第39話『生きたいと吼えろ、我が心2』

 まるで水中のように空間が揺らめている。

 天井には空を泳ぐ強大な水魚。

 無数のひし形の欠片が回っている。


「変なところ……」


 ステラは不思議そうにつぶやいた。


「そうねぇ、確かに変よね。長くいると麻痺しちゃうけど」


 朱い髪の女性が、頤に指をあてながら言ってくる。

 何時も夢で見る女性だった。


「君は……? ずっと聞きたかったの」

「そうなの? 早く聞いてくれればよかったのに」


 そういいながら彼女は、ステラが座るソファーに腰かけた。


「私はオフィーリアよ」

「妖精女王?」

「そんな感じに呼ばれてるみたいね」


 彼女は「不思議よねー」と語った。


「聞いていい?」

「何をですか?」

「……どうして名前を聞かなかったの?」

「怖かったから」

「こわい? どうして?」


 ステラは首肯した。


「君はとてもきれいで、安心するのに……君に近付けば近づくほど、冷えていくのが分かるの」

「そっか……」

「私からも訊いていいですか?」

「どうぞ」


 オフィーリアは優しく微笑んだ。


「ここはどこですか?」

「私とあなたの世界の断片かしら? 今は私の世界の方が比率は高いけど」

「……」

「多分あなたが、あなたのことを嫌っていたせいかしら」


 その言葉に納得する。

 確かに、これまでのステラは何より自分の事が嫌いだった。


「見てこの欠片」


 オフィーリアが周りを飛び交う欠片を掌に捕まえた。


「これがあなたの〝世界〟」

「私の世界?」

「ええ」


 欠片にはネネとクーフェが映っていた。

 よく見てみると、周りを飛び交っている欠片にもルーエ、フロイ、ミューが映っている。

 楽しかったこと、辛かったこと、苦しかったこと、泣き出したかった事。

 沢山のステラの「大切」だった。


「あなたは、小さくて、きっと他の人からしたら些細すぎる一歩を踏み出した。その一歩はあなたをこれから大きく変えるでしょう」

「……」


 変わるか、でも私は。


「……」


 心の疼きを隠すように、ステラは視線を泳がせる。

 そのさきに、見知った場所があった。

 ――〝心の書架〟。

 彼女のこれまでを記録しているもの。


 ステラは徐に立ち上がると、その書架に向かった。

 妖精女王は静かに見守った。


「……」


 〝心の書架〟から本を取り出す。

 表紙の無い、無骨な本だった。


 本にははじめての戦闘での事がつづられていた。

 怖くて仕方がなかったこと。

 姉のように慕っていた人が死んだこと。

 其れでも戦わなければいけなかったこと。

 悔しかったこと。


 鮮明に思い出していく。

 隠していた感情が這い出て来る。


「……」


 彼女は駆り立てられるように、次から次へと本を取り出した。

 そのたびに後悔が、積み立った。

 

「……!」


 書架の半ばまで行くと、本の内容が変わり始めた。

 優しい想い。

 大切な家族。

 護りたいと思った。


 そして末尾へ。

 最後の――そして最新の本を取り出した。


「……っ」


 リーベス。リーベス。リーベス。

 全部リーベスへの想いが綴られていた。

 愛おしくて、愛したくて、狂おしいほど好きで、でも言葉にできなくて。


 ずっと、この言葉を探していた。

 この言葉は……。


「〝恋〟」


 ――「好きだ」と言ってみたかった。

 ――「大好きだよ」と言って欲しかった。

 ――「お前を幸せにしてやる」と思って欲しかった。

 ――君と共に「生きたい」と思っている。


「……っ!」


 涙が零れてくる。こんな簡単で、大切な想いがあったなんて……。

 ずっと探していた、戦うための理由。

 此処にあった。


「――――っ」


 本を抱きしめて、膝を折った。

 終わりたくないと思った。

 まだ生きていたい。

 終わりを受け入れたくない。


「私は……!」


 あんなにも待ち遠しかった終わりが、今はこんなにも忌々しい。

 進みたい。

 戦いたい。

 力が欲しい。

 彼を護れる力が!

 大切なモノを護れる力が!


「欲しい!」


 オフィーリアはその姿を見護ると覚悟を決めた。

 この選択が、彼女にどれだけの苦難をこれから与える事か。

 逡巡の後。

 ――今の彼女ならきっと耐えられる。

 そう思った。


「彼のコトが好きなのね」

「……っ⁉」


 ステラは聞いてたの⁉ と顔を赤面させた。

 赤面して、照れて、顔を伏せて。

 それから蕩けるようにはにかんだ。


「うん、好き、ダイスキっ‼」


 この気持ちを彼に伝えたい。

 想いを言葉にしたい。

 形にしたい。

 ずっとずっと一緒にいたい。


「どんなに辛くても頑張れる?」

「うん」

「これからずっと苦しくなるよ?」

「頑張る」

「悲しい想いをするよ?」

「でもリーベスが居る」

「――――」

 

 オフィーリアは胸に手を当てた。

 かつて彼を想い温めた胸。

 その温もりがあれば、どこまでも頑張れた。


「うん、じゃあ頑張れ!」

「……っ!」


 ばしっ! と背を叩いた。


「頑張れ! 頑張れ!」

「えっと?」


 優しく、愛情をこめて。

 背中から温もりが満ちてくる。


「ほら立って、もう大丈夫でしょ?」

「え……?」


 彼女は全身が力で満ちていることに気づいた。


「私の力で、あなたの罅を塞いだわ」

「……! そんなこと出来るの⁉」

「妖精女王なので!」


 えっへん! と、彼女は豊満な胸を張った。


「でもいい? あまり力は使わないコト!」

「どうして?」

「あくまで私の魔力で罅を塞いでいるから、あなた自身の魔力は阻害されて使えないの」

「……」

「だから魔力を使う時に罅を塞いでる私の魔力を流用される」


 オフィーリアはいい! と人差し指を立てた。


「……もう一度、器に罅が入ったなら、あなたは死よりも辛い現実に直面するわ」

「……!」

「だから約束して、戦うのはこれで最後だと」

「……」


 ステラは困り顔をした。


「多分無理だと思う」

「む」

「だって――」

 

 大切な彼……大好きな彼のことを想った。


「リーベスはきっと是からも戦うもの……その時に護られるだけは嫌だ。一緒に戦いたい彼を護りたいの」

「あなたは……」


 咎めるように唇を尖らせた。


「ずっと――自分のために生きたかったの」


 誰かのために戦うのが嫌だった。


「誰かなんて、曖昧なモノのために生きるのは嫌だった」


 自分のためにも戦えなかった。


「……」


 でも――。


「誰かのためには戦えなくても、自分のためにも戦えなくても……彼のためなら戦える」


 大好きな人たちのためなら、彼女はきっと――。


 ――何処までも羽搏ける。


「私は生きたい! 戦って! リーベスと生きる‼」


 一人の妖精が、イマ、羽化を遂げる。


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