第17話 運命の日

夜明け前のグラヴィティアス邸に、鐘の音が鳴り響く。

儀式の日の到来を告げる音色が、朝もやに溶けていく。


「若様、お召し物のご用意が」


エリカの声で目を覚ます誠。

しかし、ほとんど眠れてはいなかった。


(ついに、この日が)


白地に金の刺繍が施された儀式用の正装。

それを身につけながら、誠は幾度となく見た夢の光景を思い出していた。


「エリカ」


「はい」


「シエラは?」


「流石に本日は他で預かっております」


「...そうだよな」


幼い友の姿が見えないのは寂しかったが、これから起こることを考えれば当然の処置だ。


儀式の間には、既にエレノアの姿があった。

早朝から、準備の確認を行っているという。


「母上」


「アレクサンダー、おはよう」


優しい微笑みの中に、かすかな緊張が混じっている。

エレノアは静かに結界石を見つめ、その表面を指でなぞっていた。


「...」


その表情が、僅かに曇る。


「母上?」


「この紋様が...」


エレノアの指が、結界石の特定の箇所を示す。

複雑に刻まれた紋様の、ほんの一部。


「何か?」


マクシミリアンが近寄ってくる。

首には青い宝石の首飾りが光っている。


「この渦の向き、左回りのはずなのに...」


エレノアの声には確かな違和感が滲んでいた。


「評議会から届いたものだが」


「ええ、だからこそ」


三人の首飾りが、かすかに温もりを帯びる。

それは警告のようでもあり、励ましのようでもあった。


「カール司祭長が来られる前に、確認を」


エレノアは他の道具も丹念に調べ始める。

その慎重な仕草に、長年の研究者としての眼力が感じられる。


誠は黙って母の様子を見守る。

胸の中で、前世の記憶と現実が交錯していく。


(これが運命の分岐点...!)


儀式の間の空気が、徐々に緊張を帯びていく。

夜明けの光が、東の窓から差し始めていた—。

朝日が少しずつ高くなり、儀式の間の床に長い影を落としていく。

エレノアの調査は、さらに慎重さを増していた。


「魔力の流れを阻害する細工...」


エレノアの指が、魔法陣の刻まれた床を丹念に確かめていく。

その仕草には、研究者特有の冷徹な観察眼が宿っている。


「母上、他にも?」


「ええ」


エレノアは儀式に使う杯を手に取る。


「これも...微妙に形が歪んでいる」


古の文字が刻まれた銀の杯。

一見、完璧な造りに見える。

しかし母の眼には、確かな違和感が映っているようだ。


「陛下から賜った道具以外は、全て確認が必要ね」


その言葉に、マクシミリアンが眉を寄せる。


「となると、評議会からの道具は」


「ほぼ全て、何らかの細工が」


三人の首飾りが、また温もりを帯びる。

警告は確実に強まっていた。


「アレクサンダー」


エレノアが誠を呼ぶ。


「ここに来て」


母の隣に立つ誠。

エレノアは床に描かれた魔法陣の一部を指さす。


「この線の流れが分かる?」


「はい。本来なら、中心に向かって」


「ええ。でも、よく見て」


確かに、微妙にずれている。

気付かなければ見過ごしてしまうような、しかし決定的な違い。


「これでは魔力が...」


「暴走する」


エレノアの声が冷たくなる。


「儀式の最中に」


マクシミリアンが低い声で告げる。


「カールが来る前に、できる限りの対策を」


早朝の光の中、三人は黙々と不正を探していく。

発見される細工の数は、想像以上だった。


(ここまで念入りに...!)


誠の胸に、怒りが込み上げる。

しかし、その感情は表に出さない。

冷静に、着実に—。


「失礼いたします」


その声に、誠は振り向く。

エリカが入ってきていた。


「カール司祭長が、まもなく」


時計の針は、既に朝の7時を指している。

儀式の開始まで、残り3時間。


「分かりました」


「お食事も用意してありますが」


「いえ、まだ」


誠は母の作業を手伝うことを選ぶ。

朝食どころではない。

一つでも多くの細工を、見つけ出さねばならない。


窓の外では、鳥たちが朝の歌を奏でている。

平穏な朝の訪れを告げるその声が、今は妙に心に突き刺さる。


(これが、最後の朝かもしれない世界線を、絶対に—)


誠は密かに拳を握る。

首飾りが、その決意に応えるように、また温もりを増した。


早朝の儀式の間で、運命との静かな戦いは、既に始まっていた—。



そして、儀式が始まる。


「儀式の開始を告げます」


カール・ヴァイス司祭長の声が、儀式の間に響く。

朝の光は既に高く昇り、八本の柱の影が床に落ちている。


(あまりにも...静かだ)


誠は中央の台座に立ちながら、その不自然な平穏に違和感を覚えていた。

エレノアは北側、マクシミリアンは南側。

事前に確認した位置で、儀式は粛々と進んでいく。


「古よりの力、重力(グラヴィティ)の加護を—」


カールの詠唱が続く。

評議会のメンバーたちが、観覧席で見守っている。


(でも...おかしい)


スピンオフ小説『The Fallen Duke』には、この時既に襲撃が始まっているはずだと書かれていた。

しかし今、儀式の間は異様な静けさに包まれている。


「重力の力よ、この継承者に—」


結界が、ゆっくりと形を成していく。

誠たちが事前に見つけた細工は、できる限り修正済み。

それでも完璧とは言えない状態だが、今のところ儀式は順調に進んでいた。


エレノアとマクシミリアンの視線が、絶えず周囲を警戒している。

三つの首飾りは、確かな存在感を放っていた。


(まさか...違う手を!?)


その時、かすかな違和感が背筋を走る。

あまりにも、上手く進みすぎている。


カールの詠唱が続く。

結界は安定を保ち、重力の力は徐々に高まっていく。


「この儀式を、滞りなく—」


窓の外では、鳥たちの姿も見えない。

風さえも、止んでいるかのよう。


(待てよ...本来なら、この場面で—)


誠の脳裏に、ゲームでの記憶が蘇る。

そして、ある可能性に思い至る。


(まさか、狙いは—)


カールの詠唱が、最終段階に入ろうとしていた。

そして—。


「儀式、完了—」


カールの最後の言葉が響いた瞬間だった。

轟音と共に、儀式の間全体が激しく揺れ始める。


「来たか!」


衝撃波が放たれる中、黒装束の暗殺者たちが次々と姿を現す。

観覧席からは評議会メンバーたちも動き出した。


「エレノア様を!」

「アレクサンダー様も!」


しかし、その声には明らかな不協和音が。

評議会メンバーたちの動きが、互いに干渉し合っている。


(評議会の中で...味方と敵が入り混じってる!?)


混乱の中、ローゼンクランツ宰相の姿が誠の視界に飛び込んでくる。


(首謀者は間違いなく...!)


「アレクサンダー!」


宰相の声に振り向いた瞬間。

黒い矢が、誠を貫こうとしていた。


「くっ!」


しかしその矢は、宰相の背中に刺さる。

ローゼンクランツは、誠を庇っていた。


「宰相...なぜ!」


「ベアトリスを...頼む」


血を流しながら、宰相は震える声で。


「私の...娘を...」


「え...?」


(まさか...違ったのか!?)


混乱する誠の前で、宰相の体が崩れ落ちる。


「父様!」


観覧席からベアトリスの悲痛な叫び。

その声に、誠の中で何かが大きく揺らぐ。


(これは...ゲームにもスピンオフにもない展開...!)


「グスタフ卿!」


エドガー・ブルーメンタールが叫ぶ。


「これは、違う、まさか貴方が—」


そこで彼は口を噤む。

手には青く光る石。

転移魔法の触媒だ。


「卑怯者が!」


マクシミリアンの重力が襲いかかるも、ブルーメンタールの姿は既に消えていた。


戦いは続く。

評議会メンバーの中にも、戦う者、逃げる者、守ろうとする者—。


「カール司祭長!お前も共謀者だったな!」


マリア・ヴィンターが吐き捨てるように告発する。


「貴方こそ!研究資料を強奪しようと!」


ヘレナ・バートリーが応酬。


入り乱れる暗殺者と評議会メンバーたち。

その混沌の中で、誠は気付く。


(運命が...大きく変わり始めている)


倒れた宰相の言葉。

想定外の評議会内の対立。

そして、まだ姿を見せない新たな敵の存在。


「母上!」


首飾りが温かく脈打つ。

三人は互いの無事を確認し合う。


「我が重力(グラビティ)に誓って...!」


誠の決意が、新たな力となって迸る。

これは既に、誰も知らない物語。

その中で、彼は自分の意志で、新たな未来を—。


儀式の間に、重力と光が渦巻く。

運命の分岐点は、誰もが予想しなかった方向へと進み始めていた。


「さて」


マクシミリアンの声が、静かに響く。

その瞳には、誠の知らない光が宿っていた。


「父上?」


「お前だけが特訓していたと思ったか?」


その時、マクシミリアンの周囲に異様な重力場が発生する。

それは誠の力とは明らかに違う、より洗練された、より強大な重力の渦。


「まさか...父上も!?」


「ふふ、息子に負けてはいられんと思ってな」


放たれる重力波。

十人以上の暗殺者が、一瞬で宙に舞い上がる。


「なんという...!」

「グラヴィティアス公爵が、こんな力を!?」


驚愕の声が上がる中、マクシミリアンは優雅に腕を上げる。


「重力嵐の舞(グラビティストーム)」


(え!?それって無双ゲームの奥義...!)


誠の作り出した技名と同じ言葉が、父の口から発せられる。

宙に浮かぶ敵が、渦を巻きながら弧を描く。


「アレクサンダー、お前も」


「は、はい!」


父子の重力が交差する。

二つの力が共鳴し、より強大な渦となって敵を飲み込んでいく。


「我が重力(グラビティ)、ここに極まれり!」

「父子の絆、ここに示さん!」


厨二病全開の掛け合いに、エレノアが小さく笑う。


「父上、実は...!」


「ああ、お前の特訓を密かに見ていたのだ」


マクシミリアンが誇らしげに告白する。


「お前の編み出した技を、私なりに解釈してな」


(そうか...!俺の厨二病全開の特訓を...!)


「重力渦動、共鳴の型!」


二人の力が完全に一つとなる。

まるでゲームの親子合体技のように、圧倒的な威力が放たれる。


「グオォォ!」

「た、助けて...!」

「こんな力が...!」


敵が次々と弾き飛ばされていく。

その光景は、まさに本家の無双ゲームのよう。


「父上、凄すぎます...!」


「お前こそ」


マクシミリアンが誇らしげに微笑む。


「よくぞここまでの力を」


首飾りが、三人の胸元で輝きを増す。


「我らが重力よ!」

「天地を統べる力よ!」


父子の掛け声が重なり、より強大な力となる。


(これぞ...本当の無双!)


「ふむ」


エレノアが研究者らしい眼差しで二人を見つめる。


「重力の共鳴、素晴らしい研究材料になりそうね」


その何気ない一言に、戦いの緊張が僅かに緩む。


「母上、今は研究の時間では!」


「あら、いい?こういう貴重な機会は—」


「エレノア」


マクシミリアンが苦笑する。


「研究はまた今度にしてくれ」


父子の重力は、まだ止まらない。

新たな力が、新たな可能性が、この瞬間に生まれていた。


戦いの痕跡が生々しく残る儀式の間。

父子の重力による制圧は完璧だった。


「父様!」


ベアトリスが、倒れたローゼンクランツ宰相の元へ駆け寄る。


「まだ...息がある!」


マクシミリアンが宰相の脈を確かめる。


「エレノア、応急処置を!」


「ええ」


エレノアが治癒魔法を施す中、宰相が幽かに目を開く。


「ベア...トリス」


「父様!どうして...どうして敵のはずのアレクサンダー様を!」


誠も近づく。

確かに、宰相は紛れもなく自分を守るために矢を受けた。


「ふふ...敵だと...思っていたのか」


血を流しながらも、宰相は穏やかな笑みを浮かべる。


「違うんだ...私は...ずっと...」


「宰相、喋りすぎると!」


「いや...話さねば。今なら...ブルーメンタールもいない」


宰相の言葉に、誠は息を呑む。


「実は...エレノアの研究に...賛同していたんだ」


「え...?」


「重力の力を、万人のものに...それは素晴らしい未来だ。だが...」


一度、深い咳き込み。

エレノアの治癒魔法が、その体を支える。


「新興貴族たちは...力だけを求めていた。軍事利用を...」


「そして父様は」


ベアトリスが震える声で。


「スパイ...のような?」


「ああ...内部から...彼らの動きを」


「なぜ、そこまで?」


誠の問いに、宰相は懐かしむような眼差しを向ける。


「アレクサンダー...お前の母上と、私は学生時代からの友人でね」


「!」


「研究への情熱、未来への希望...それを、守りたかった」


エレノアの目に、涙が光る。


「グスタフ...あなた、ずっと...」


「すまなかった...味方だと、言えなくて」


「でも、なぜ今まで?」


「新興派の中に...もっと危険な存在が」


宰相の声が重い。


「ブルーメンタールは...操り人形に過ぎない」


その言葉に、マクシミリアンの表情が引き締まる。


「つまり、真の黒幕が?」


「ああ...だが、まだ名前は...」


「父様、もう十分です」


ベアトリスが宰相の手を握る。


「先は、私たちが」


「ベアトリス...」


宰相は娘を見つめ、そして誠の方を向く。


「アレクサンダー...私の娘を...」


「はい。約束します」


「父様!」


ベアトリスが泣き崩れる中、宰相は安心したように目を閉じる。


「治癒魔法が効いてきたわ」


エレノアが告げる。


「命に別状はありません」


全員が、安堵のため息をつく。


「という訳で」


宰相が、今度は少し意地の悪い微笑みを浮かべる。


「私の娘を幸せにするんだぞ?アレクサンダー」


「えっ!?」


突然の発言に、誠は真っ赤になる。

ベアトリスも顔を赤らめ、エレノアは楽しそうに笑う。


(いや、でも...エリザベスも、メリッサも...)


主人公の厨二病な悩みをよそに、儀式の間に朝日が差し込んでくる。


これは誰も知らない、新しい物語。

その証のように、青い首飾りが静かな光を放っていた。

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