第36話『回る、廻る。貴方を残して世界は周る』

 ――君を失ったボクの喪失を、死人きみは想像してくれるかな?


 誰でもいいから彼の心を繋ぎ止めて欲しかった。

 君が死んでからの彼は、余りに惨かったから。

 ボク自身が、彼の心の軛と成れないのが何より口惜しい。


 かつての彼を、繋ぎ止めて欲しかった。

 だけど時は残酷で、運命は悪戯で、ヒトの意志は思った以上に脆弱だ。

 彼は変わってしまった。


 許せない。それだけは許せなかった。

 ボクは彼の停滞を望んだ。

 間違っても変節も、変容も望んではいない。

 ボクの失意をきっと君は鼻で笑うだろう。

 

 ――フラン。

 ――人は変わるものでしょう?

 ――どれだけ〝好き〟でも、その〝好き〟は何時か過去になるんだよ?

 ――だったら、〝好き〟を更新していかないと。


 きっとそんな尤もらしい正論をボクにぶつけるだろう。

 他の誰かに言われたならば不愉快極まりないその言葉に、ボクはきっと同意して……ボクも変わって行くのだろう。彼が変えてくれたように、彼女が変えてくれたように。

 でもその二人は最早いない。

 求めたモノは……。


 ――もうどこにもない。


『求めるモノは何だ?』

「だれだ!」


 いきなり響いた声にボクは、動揺の声を出した。


『求めるモノは何だ?』

「……」


 執拗に訊いてくる。

 その言葉にはなぞの力があった。

 ボクは一瞬ためらって、それから言葉にした。


「ボクが欲しいのは過去だ、それがだめなら永遠が欲しい」

『なぜ永遠を求める?』

「大好きな人と永劫の一瞬が欲しい。大切な一ページを永遠に……」

『面白し』


 言葉にして形にしたら、不思議とすとんと胸の淵に収まった。

 大好きな人と最高の一瞬を永遠にしたい。


『為れば、何を差し出す?』

「……」

『その願いを叶えてやると言ったら、貴様は何を差し出す?』

「この瞳を……」


 ボクはそういって、自身の瞳を刳り貫いた。

 そして虚空に差し出した。


「契約を、ボクをボクが望む最高に……、そして最高の瞬間を提供してくれ」

『契約の締結を承認……貴様を我が契約者と認めよう。そして契約の履行を開始する』


 光がボクの身体を包み込んだ。

 自身の身体が変容していくのが分かる。

 かつてちぐはぐだった心と体と魂が、一体になっていく。


 かつて望んだものがある。

 もはや手に入らないと諦めたモノが今手の中に在る。

 胸のふくらみを掌に収めた。

 甘美な快楽がボクの中を走る。

 股をまさぐった。あったものがなくなっている。


「【変色の獣フィア】……君に最高を見せてやる」

『楽しみにしている』


 【災害級】は進化を試みている。その果てに人間と形態と系譜に興味を持った。

 その対象が偶然ボクだった。

 運命はなんて徒なんだろう。


 もしも機会が与えられなければ、これまで通りにボクは諦めたろうに。

 奇しくも運命はボクの行く末に、道を与えてくれた。

 仇花のまま終わるはずだったボクに、実を結んでくれた。


「……愛してるよ、リーベス」


 だからもう思い残すことは無い。

 この想いを告げて、君と共に――。


 ――死の淵へ。


 ☆


 十を超える触手が、リーベスを襲う。

 それを躱しながら、再度接近を試みる。


「フラン――!」

「嗚呼、素敵だ。とても、とても……」


 触手を躱し空中へ、天井から触手が落ちてくる。

 それも読んでいる。


「‼」


 ワイヤーを軸に回転。背後を襲う触手を切伏せる。


「がは……っ⁉」


 その一瞬の隙を狙った触手が、リーベスの腹部を貫いた。

 驚愕と当惑を露にする。

 今のタイミング、速度、リーベスの行動を読んでいなければ、不可能だ。


「ずっとずっときたんだよ? わかるさ、解るに決まってる」

「お前……」

「ダメだよリーベス。変わるなんて駄目だ。君は変わらないし、ボクも変わらない。それでいいだろう? 一緒に眠ろうよ」

「……、」


 幸い、触手は内臓を避けている。

 ダメージは深刻ではない。


「……‼」


 拘束から逃れるために、彼は全身を捩じった。

 突き刺さった触手が、身体の外側へ流れて行く。

 肉を抉りながら。


「……綺麗」


 その様を見て、フランは茫然と呟いた。

 恍惚とした顔を晒す。

 嗚呼、駄目だ総てが愛しい。


「フラン……ッ‼」

「うん此処に居るよ⁉」


 彼が飛び出してくる。

 それを予期していたフランは既に、リーベスの落下位置と進行方向に、触手を放っている。

 リーベスは触手に貫かれてしまう。

 辛くも急所を避けているが、ダメージは大きい。


「ぐは……っ」

「死を感じるかい?」

「……」

「身近に感じるだろう? どうしようもな程鮮明に、明確に、曖昧に……死の輪郭を捉えているだろう?」

「俺は、そんなモノにもう、興味はない」

「ウソだ」


 断言する。彼は未だ、死に囚われている。


「だって君今――?」

「……⁉」

「甘美だろ? 死を前にして君の脳が快楽を生成しているんだ。酔いしれていい、溺れたっていい。今を踊ろうよ!」

「俺は……!」


 彼は絶叫を上げ乍ら、立ち上がろうとした。

 しかし、すとんと左の重心が不自然に落ちた。


「……⁉」


 啞然と彼は自身の半身を見た。


「無理だよ。君はよくやった」

「くそ……」

「勿論知っているとも、ずっと見ていたんだ」


 両手を広げた。


「〝灼骨〟の影響だろ? 君の半身の圧覚神経は大きく損傷している。もう上手く動かせないんだろう? よくやったよ」

「……」

「好いじゃないかもう。必死にやって、頑張って、痛いのも我慢して、辛いのも我慢して。もう十分に頑張っただろ? これ以上苦しむ必要なんてない。優しい闇に沈もうよ」

「俺は……」


 彼は惑うように、自身の右手を見た。

 確かに、心の淵からふつふつと暗い愉悦が起き上がっている。

 死にたい、死にたい、死にたい。

 でも――。


「――ステラ」

「は……?」

「ステラに……逢いたい……」

 

 真底彼女に会いたい。

 それが心の奥底から転び出た本音。

 どの言葉を聞いたフランは信じられないと、わなわなと震えていた。


「ありえない……どうしてここで他の女の名前が出るの……?」

「……」

「フレデリカでしょ⁉ どうして他の女なの‼」

「……分からない。でも思ったんだ、彼女に逢いたい……」

「ウソだ。噓、嘘! 嘘つき‼ そんなの赦せない! あの人だけを見て! ボクを見ないなら、フレデリカだけを見てよ‼」


 そんなの解釈不一致だ。

 リーベスはそんなことを言うはずがない。

 是は何かの間違いだ。


「え……」


 リーベスは立ち上がった。


「有り得ない。半身の圧覚神経が死んでいるんだよ⁉ 立てるはずがない!」

「知らなかったか……? 俺は〝ミーチェ〟の拡張補佐で、日常生活をしている」


 普段彼が〝剣〟を肌身離さず携帯しているのは、〝剣〟が無くては私生活がままならいない程身体が痛んでいるからだ。譬えば視界。彼の両の眼は赤色しか映さない。かつて戦った純種〈モンスター〉にやられた傷が原因だ。

 その視界を補うために〝剣〟の拡張した全体視界を活用している。

 ――ミーチェの力はあくまで彼を支えるためにある。

 故に、今回も彼女の力に甘えた。

 流石に突貫過ぎて、違和感が凄まじいが。

 まだ戦える。


「見ていた割には何も知らないんだな」

「……っ⁉」

「解釈不一致だな」

「リーベス‼」


 リーベスはミーチェを構えた。


「さあ――決死の時だ」


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