第2話 短いお別れ
空を見上げると私の気持ちを表したようにどんよりとした灰色の雲に覆われていて、空からは優しくも冷たい雨が、今の空を映したような灰色の街に等しく降っている。
宗教家がいうような神の愛とやらを表したらこのような雨になるのだろうか?
私のような街の底辺をうろつく野良犬のような探偵にも、少ないながら義務というものが、夜の街を歩く人達に話しかける客引きのように纏わりつく。
私の名前は今井舞、5歳だ。
そう私のような野良犬にも、両親から幼稚園に通うという義務を課せられている。
両親から資金と食事そして教育の場を提供されている身としては、大人しく従うことは、人間として当たり前だろう。
今日の私はお気に入りの父親の帽子と母親のコートではなく、私服の上からスモックを着て、黄色の帽子を被っている。
ただし、帽子の被り方は目がやや隠れるくらいの被り方だ。
この『スモック』は襟なしの作業服だが、これを『スモッグ』と勘違いして呼ぶ人もいる。
『スモッグ』とは大気汚染物質が浮遊して見透しが悪い状態の事である。
まぁ、幼稚園や保育園の子供達はどのような人生を歩くようになるのか、まだ見透すことは難しいので、あえてスモッグと呼称しているのかもしれないが。
そんなことはどうでもよく、私は母親の鏡の前で、黄色の帽子をお気に入りの被り方を調整していた。あまり時間をかけると母親が怒りだすので、手短にかつ完璧に仕上げなくてはならない。
最初の頃は私も慣れなかったので、時間がかかっていたが、ノロマな私にも成長という兆しが見えたのか、最近では数秒で整えられるようになってきた。
いつもの被り方ができて、安心していた私は、棒付きキャンディーを口に咥えようとして、慌てて手を止める。
幼稚園では『禁棒付きキャンディー』だ。
まったく、あの魅惑的な合法の白い粉(砂糖)はまだ私の精神を蝕んでいるらしい。
私は母親の鏡の前から動いて居間に向かう。
そこには母親がいつもより少し見栄えよく化粧をして、普段は着ない服を着ている。
その横には平日には珍しく父親が家にいて、こちらも普段のヨレヨレのスーツとは違い、綺麗なスーツを着ている。
そうか、今日は両親の結婚記念日だったな。
この前、見つけた時計もその時に母親からのプレゼントだったはずだ。
まぁ、そんな大事な物を失くすのもあの父親らしいな。
私は両親の下に行き、用意は完了した。いつでも幼稚園に行けるというようなことを告げた。
「舞は1人で準備をする事ができて偉いね。」
両親は私をまだ2歳か3歳のケツの青い子供だと思っている節があるので、私を過剰に褒める傾向がある。
「じゃあ、幼稚園まで送るから」
そうか、今日は幼稚園バスではなく、自分達がデートに出るついでに幼稚園に送る作戦か。
私は頷き母親に手を引かれるままに幼稚園に向かう。
幼稚園に着くといつもの格好とは違う母親に少し驚いている先生に挨拶をして、母親に別れを告げる。
幼稚園では比較的話をするきいちゃんが私の到着を待って挨拶をしてきた。
「おはよう。」
きいちゃんは下町のボスの横に侍る女性のような気怠い様子で私に話しかける。
私はいつものように、君も街をうろつく野良犬に声をかけるなんて奇特な
彼女は分かっていないのか首を横に傾げていつものように私を理解することを諦める。
こうして私の義務は始まりを迎え、勉学に励むのだ。
今日は、折り紙を使ってのお遊び会があるらしい。
それで子供達はみんなソワソワしているのか。
まぁ単調な授業が続く幼稚園では折り紙を折るなどという授業でも、楽しみになるのであろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜
事件はそのお遊び会の終了後に起きた。
級友の折り紙手裏剣が失くなったのだ。
これは幼稚園の武器の管理規則にも抵触する事態だな。
手裏剣などという危険な武器が野放しになってしまうのはマズい事態だ。
しかも、失くなったのは金の折り紙と銀の折り紙で折った特別製の手裏剣だ。
当人にとっては国宝や重要文化財が失くなった事態にも匹敵するだろう。
私は泣き叫ぶその子の下に行き、話を聞くことにした。
彼から聞いた話だと、作った後、他人に見せて感想をもらっていたらしい。
数枚しかない金と銀の紙を使った豪胆さや手裏剣の出来栄えなどを自慢していたら有頂天になっていて手裏剣のことを忘れていて、何処にいったか分からないとのことだ。
お遊び会はもう片付けも終わっていて、周囲には手裏剣はもちろん、折り紙などもない。
やれやれ。これは私の出番だな。
しかも、次の授業が始まる前に探さなくては。
私は素早く周囲を捜索するも、辺りには何もない。
他の幼稚園児が手裏剣が欲しくなって隠したことも考えられるが、そうすると、手荷物やお道具箱を探さなくてはならない。
しかし、この幼稚園では過去、このような事態が起こったことはない。
つまりは、偶発的な事件の可能性が高い。
私はお遊び会の時を思い出す。
確かに、一部の男子達が手裏剣などと言っていた記憶がある。
その面子は今まで悪事を働いた記憶がない。
私は、一つの考えを思いつき、泣いているその子を連れて職員室に向かう。
職員室に着くと、連れている男子の手裏剣が失くなったこと、偶発的な事態のこと、私に一つの考えがあることを告げた。
私はその子を連れて、職員室にある先生が片付けたあろうゴミ袋を見つける。
良かった。
まだ捨てられていなかったらしい。
私はその透明なゴミ袋を丁寧に眺める。中身は作りかけの折り紙や失敗してクシャクシャになった折り紙、天才的な抽象画などがはいっていた。
しかし、私の目は他とは違う輝きに気づいた。
私は躊躇なく、ゴミ袋を開け・・開け・・あ・・・、いや、なんでこんなに固く結んでいるんだ?
私の力では開けられなかったので、先生に頼んで開けてもらった。
私はゴミ袋が開くやいなや、手を突っ込み先程の光を追って手を伸ばす。
そして、目的の物を掴むとゆっくり引き出す。
私の手には幼稚園にとっては至宝ともいえる金と銀の手裏剣が握られていた。
やはりな。私の予想通り、有頂天になって、手裏剣の存在を忘れてしまい、片付けなかったので、他人の失敗作とともに捨てられてしまったのだろう。
私は泣いていた男子に手裏剣を手渡し、もう泣くな。男が涙を見せて良いのは、自分の不甲斐なさに気づいた時と、好きな女に別れを告げられた時だけだ。というようなことを教えた。
私はゴミ袋の後始末を先生と泣いていた男子に任せて、職員室を去る。
無報酬なんだ。
後始末を任すくらいしてもいいだろう。
私も丸くなったな。
幼い子の涙につれられて、無報酬で働くなんて、まるで善人になった気分だ。
私はまだ優しくそして冷たく降り続く雨を眺めながら、次の授業に向かった。
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