第10話 制圧と慢心
早朝の陽が昇り始めた王都近郊。
まだ空が薄紫に染まる中、誠は丘の上から異様な気配を察知していた。
(おかしい...父上の報告では、この辺りで目撃されたゴブリンは15体ほどのはずなんだけど)
街道沿いの集落が、いつもと違う騒がしさに包まれている。
朝もやの向こうから、悲鳴が断続的に聞こえてきた。
「ちょっと、様子を...」
風走りの靴を使って、音もなく木々の上を移動する。
高所からの視界が開けた瞬間、誠は息を呑んだ。
「これは...マジか」
集落の至る所で、ゴブリンの群れが暴れ回っている。
その数を数えながら、誠は額に汗を浮かべた。
(20、40、60...いや、100体は優に超えてる。しかも、まだ森から出てきてる...!)
市場で露店を引っくり返し、納屋から家畜を追い出し、民家に押し入ろうとするゴブリンたち。
住民は右往左往し、中には逃げ遅れて建物に取り残された者もいる。
「落ち着いて状況を整理しないと」
誠は一度深く息を吸い、冷静に考え始める。
(まず、これだけの数がいるってことは、森の奥で巣を作ってたんだろうな。『TDL無双』の設定だと、ゴブリンの大群は必ず巣を...いや、今はそれどころじゃない!)
集落の状況を再度確認する。
(市場、倉庫街、住宅地...範囲が広すぎる。一気に全部は無理だ。優先順位をつけないと)
その時、老婆の悲鳴が聞こえた。
「誰か、助けて!」
路地裏で、杖を握る老婆が5体のゴブリンに追い詰められている。
「あそこからだ!」
風走りの靴の力を解放し、一気に現場へ。
しかし、いきなりの派手な登場は避ける。
(ゴブリンの視界に入らない位置で...重力の制御範囲を確認して...)
「重力制御、精密モード。範囲限定、老婆の周囲5メートルを除外」
右手を伸ばすと、5体のゴブリンだけが宙に浮き上がった。
「グエッ!?」
「ギャア!」
混乱するゴブリンたちを、誠は慎重に操る。
「圧縮...でも致命傷は与えない。気絶する程度の圧力で...」
ゴブリンたちの体が歪む。
しかし、それは計算された圧力だった。
「そして...投擲。誰もいない路地裏の...あそこ!」
気絶したゴブリンたちが、空き地に投げ込まれる。
「お婆様、大丈夫ですか?」
「あ、ありがとう...あなたは...」
「いえ、説明は後ほど。まずは安全な場所へ」
老婆を市場の石造りの建物に避難させながら、誠は次の目標を探していた。
(よし、5体ずつなら完璧にコントロールできる。これを繰り返していけば...)
市場では、10体ほどのゴブリンが露店を荒らしていた。
「分けて対処...まず手前の5体から!」
今度は地面からの重力波を放出。
ゴブリンたちの足元が浮き上がる。
「ギィ!?」
「グオォ!」
「次は...回転!」
宙に浮いたゴブリンたちが渦を巻き始める。
めまいと重力の圧力で、すぐに気絶。
「残りの5体...いや、新しいのが3体加わった。計8体か」
「タスケテ!」
叫び声に振り向くと、若い娘が倒れた露店の下敷きになっていた。
そして、8体のゴブリンが彼女に近づこうとしている。
(この距離なら...そうだ!)
「重力反転!」
ゴブリンたちの足元で重力が逆転。
不意に宙に浮いた彼らは、互いにぶつかり合いながら混乱する。
「そのまま...固定!」
空中で重力を固定し、動けなくなったゴブリンたち。
「お嬢さん、今のうちに!」
娘は這うように露店の下から抜け出す。
その間に、誠は8体を2組に分けて処理。
「はぁ...はぁ...」
額から汗が流れる。
細かい制御を続けるのは、想像以上に精神を消耗する。
(でも、これしかない。住民を巻き込まないためには、慎重に...正確に...!)
倉庫街では、穀物倉庫に群がる12体のゴブリン。
「またグループ分けか...」
しかし、ここで新しい発見があった。
(あれ?さっきより制御が楽になってる?)
確かに、重力を操る感覚が以前より洗練されている。
(レベルアップの効果...!よし、なら次はもう少し攻めた動きを)
倉庫の屋根を利用して、ゴブリンたちを上空へ。
「重力の檻、展開!」
空間そのものを歪ませ、12体を4体ずつの3グループに分離。
「圧縮、回転、そして...投擲!」
次々と気絶していくゴブリンたち。
その動きは、もはや芸術的とも言えるほどの正確さだった。
「凄い...」
「あれが重力の力...」
避難してきた住民たちが、誠の戦いを見守っている。
(観客がいるなら、なおさら失敗は許されない!)
住宅地では、家々に押し入ろうとするゴブリンの群れ。
「ここが最後の一団か」
数を数えると、15体。
もはや5体ずつの制御も余裕で可能になっていた。
「重力の波、三連射!」
的確な制御で、次々と気絶するゴブリンたち。
最後の一体が倒れた時、誠の体に確かな暖かさが広がる。
(レベルアップ...今回は、かなりの経験値だったな)
周囲を見渡すと、集落のあちこちに気絶したゴブリンが散らばっている。
しかし、不思議と建物や露店の被害は最小限に抑えられていた。
「皆様、ご無事ですか?」
集まってきた住民たちの表情に、安堵の色が浮かぶ。
「お陰様で...」
「若様、ありがとうございます」
「まるで踊るように、ゴブリンたちが宙を舞うなんて」
感謝の言葉に、誠は正しい選択ができたことを実感する。
(派手な無双も良いけど、やっぱり大切なのは、目の前の人たちを守ることだよね)
その時、倒れていたゴブリンたちの体が、緑色の光に包まれ始めた。
「あれは...」
魔物が倒された時の消滅現象。
次々と光となって消えていくゴブリンたちを見ながら、誠は密かに誓う。
(この力は、人々を守るため。父上の期待に応えるため。そして...母上を守るため)
後日、この事件は評議会でも取り上げられることとなる。
「見事な制御力」
「民への配慮が行き届いている」
「若くして、これほどの判断力と実力を」
称賛の声が相次ぐ中、誠は次なる課題を見出していた。
(森の奥にある巣の討伐...次は、根本から解決しないとな)
風走りの靴が風を起こし、誠の決意を後押しするかのようだった。
集落の制圧から程なくして、誠は森の奥へと足を進めていた。
(このまま放っておけば、また集落が襲われる。さっきのレベルアップで力も上がったし、今のうちに巣を潰しておこう)
風走りの靴が木々の間を軽やかに進む。
戦闘で得た自信が、その足取りを確かなものにしていた。
(『TDL無双』だと、こういう時は巣を潰して一気にボスまで片付けるのが定石なんだよね)
しかし、森の中へと進むにつれ、ただならぬ気配が濃くなっていく。
「...ん?」
開けた場所に出た誠は、思わず息を飲んだ。
目の前には、廃墟となった古い集落。
建物の隙間という隙間に、無数のゴブリンの巣が作られている。
それは明らかに、単なる巣穴以上の規模だった。
(な...何だこれ。完全な、ゴブリンの都市じゃないか!)
数百、いや千を超えるゴブリンたちが、忙しなく動き回っている。
しかもその中には—
「アーチャー、マジシャン、そしてあれはジェネラル...!?」
進化した上位種のゴブリンたちの姿も。
特にジェネラルは、通常のゴブリンの倍以上の体格を持ち、重装備に身を包んでいた。
(こんなの、報告には...!)
しかし、すでに後には引けない。
誠の気配に気づいたゴブリンたちが、一斉にこちらを向く。
(クソッ...なら、やるしかない!)
「重力の渦、展開!」
最初の一撃で、50体ほどのゴブリンが宙に舞い上がる。
「グオォォ!」
「ギャァァ!」
「圧縮!」
一気に叩きつける。
レベルアップを感じる。
しかし—
「グシャァ!」
ゴブリンアーチャーの矢が放たれる。
同時に、マジシャンの火球が飛来。
「っ!重力の盾!」
急いで防御を展開するが、攻撃の数があまりに多い。
(くそ、援護射撃か!)
「重力波動、全方位!」
周囲の空間を歪ませ、飛来する攻撃を防ぎながら、次々とゴブリンを倒していく。
(やれる...いける!)
レベルアップしながら、その力を存分に活かし、群れを蹴散らしていく。
ジェネラルも、重力で締め上げれば—
「グオォォォ!」
しかし、上位種は重力への耐性が強かった。
(なら、もっと強く!)
重力を増強する。
汗が滲むが、次々と敵は倒れていく。
その時—
「ン?何か...来る!?」
地面が大きく揺れ、廃墟の中央から巨大な影が現れた。
「アルルルル...」
身の毛もよだつ咆哮。
現れたのは、一般のゴブリンの三倍以上はある巨体。
黄金の装飾を施した鎧に身を包み、禍々しい輝きを放つ大剣を携えた存在。
(あ...あれは...まさか...!)
「ゴブリンキング...だと!?」
ゲーム本編では中盤の強敵として登場する、ゴブリンの王。
その存在が、なぜこんな序盤に。
(いや、考えれば当然か...これだけの数のゴブリンがいれば、王もいて...)
「重力波動!」
放たれた一撃を、キングは軽々と弾き返す。
「アルルルル!」
大剣が振り下ろされる。
とっさに重力で浮上するも、衝撃波に吹き飛ばされる。
「ぐっ!」
木に激突。
背中に鈍い痛みが走る。
(やば...完全に舐めてた...!)
立ち上がる間もなく、キングの巨体が迫る。
「重力の檻!」
急いで展開した防御も、一撃で粉砕。
「アルルァ!」
大剣が振り下ろされる—その直前。
「若様!」
銀光が閃く。
エリカの剣が、キングの攻撃を滑らし逸らす。
「エリカ!?」
「無茶は程々に。貴方はまだ、5歳なのですよ」
背中には相変わらず眠るシエラの姿。
しかし、その戦いぶりは少しも邪魔されていない。
「申し訳...ございません」
「反省は後です。今は—」
キングの大剣が再び振り下ろされる。
エリカは優雅に受け流し、風のような剣戟を繰り出す。
「撤退します。状況を把握せずに突っ込むのは、最悪の選択です」
その言葉に反論の余地はなかった。
「は、はい...!」
風走りの靴の力を全開にし、二人は森の中へと消えていく。
背後でキングの咆哮が響く中、誠は己の未熟さを痛感していた。
(危なかった...完全に調子に乗ってた。レベルが上がっても、まだまだ序盤...いや、チュートリアルも終わってないんだ)
エリカは逃走しながらも、冷静に状況を説明する。
「あれはゴブリンの国と言えるもの。放置すれば王都にも危険が及びます。ですが—」
「はい...一人では、無理でした」
「よく分かりました。では、これを機に新しい訓練を始めましょうか」
「え?」
「より強大な敵に対応するための、重力の極意を」
誠は黙って頷く。
慢心への戒めと、新たな成長の機会。
今回の失態は、必ず次につながるはずだ。
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