第7話 疾風の剣士

エレノアの居室は、いつも通り柔らかな光に包まれていた。

大きな窓からは午後の陽が差し込み、そこかしこに置かれた花瓶の花々が優雅な香りを漂わせている。


「まあ、アレクサンダー。今日はマクシミリアンと一緒に?」


母の微笑みに、誠は僅かに罪悪感を覚えた。


(うう...母上を心配させるようなこと、言い出せるのか...俺)


「エレノア、アレクサンダーから話があるそうだ」


マクシミリアンの声に、誠は小さく深呼吸をする。


「母上...!」


一歩前に出て、誠は精一杯の決意を込めて言葉を紡ぎ出した。


「私、強くなりたいのです。5歳を待たずに、魔物との戦いを...!」


エレノアの表情が僅かに曇る。


「アレクサンダー...まだ4歳なのよ?」


「はい。でも...!」


言いかけて止まる。

本当は叫びたかった。

「母上を守るため」と。

「あの悲劇を防ぐため」と。

しかしそれは言えない。


「私には、守りたいものがあるんです」


誠は真っ直ぐにエレノアを見つめた。


「守りたいもの?」


「はい。大切な...家族を」


エレノアの目が僅かに潤んだ。


(ごめんなさい母上...でも、本当なんです。母上を、この幸せな日々を、必ず守ってみせます)


「エレノア、私からも保証しよう。万全の護衛体制を整える」


マクシミリアンが前に出る。


「実は、既に護衛の人選も...」


そこで執務室の扉が開き、一人の女性が姿を現した。


「お呼びでしょうか、公爵様」


銀がかった金髪を後ろで束ね、軽装の剣士服に身を包んだ女性。

その背には、風を象った紋様の入った剣が見える。


「エリカ・ヴァイス、ただいま参上いたしました」


(うおお!完全な新キャラ!しかもこの雰囲気、絶対強いやつじゃん!)


「エリカ!」


エレノアが嬉しそうに声を上げる。


「まあ、『疾風のヴァイス』が直々に?」


「ご無沙汰しております、エレノア様。それに...」


エリカは腕に抱えた小さな布包みに目を向けた。


「シエラも元気ですよ」


「あら、シエラちゃんも一緒?」


(えっ!?シエラ!?空中都市で出会うヒロインの!?)


布包みの中から、小さな赤ん坊の寝顔が覗いた。

まだ生後3ヶ月ほどだろうか。


「風遊戯士の血を引く我が娘も、いずれはアレクサンダー様の良き仲間となれれば」


(うおおお!シエラ様がまだ赤ちゃん!?しかも母親が最強クラスの剣士!?これは完全に新設定じゃないですか!)


「エリカなら、アレクサンダーの護衛を任せられるわ」


エレノアの声に、誠は希望を見出した。


「母上...!」


「約束よ、アレクサンダー」


エレノアが誠の前に跪き、目線を合わせる。


「無理はしないこと。そして、必ず帰ってくること」


「はい!約束します!」


(母上...必ず強くなって、今度こそ守ってみせます)


「確かに承りました」


エリカが静かに微笑む。

その腕の中で、小さなシエラが眠りながら微笑んでいた。


(まさか、シエラ様の赤ちゃん時代に会えるとは...)


「では、来週から訓練を始めましょうか」


エリカの声に、誠は気を引き締める。


(よし...!これで『TDL無双』の経験を活かせる!絶対に、理想のルートを—)


そう決意する誠の傍らで、シエラが小さく笑った。

まるで、未来の仲間の誓いを祝福するかのように。


エレノアも、小さく頷いている。

その瞳には、息子の決意を認める温かな光が宿っていた。


誠は心の中で誓った。

必ずや守ってみせると。

この優しい母の笑顔を、この幸せな時間を—。




王都近郊の森、夜明け前。


「は、はぁ...」


誠は幼い体を震わせながら、蒼玉の大剣を構えていた。

周囲の木々に、魔物の気配が渦巻いている。


(思ってたのと全然違う...!『TDL無双』だと、この辺の雑魚は一撃で...!)


「アレクサンダー様、呼吸を整えてください」


木陰から現れたエリカの声が、冷静に響く。

その腕には眠るシエラ。

赤子を抱えながらも、その立ち姿は完璧な警戒態勢を保っていた。

彼女にとってはここは赤子を連れてきても余裕を持って警護の仕事もこなせる程、余裕な場所なのだろう。

力の差に愕然とする。


「気配を感じ取れましたか?」


「は、はい!あの茂みの...」


「違います。左後方、樹上です」


ビュン、という風切り音。

エリカの剣が閃き、木の上から悲鳴と共に巨大な蜘蛛が落ちてくる。


「これが最初の獲物です。では」


「え?」


「とどめを、お願いします」


震える手で剣を構える誠。

目の前で転がり回る魔物に、重力を込めた一撃を—


「あ、あれ?」


剣が地面に突き刺さり、魔物は横に転がって逃げ出そうとする。


「重力の制御が甘いですね」


エリカの声は冷静だが、厳しい。


「実戦では、練習通りにはいきません。その場での—注意!」


襲いかかってきた別の蜘蛛を、エリカは片手で薙ぎ払う。

シエラは相変わらず気持ちよさそうに眠っている。


「すみません!」


「謝る暇があれば、態勢を立て直してください」


(これが...実戦か)


汗を拭いながら、誠は剣を構え直す。


「では、次は基本に立ち返りましょう。サバイバル訓練の始まりです」


「え?」


「まずは、この森で三日間」


「三日!?」


「ご安心を。シエラと私が付き添います」


そう言って、エリカは荷物を取り出した。


「これが装備品です」


「えっと...これだけ?」


小さな水筒と、布きれ一枚。


「贅沢は厳禁ですよ。アレクサンダー様」


(うそでしょ...ゲームのサバイバルパートなら、最初からもっと装備が...!)


「では、まずは食料の調達から。あの川で魚を—」


ガサガサという物音。

茂みから現れたのは、若い猪の群れ。


「良い機会です。夕食の確保を」


「えっ、あの猪を!?」


「重力の使い道は、色々あるはずです」


エリカの声は冷静だが、どこか期待を含んでいた。


(確かに...『TDL無双』なら、重力で敵を宙に浮かせて...でも現実じゃそんな派手な技、まだ無理だし...でも、もしかして...)


誠はゆっくりと剣を構えなおす。


「重力は、引く力だけじゃない。押し出す力にも...!」


薄く光る剣の軌跡。

剣そのものは猪には届かないが、放たれた重力の波が茂みを薙ぎ、二頭の猪が転がった。


「...及第点、といったところでしょうか」


「へへっ」


得意げに笑う誠だったが。


「ただし、倒した獲物の解体も、あなたの役目です」


「え?」


「私が教えますので、ご安心を」


エリカの微笑みは、どこか魔性を帯びているように見えた。


(うっ...ゲームだと解体シーンはカットだったのに...)


それからの三日間。

誠は、現実の厳しさを嫌というほど思い知ることになる。


獲物の解体に失敗して空腹を我慢する夜。

魔物の奇襲に怯えながら仮眠をとる時間。

雨宿りの方法を学び、火起こしに苦心する昼下がり。


そして何より。


「シエラの面倒も、交代で見ていただきます」


「赤ちゃんの...お世話を!?」


「もちろんです。将来の主従なのですから」


(これは...完全に想定外...!)


だが不思議なことに、シエラの世話は誠にとって癒しの時間となっていった。


「よしよし...シエラ、いい子だね」


眠る赤子を抱きながら、誠は遠い未来を思う。


(ゲームじゃ、かっこいいヒロインとして出会ったシエラ様が、こんなに小さい時から...)


「アレクサンダー様、そろそろ夜戦の訓練を」


「はい!」


シエラを優しくエリカに返し、誠は剣を構える。


(よし、この訓練で得た経験を、必ず活かしてみせる。母上のため、そしてこの子たちの未来のために...!)


満月が照らす森の中、若き公爵の訓練は続いていく—。


森の奥では、まだ見ぬ強敵が待っているかもしれない。

だが今の誠には、それも楽しみな挑戦に思えた。


結局、この森での訓練は定期的に行われることとなる。

そして、それは確実に誠を、いや、アレクサンダーを成長させていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る