第15話 漆黒の蝶の嘆き

グラヴィティアス邸の大広間。6歳の誕生日を祝う宴が開かれていた。

表向きは華やかな祝宴。

しかし—。


(一週間後...いよいよ、あの日が)


誠は来客たちに礼儀正しく挨拶をしながら、内心は緊張を噛み締めていた。


「おめでとう、アレクサンダー」


ヴィルヘルム国王が温かな笑顔で声をかける。その傍らにアストリッド妃。


「もう6歳か。早いものだ」


「はい、陛下。ご来臨、誠にありがとうございます」


完璧な礼儀作法で応える誠。

しかしその瞳には、わずかな警戒が宿っていた。


(妃殿下の表情が、少し曇っている...何か、見えているのだろうか)


アストリッド妃は星詠みの力を持つ。

未来を垣間見る力の使い手。



「素晴らしい成長ぶりですわ」


妃の声には、かすかな憂いが混じっている。


「どうか、これからも...お気をつけて」



その言葉の意味を、誠は理解していた。


宴会場の片隅では、評議会メンバーたちが密談している。


「あの子の成長は異常だ」

「母親の研究も気になる」

「儀式まで、あと一週間か」


ローゼンクランツ宰相の目が、冷たく誠を捉えている。


(ああ、今までとは違う。この目は完全に、敵のものだ)


「アル!」


エリザベスが駆け寄ってくる。


その後ろには、シエラを抱いたエリカの姿も。


「お誕生日、おめでとう!」


「ありがとう、リザ」


幼馴染の無邪気な笑顔に、一瞬だけ緊張が緩む。


「これ、私からのプレゼント!」


星の模様が刻まれた、銀の腕輪。


「星光の力を込めたの。アルを守ってくれるはず」


(リザ...気付いているのかな。この緊張を)


「アレクサンダー様」


エリカが静かに声をかける。


「そろそろ、お客様たちへの挨拶を」


「ああ、そうでした」


再び表情を引き締める誠。


大広間を回りながら、様々な人々と言葉を交わす。

その全てが、何かの意味を持っているように感じられた。


ベアトリスは、父ローゼンクランツの傍らで不安げな表情。

メリッサは、物憂げな瞳で宴を見つめている。

ノワール教授は、エレノアと研究の話に花を咲かせているが—。


(みんな、何かを知っている。でも、誰も本当のことは口にしない)


「若き公爵様の門出を祝して」


ヴォルフガングが杯を上げる。その瞳に、かすかな警告が光る。


エレノアは優雅に振る舞いながらも、時折、誠の方を見やる。

マクシミリアンは冷静に来客と言葉を交わすが、その背筋は普段以上に伸びている。


「もうすぐ儀式ですね」

「ああ、楽しみですな」

「グラヴィティアス家の大切な伝統が」


表向きの祝福の言葉の裏で、誠は全てを見透かしていた。


(一週間後...全てが決まる)


首飾りが、かすかに温もりを伝えてくる。

母の存在。

そして、守るべきものの重み。


「アレクサンダー」


父の声に振り向く。


「そろそろ、スピーチの時間だ」


「はい」


大広間の中央へ。

全ての視線が、6歳の少年に注がれる。


(さあ、ここから本当の戦いが始まる)


「本日は、私の誕生日にお集まりいただき...」


完璧な挨拶の言葉。

その裏で、誠の心は既に一週間後を見据えていた。


母を守るため。

この世界の未来のため。

そして—運命を変えるため。


華やかな誕生日の宴は、静かな戦いの幕開けとなっていた。


スピーチを終えた誠は、父に呼ばれて書斎へと向かった。


「見事なスピーチだったぞ、アレクサンダー」


「ありがとうございます、父上」


マクシミリアンは窓辺に佇み、夜空を見上げている。

その背中は、いつも以上に大きく、そして少し寂しげに見えた。


(よし...母上から教わった通りに)


「父上」


「ん?」


「星を...見ていらっしゃるのですか?」


「ああ」


マクシミリアンは静かに微笑む。


「お前が生まれた夜も、こんな星空だったな」


「その...父上にプレゼントがあります」


「プレゼント?今日は、お前の誕生日だろう?」


「はい。でも...」


小さな手から、青い宝石の首飾りを差し出す。


「これは?」


「父上が、星を見る時...私と母上のことを、いつも案じていてくださるから」


マクシミリアンの瞳が、わずかに潤む。


「これがあれば、私たち家族は、いつでも繋がっていられます」


「アレクサンダー...」


父は静かに首飾りを手に取る。


「エレノアの魔道具か」


「えっ!?」


「ふふ、あの人の魔法の感触は分かる。...つまり、お前たちも持っているんだな?」


「は、はい...」


マクシミリアンは首飾りを胸元に掛け、誠の頭を優しく撫でる。


「ありがとう。大切にさせてもらおう」


そこへ、廊下から物憂げな足音が。


「あれは...」


黒いドレスを着た少女、メリッサが一人、中庭に向かっていく。


(そうか...この時期、ナイトシェイド家は...!)


「父上、少し席を外してまいります」


「ああ」


中庭に出ると、メリッサは一人、月を見上げていた。


(よし、ここは厨二病全開で!)


「星は、時として人の心を映す鏡となる」


「え?」


振り向くメリッサに、誠は最高の厨二病ポーズを決める。


「されど月は、人の悲しみを優しく包み込む存在」


「あなたは...アレクサンダー様」


「ふふ...我が重力(グラビティ)に感じるのだ。漆黒の蝶が、今まさに苦悩の闇に包まれんとしていることを」


「な...!」


動揺するメリッサ。その反応に、誠は確信を得る。


(やっぱり...ナイトシェイド家の経営状態が)


「メリッサ・ナイトシェイド。その瞳の奥に秘められし想いを、我に語るがよい」


「そんな...どうして、分かるの?」


「重力は全てを見通す。そして—」


誠はメリッサの前に手を差し出す。


「時として、運命の重みを、共に支えることもできる」


メリッサの目に、涙が浮かぶ。


「本当に...分かるの?私の家の...」


「ああ。だからこそ、力になろう」


「で、でも...」


「父上に相談するのはどうだろう?グラヴィティアス家として、できることがあるはず」


メリッサは驚いたように誠を見つめる。


「まさか、そこまで考えて...」


「無論。我が家の同胞として—いや、友として」


(スピンオフ小説で、メリッサは大切な協力者になる。なら、ここで救いの手を!)


「アレクサンダー様...」


メリッサが小さく頷く。その瞳に、かすかな希望の光が宿る。


「ありがとう...ございます」


「ふふ、我が重力の導きに従うがよい!」


(よし!これで未来が、また一つ...)


中庭に差す月明かり。その下で、運命の歯車が、静かに、しかし確実に動き始めていた。


「参りましょう、メリッサ。父上は必ず—」


「で、でも...こんな時間に...」


メリッサは躊躇いがちだ。

ナイトシェイド家の誇り高き令嬢として、この状況での相談には大きな決意が必要だったはず。


(そうだ、ここは...)


「我が重力に誓って」


誠は右手を胸に当て、厳かに宣言する。


「...っ」


小さな笑みがメリッサの唇に浮かぶ。


「アレクサンダー様も、かなりの変わり者なのですね」


「ふふ、それこそが我が誇り」


(よし、緊張がほぐれてきた!)


二人は書斎へと向かう。

マクシミリアンは、まだ窓辺で星を眺めていた。


「父上」


「ほう、メリッサか」


公爵の視線に、メリッサは一瞬たじろぐ。

しかし—


「メリッサには、父上の耳に留めておくべき重要な話が」


「...!」


マクシミリアンの眉が、わずかに動く。


「ナイトシェイド家の令嬢か。さて、どのような話だ?」


(ここが重要...!)


「父上、メリッサの家は、我が家の古くからの同胞」


その言葉に、メリッサが驚いたように誠を見る。


「蝶の魔法を操る高貴なる血脈。そして、王国に仕えし誇り高き家系」


「...アレクサンダー」


マクシミリアンの声には、どこか理解を示すような響きがあった。


「メリッサ・ナイトシェイド。話してみるがよい」


重厚な声に、メリッサは深く息を吸う。


「グラヴィティアス公爵様...私の家が、その...」


震える声で、メリッサは語り始めた。

新興貴族からの圧力。

突然の融資の引き上げ。

追い詰められる家計。


(やっぱり...評議会の仕業か)


「なるほど」


マクシミリアンは静かに頷く。


「確かに、最近の取引市場では、不自然な動きがあった」


「父様!」


「分かっているぞ、アレクサンダー」


公爵は書斎の椅子に腰を下ろし、メリッサを見つめる。


「ナイトシェイド家の技術力は、王国にとって重要な資産だ。それを失うわけにはいかない」


「ま、まさか...」


「明日にでも、うちの会計と法務を派遣しよう。それと...」


首に掛けた青い宝石の首飾りが、かすかに輝く。


「エレノアにも相談だ。彼女なら、良い知恵を出してくれるだろう」


「本当に...よろしいのでしょうか」


メリッサの声が震える。


「当然だ。古くからの同胞、とアレクサンダーも言っていたではないか」


誠は小さく微笑む。


(これで、メリッサの家は...!)


「ありがとうございます...!」


メリッサが深々と頭を下げる。その瞳には、涙が光っていた。


「父上...」


「ああ、よく連れてきた」


マクシミリアンは誠の頭を撫でる。


「我が息子ながら、立派な判断だ」


(これで未来が、また一つ変わる)


夜も更けていく中、書斎では三者での具体的な相談が続いた。

メリッサの表情は、少しずつ希望の色を取り戻していく。


そして誠は、密かに誓うのだった。


(必ず、全ての悲劇を...!)


マクシミリアンも同席し、エレノアにも相談の上、了承を得た。

メリッサへの支援策が決まりかけた時、誠は小さく咳払いをした。


「その...父上、母上」


「何かあるのか?」


「私の狩りで得た報酬なのですが」


エレノアが不思議そうに首を傾げる。


「狩り?ああ、コボルト討伐のことね」


「はい。あの...私の貯金を、メリッサの家に」


マクシミリアンの眉が動く。


「お前の報酬か?かなりの額になっているはずだが」


「はい!コボルトの素材と報奨金で...え、えっと」


(確か、ゲーム内通貨に換算すると...)


「300万ゴールドほどです!」


「なっ...」


メリッサが息を呑む。

かなりの額だ。


「アレクサンダー、その額は」


エレノアが心配そうに。


「大丈夫です!私は...その...」


ここで誠は一瞬考える。

厨二病で行くか、子供らしく行くか。


「我が重力の力で得た報酬、それは即ち運命が導きし宝...いや」


言い直す。素直に、心からの気持ちを。


「私には、父上と母上がいます。お小遣いも十分もらってるし、美味しいご飯も食べられて、大好きな本も読めて...」


両親の表情が柔らかくなっていく。


「でも、メリッサには...その、メリッサの家には今、お金が必要で。それに...」


少し声を小さくして。


「私、強くなれたし。いっぱい経験も積めたし。だから、この報酬は...!」


マクシミリアンとエレノアが顔を見合わせる。


「父上、母上。どうか、許可を!」


「...アレクサンダー」


メリッサの声が震える。


(このぐらいの額じゃ全然足りないけど、でも、きっと希望に...!)


マクシミリアンがゆっくりと立ち上がる。


「よかろう」


「父上!」


「ただし」


厳かな声で続ける。


「これは我が家からの正式な支援として処理する。お前の善意は確かに受け取った。だが、表向きは...」


「はい!分かります!」


エレノアも優しく微笑む。


「アレクサンダー、とても立派な判断だわ」


「母上...」


「私からも追加で...」


「あ、いえ!」


誠は慌てて遮る。


「これは、私からの...その」


(なんて言えばいい?厨二病な感じで...)


「漆黒の蝶への、光明の贈り物として!」


「...!」


メリッサの目に、また涙が光る。

しかし今度は、確かな希望の色を湛えて。


「アレクサンダー様...本当に...」


「ふふ、我が重力の導きに従いし結果よ。感謝するなら、星に誓いを立てるがよい」


マクシミリアンが小さく咳払い。


「まあ、息子ながら誇らしい」


「父上!」


青い首飾りが、三つ揃って温かく光を放つ。


(よし!これで少しは...ってあれ?)


「あ、その、おこづかいは...」


「心配するな」


マクシミリアンが笑う。


「減額はしない」


「ほ、本当ですか!?」


思わず子供らしい本音が出てしまい、部屋中が温かな笑いに包まれた。


月明かりの差す書斎で、新たな絆が、確かに結ばれようとしていた。

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