努めたつもりの信太郎だが、番之助の熱にあてられたか目の輝きが漏れでていた。なにせ偉大な先人として実際に尊敬の念を抱いているのだ。
「うむ。やはり武者たる者、
がはは、と腰に手を当て豪快に笑う番之助。厳つい男笑いだが、やはり何処か無邪気な子供を思わせる。
どうやらお気に召したようだ。信太郎も釣られて笑う。初めは不信感を抱いたが、既に好ましく思っている。
ただ、二人は気付いていないが、すぐ横では永が冬の海の如き冷たい目をしていた。
「遅くなって済まなんだ。ささ、入られよ」
家に招き入れられると、中は武者絵や掛け軸が壁一面に飾られていた。自慢気な顔で触れて欲しそうにしていたので、信太郎は特に見事な逸品を誉める。
それがいけなかった。
家主は次から次へと収集品を紹介し、元になった武者の逸話を話し始めたのだ。困った事に趣味がよく、話も達者なので自然と惹き付けられてしまう。信太郎はすっかり楽しみながら聞き入っていた。
そこから引き戻したのは、永の言葉。
「あなた、それに番之助さまも、お仕事の話を致しませんと」
静かな威圧が場を圧する。
不愉快な思いをさせていたとようやく気付いた。怒りの発散。浅い思慮への罰。
変化を解いて山姥の姿になったかと思ったが錯覚だった。今尚美人に化けたまま。信太郎は寒気に凍えるばかり。
放っておけばいつまでも武者の話をしていただろう番之助も、冷や汗を流して口を閉じた。大きな子供のお楽しみは終了である。
ごほんと一つ。これまでの時間は無かった事にし、単刀直入に話を切り出す。
「領主と河童の間で戦になりかけていると聞いた。原因は何だったのだ?」
「うむ。この辺りではな、春から日照り続きだったのだ。酷いものでな、畑が全滅しかけた」
真面目にしていれば話はすんなりと進む。反省したのか、外見に見合った貫禄のある姿勢。信太郎も普段以上に堅い調子である。
問題はその内容。
外では雨が降っている以上、日照りは解消されたらしい。
その事実と河童を繋ぐものと言えば。
「雨乞いか」
悪戯の償い、恩返し、奉られた神社への祈祷。
河童の雨乞いにまつわる伝承は数多い。それというのも、山姥に女神の要素があるのと同じように、河童には水神や龍神との繋がりがあるのだ。
だが、分からない。
例えば代償を払ってまで頼んでも雨が降らなかった、というのなら戦に発展するのも分かる。しかし成功したのならば戦にはならないはずだ。
視線で問うと、番之助は深刻な顔で重々しく。
「今度は多過ぎるのだ。もう半月は降り続けている。このままでは水害でここら一帯が死ぬだろう」
「つまり領主は、河童の不手際だと責めたのか? 雨を止めさせる為に戦を起こそうと?」
「否。長雨は不手際でなく、仲間を殺された報復らしい。雨を止めたくば下手人を差し出せ、と河童達は要求している」
完全に予想外の流れ。しばし理解が追い付かなかった信太郎は、我に返ると永の方を見る。
困惑する彼と違い、その顔には呆れが浮かんでいた。愚かな人間と河童への侮蔑ともとれる。
だが信太郎に気付くと、不敵な笑みで挑戦的に問うてきた。そんな腑抜けた顔をしている場合か、と。
この件において、人間も妖怪も普通ではない。それが妖怪に関わるモノ全てにとっての定めだとしても、やはり多くの者が迷惑を被らないよう、普通に正すべきだ。
深く、呼吸。気を引き締め直して先を促す。
「仲間を殺された、とは事実なのか?」
「河童の死体が川を流れていったのは事実だ。見た者が何人もいる。ただ、誰の仕業かは分からぬがな」
「河童はそれを領主がやったと?」
「否。姫だ」
「……何故?」
「雨乞いの条件が、姫との婚姻だったが故だ」
再び困惑に固まりかける信太郎。予想外の情報が多く、蓄えた河童の話と照らし合わせるので精一杯だが呆けないよう鋭意努力する。
しかしやはり永に惑いは見られない。頭を働かせる旦那に代わって平然と話を継ぐ。
「それはそれは。河童と婚姻とは姫としても許せぬでしょうね。武家の娘の宿命とはいえ、人相手と訳が違います」
「否。姫は進んで受け入れたらしい。恩人に報いられるのなら本望、とな。実際住まいに同居していたらしい」
「ほう。気丈な振る舞いをするお人なのですね」
「またも否。名を滝姫というのだがな。そこらの男より余程武芸が達者で、人となりも周囲が音を上げる程に豪気な方であられるのだ。そう、かの巴御前を思い起こさせるような──」
永がぎろりと睨んだ。
圧が沈黙を強制。楽しげな気配が跡形もなく消失し、冬の夜のように冷えている。
効き目は
「失礼。とにかく姫は恩人を殺すような方ではない。そして要求を聞いた後の話だがな。姫は誤解を解くと話し合いに向かったのだが、河童達は問答無用で仇討ちだと襲いかかってきたのだ。無事引き返す事は出来た。だが、それきりだ。進展は無い」
「故に戦しかない、と」
「ああ。領主は己にも河童の根城を調査せよと命じられた。武士団を派遣する前の斥候のつもりらしい」
「実際根城は見たのか?」
「うむ。数百もの河童が、皆人間への敵愾心に満ちておった」
「確かに、いつ戦になろうとおかしくない事態だな」
事態は深刻。
信太郎と番之助の面持ちは一層固く、眉根に深い皺が寄る。
ただ、隣の永だけはどうにも笑っているようだ。口元を手で隠しているが感覚で分かる。怒りが湧かないのは、何に対して笑っているのかも感覚で分かったからだ。
「本当の下手人は何者か、主はどう考えている?」
「見当もつかぬな。領主とて配下に探らせているようだが何も分かっておらぬようだし、その領主も疑わしい。そもそも、下手人を暴けば解決するかと言えば、そうそう単純な話ではなかろう。河童が納得するかどうか」
「調べねばならぬ事、考えねばならぬ事が山積みだな」
「故に、渡りに船よ。お主にも調査を頼みたい。引き受けてくれるな?」
「ああ、無論だ」
深く、力強く頷く信太郎。会ったばかりの人間を信用してくれる有り難さを胸に留め、償いの機会を与えられた事に感謝する。
苦難だからこそ、迷いなく喜びすら感じて踏み出していける。
「己は城下で探る。お主らは河童が棲む沼へ向かって、直接詳しい話を聞いてきてくれまいか」
「人に敵愾心を持つ河童の軍団なのだろう? まともに話など出来るのか」
「己はお主らなら出来ると信じておる」
無謀な押し付けか、心強い信頼か。信太郎は有り難く良い方に受け取って、早速行動に移そうとする。
だが、番之助の思惑は少し違った。
居住いを正した彼は、永の方に体ごと向きを変え真剣な目で見つめて、こう言ったのだ。
「そうであろう? 永殿よ」
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