おそろいのスカートで、俺は彼女と散歩する/佐藤宇佳子さんへ💗
おそろいのスカートで、俺は彼女と散歩する/佐藤宇佳子さん
https://kakuyomu.jp/works/16818093089934637466
ようちゃんをご指名ありがとうございます💗
わたしのファンサとしてこちらにて感想及び僭越ながらアドバイスなどをさせて頂こうと思います。先に言っておきますと、今回はアントニオ猪木ばりのビンタはありませんのでご安心くださいませ。
さて、御作の全体的な感想ですが、男子とスカートという組み合わせによって、性差や社会の偏見を映し出そうとしているところが佐藤さんらしいアプローチだなと思いました。時々方言を交えて親しみやすさが出ているのも興味深いところです。
佐藤さんにも事前にどんなことを書いてほしいかを伺いまして、
1.「素人っぽさ」から脱却するには?
2.「売れる日本語」にするには?
というご質問をいただきました。今回はそれに即してファンサを進めていければなと思います。
まず、自身の作品に「素人っぽさ」を疑うところがあり、どうすれば良いかという主旨のお話を伺いました。
これに対する回答は実はとても明解でして、「一貫性」があるかどうかということになると思います。
一貫性というのはストーリーや文章あるいは文法についてなどという狭い話ではなく、作者自身の思想(何を表現したいのか)の一貫性を意味しております。ここに一貫性がないと、ただフラフラと作品を書いているだけで、「上手ですね」「面白かったです」という感想の域を超えることはできないということになります。
創作であるのだから小説も芸術の一種だと捉えたとすれば、「生涯を通して何を表現したかったのか」と問われることはごく当たり前だと思います。音楽しかり、絵画しかり、作家自身の技法や手法があるでしょうが、最終的に観客が見ているのは「この作家が表現しようとしている世界」なわけです。終生愛について表現をする彫刻家もいるでしょうし、フランスの女性彫刻家のカミーユ・クローデルのように愛が芽生えその喜びを表現しながらも、愛に破れた時に憎しみや孤独にかられた様を表現して悲壮な晩年を迎える人もいるわけですが、大事なことは技量ではなく、何をどう表現――もっと直接的な表現でいえば、叫び――をしたかったのがが、見ている者の心を打つわけです。
ですので、どんなに器用に小説を書いたとしても、その魂がひとつの思想を体現しない作品というのは、佐藤さんのいうところの「素人っぽさ」が抜けないということになります。
一貫性というのは感情的な自身の叫びによっても表せますし、理性的な自身の哲学でも表すことができると思います。大事なのは「わたしの小説はこうなんだ!」というものを読者に与えられるだけの熱量を自分が持っているかであって、それを技術の熟練さやテーマのすばらしさで補おうとすると、「素人っぽさ」という
わたしはいつも融通が利かないお堅いものばかり書いていますが、たまにおバカな小説を書くことで、「犀川はきっと疲れているんだな」と読者がわたしがご乱心であることに笑ってくれることがあります。
これは非常にありがたいことだとわたしは思っておりまして、もし読者から「犀川さんはシリアスからギャグまで何でも器用に書けますね」なんて言われたら、わたしはド素人だと言われているようなものではないですか笑。ですが、わたしが「かくあるべし」と常にブレーキ不在のチキンレースな作品を書いているからこそ、おバカなことを書いてもご乱心であると感じてもらえるわけです。この「常にブレーキ不在のチキンレースな作品」がわたしの「一貫性」ということになるのでは、と思います。
「売れる日本語」ですが、佐藤さんは翻訳もされているそうなので、売るに値する日本語にするために足りていない点、気を付けるべき点という観点のご質問をいただきました。
わたしは翻訳自体はしたことない(学生時代はまともな翻訳やAIがありませんでしたので英語論文を翻訳した程度)なのですが、「売れる日本語」という観点でいえば、結局のところ、「その人(翻訳家)が書いたから」という魅力ではないかと思います。文字面やレトリックには答えがないとわたしは考えております。
売れるというのは求められるということです。つまり求められる=読者のニーズを捉えるという観点で書くか、あるいは読者にニーズをこちらから感じさせるかの二択でしかないと思います。これは翻訳に限らず、小説もしかりです。カクヨムの大半を占める若年層が求める異世界ファンタジーを書くのか、あるいは佐藤さんしか書けない世界を書くのかということです。
わたしは基本的に技術とか技量とかに重きをおくことはほとんどありません、小説においてはそんなものは上辺だけででしかなく、大事なのは最初のである「素人っぽさ」のところにも書きましたが、「作家の一貫性」がない小説が何をしようと小手先でしかないと考えているからです。作家の一貫性とはテーマへの追及であり、作家自身の人間力でもあります。たくさん本を読んだり緻密な文章を書いてどうこうなるものではありませんよね。
まとめますと、佐藤さんのご質問の「素人っぽさ」の脱却は小説自体には解決するヒントはなく、佐藤さん自身の想いや思想を深めることでしか言葉や文字は輝いてくれない、ということです。自身が悩み苦しむという、非常に回りくどく遠大な道を歩ける覚悟があるか、それが「素人っぽさ」から脱出するための最初の心構えであると、わたしは考えております。
以上、わたしなりのファンサを書かせていただきました。参考にしていただければ幸いです。
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