第27話『星が瞬く、こんな夜に』

「……」

 目を覚ませばそこは知らない、布の天井だった。

 硬い地面。軋む身体。

 ――その総てが、起きた事が悪夢ユメではないと物語っている。

「……っ」

 吐き気がした。

 酷い嘔吐感。

 総てを吞み込んだ。嗚咽も涙もすべて吞み込んだ。

 だって泣く資格が何処にある? 果たして自身悲しむ資格は所在あるるのだろうか? 断じてあるワケが無い。

「起きたか?」

「――――っ」

 突然声を掛けられた。

 夢の中で最後見た顔だった。

「リーベス……」

「無事でよかった」

「無事……ここは?」

 そうか無事なのか、おめおめと自分だけが無事に……。

「ここはベースキャンプだ。〝結界石〟一個分が残ってな、小さいが何とか態勢を立て直しつつあるよ」

 クーフェの【妖精疾走】によって殆どの〝結界石〟は砕けた。

 しかし、最後の一つは何とか残ってくれた。

 その残った〝結界石〟を隠形に利用して、ステラを抱えてレインの下へ帰還した。

「閣下たちはあの蛇の〈モンスター〉に襲われてなかったよ、如何やら建造物内にのみに居るみたいだ」

「そう……」

 無気力に応えを返す。

「奴らの生態は知れないが、襲ってこないというコトは存外日光がダメなのかも」

「……」

「若しくは、俺たちをより効率的に殺戮するためなのか」


 前者であるならば、話は何とも簡単だ。

 『トゥーゲント・ヘルト』を爆撃する。それだけで未知の〈モンスター〉は駆逐できるが……。

 望み薄だろう。

 あの戦闘力から言って、やつらが純種であるのは間違いない。

 【未開拓領域】は紫外線が減退することなく降り注いでいる。

 条件は当然なことだが、【生存権内】よりも厳しい。

「恐らくだが、俺たちを逃がさないためだ」

「……」

 枝蛇が一斉に攻め立てれば、リーベス達はなりふり構わず逃げるだろう。

 あの速度と巨体だ、殆どの将兵・士官は殺されるだろうが、あの〈モンスター〉には目が無く、リーベスたちが見た通りに、連携も不得手である。

 恐らくだが、一割程度ならば生き残れるかもしれない。

「あの〈モンスター〉は俺たちを徹底的にぶち殺したいらしい」

「……そう」

「〈モンスター〉が巣くう最前線基地を放置できないからな、必死で戦うさ、あちらが攻めて出てこない限りは」

 現状での枝蛇の総数と総力は測れない。

 そう図れないのだ。故に、奴らが必死に攻め立てなければ此方も放置できない。だが、奴らが絶望的な戦力差を見せつければ、現状戦力での打開が困難だとこちらは判断する。

 そうなれば九割を切り捨てて一割に望みを託すだろう。

 ……すくなくとも、レインという男はそれができるリアリストである。

「逆に俺たちも迂闊に動けないがな……」

 俺たちが逃亡の動きを見せれば、それこそあの〈モンスター〉は重い腰を上げるだろう。

 そうなれば、あとは前述の通りであろう。

「だが悲観ばかりでもない……逆に言えば、俺たちは攻め手に回れるというコトだ」

 言うなれば枝蛇どもは受けの耐性である。

 罠を備えて、獲物を待ち、殺し尽くす。

 つまり相手は敢えて、後手に回っている。

 先手を取られはしたが、今度は此方が攻める番だ。

「それで……?」

「……」

 無気力な声音で、ステラが訊き返した。

「まだ私に戦えと?」

「――――」

「こんなに失って傷ついて、まだ足りなくて死ぬまで戦えって言うの……? 君達人間は凄く傲慢なんだね……」

 無気力に、笑う。

 自嘲を滲ませる。

 あまりに哀れだった。

「……」

「どれだけ私たちに、血を流させれば気が済むの……? 自分達は安全地帯で悠々とお茶でも飲んでるんでしょ?」

 それが八つ当たりであることは明白で、だけど、リーベスは反論しなかった。

「何とか言ってよ……! 私、今君に凄く理不尽なこと言ってるでしょ⁉ どうして何も言わないの――!」

 金切り声を上げて、枕を投げつけた。

「君だって辛いでしょ⁉ 苦しいでしょ! なんでそんなに平然としていられるの……⁉」

 彼が無痛症患者のように、痛みを理解できないヒトではないコトは理解している。

 ……彼が、痛みを感じるほどに〝妖精兵器〟のことを想っている事も知っている。

 故に解せない。

 彼が滔々と言葉を紡ぐことが。

「――俺が泣いたら、三人は返ってくるのか? 喚いて不満を漏らせば、理不尽に打ちひしがれれば、悔恨を言葉にすれば……きっと誰も顔を喜びで染めはしないだろ?」

 とても不毛だ。

 喜び悲しみも、今は不要だ。

 今は割り切ることが肝要だ。

 そう自分をが任す術を――リーベスは持っている。

 ただそれだけの――。

「……経験の差だ。俺は多くを見捨てて、自分を誤魔化してきた。きっと是からもそうする――」

 だが、と彼はつづけた。

「だけれどお前はきっと向き合ってきたのだろう? だから苦しんでいる、麻痺せずに今を苦しめる、お前は俺たちよりもよっぽど人間的だよ」

 そう言って彼は微笑んだ。

「ふざけないで……」

 震える声音が、響く。

「〝妖精兵器〟が人間らしい? だけでしょう? 全部そう造られただけだよ!」

「違う、君の潜在的要素は確かに、開発者に依るものかもしれない。だがお前が誰を想うのは、お前が獲得した尊厳故だ」

「……!」

「卑下するな、聞いていて、気分のいいものじゃない」

 彼女は顔を伏せた。

 膝にかかった毛布を握りしめた。

「私のせいなんだよ?」

「――――」

「私があの時恐れたから! 死にたくないって、そう思ったから……!」

「――――」

 あの時ステラが、死を惜しまず、枝蛇を殺していれば、ネネもクーフェもレオニダスも死ななかっただろう。

「……ずっと、嫌だったの。知らない誰かのために戦うのが嫌だった。戦うならせめて自分の理由が欲しかったの」

「そうか……」

「だから、あの子たちのためなら戦えた――」

 それが唯一、彼女が戦場で刃を振るうための理由。

「だけど……それさえ私は――!」

 しかしその理由迄手放した。

「あの子たちのためなら、死ねると思ってたの! でもできなかった! 恐れたの!」

「……」

 黙して、彼は耳を傾ける。

 積もりに積もった彼女の想いを受け止める。

「私が死ななきゃいけなかったのに……君と、生きたいと思ってしまったの……」

 告解するように、彼女は彼に懺悔する。

「二人よりも私は……! 君を想う自分を優先したの……‼」

 ネネは無論、クーフェが死んだことも知っている。

 妖精――その中でも特に親しい者たちは、精神の深奥で感応している。だからわかる。

 二人を殺したようなものだ。

 見殺しにした。

 赦される筈が無い。

 彼と今こうして、語らう資格など――。

「――ふぇ?」

 不意に温かなモノが、頬に触れる。

「死を恐れるのは当然のことだ」

 それはリーベスの右手だった。

「立てるか?」

「え――?」

 リーベスが唐突に訊いてくる。

 彼女は「た、たぶん」とたどたどしく応えた。

「そうか……」

 リーベスはそう言うと、ステラの手を引いて、天幕の外に連れ出す。

 外は既に日が暮れて、円環の星空が優美に回っている。

「どこにいくの?」

「いいとこだ」

 彼は優しく笑った。

 彼女は何も言わず彼に従った。

「……」

「……」

 しばし沈黙が続いている。

 二人の間は優しい無音の中だった。

「……」

 周りは皆、忙しなく動いている。

 誰もまだ、諦めていなかった。

 それはあの絶望をまだ目の当たりにしていないためか……。

「南部の奴らが、やられっぱなしで終わるかよ。やられた分だけやり返すさ」

「……」

 木々の合間に見える灯が、諦めない闘志に思える。

「ついたぞ」

「……?」

 そこは巨大樹であった。

 周りにあるものよりも一際大きいものだった。

「周りの木のせいで、空がよく見えないからな」

「なにを……っ」

 ステラが疑問を口にするよりも速く、彼女を横抱きにして跳躍した。

 ワイヤーを使い、見る見るうちに頂上付近まで登る。

「……!」

「やっぱり悪くない眺めだな」

 視界が一気に開け、新緑の森が円環の星々に照らされる絶景が其処にはあった。

「どうして、ここへ来たの?」

「風が気持ちよさそうだったから?」

「莫迦なの君は……」

 この一大事に、そんな下らない理由で連れ出したのか。

 しかも結構重い話をしていたのに。

 あきれて肩の力が抜けた。

「まあ、言いたいことは分かるがな、?」

 結構好きなんだよ、と彼は言った。

「私は嫌い」

「どうして?」

「何処を探しても贋物ばかりで、私みたいだから」

 偽物の夜も、星も、風も、嫌いだ。

「こんな狂ってる世界、嫌いだ」

「俺は好きだよ」

「どうして? こんな悲しいことばかりの世界を、どうして好きだって言えるの?」

 解せないと彼女は訊いてくる。

 その疑念を真っ向から受け止めて――。

「――お前に出遇えた。陳腐に聞こえるかもしれないが、それが総てだよ」

 ――微笑んだ。

「……っ⁉」

 彼女はリーベスの柔らかな微笑えみに赤面する。

「俺も正直、呪いたい。滅んでしまえと思ったことも一度や二度じゃない。だけど――」

 彼は空を仰いだ。

「否定するには、大切な人に出会い過ぎた……」

「……!」

「はじめは独りだった俺が、気がつけば皆に囲まれていた。囲むものを失い、傷つき疲れた果てで、今度はお前に出遇った」

 長い旅の終わりを何度願っただろう。

 フレデリカを失ったばかりのリーベスにはどう死を飾るかしか、想いは無く――掌を眺めるばかりだった。

 過去を想い、未来を嘲り、現在を後悔で埋める。

 不毛で無意義で無意味で。

 吐き気のする毎日。

 それが、閣下の命で管理人となった。

 その日々が、リーベスに新たな道を与えてくれた。

「ステラ、お前は生きろと願われたのだろう?」

「……っ!」

「妹にそう思われたんだろ?」

「……」

「だったら生きろ――

 はじめて……彼女が死んでから初めて――リーベスは生きるために戦うことを決めた。

「私のせいで死んだのに、生きていいのかな?」

「当たり前だ。お前が死んだら、二人は何のために死んだんだ」

「でも……」

 許せない。自責の念が彼女を責め立てる。

「分かるよ、残された奴の気持ちはよく知っている。だけど、其れの意味はない。どれだけ自分を責め立ててもそれはただの自己陶酔だ。意味は無いよ。鏡をたたき割っても、死にそうな面が増えるだけだ」

 何度も、何度も、残った自分を呪った。

 彼女とともに死ねと、何度も怨嗟を放った。

 その度に――。

 ――貴方は生きて。

「死のうと思う度に、あいつの顔が浮かんでくる。バカみたいに綺麗なあの笑顔が」

「……」

 誰のことなのかはわからなかった。

 ただそれが、彼のとても大切な人物なのだとわかった。

「ずっと逃げてきた、あいつの想いから。あいつの想いを無視して、あいつの下へ行きたかった。だけど、俺は生きるよ。今を生きる。お前たちと一緒に。俺を変えてくれた、お前たちと一緒に……」

 なにもかも、簡単なコトだった。

 些細な積み重ねだった。

 ほんのわずかな切っ掛けで、ヒトは変われるのだ。

 導を失い、寄る辺を失っても、進み続けて、新たな寄る辺を得てさらに篝火をえた。

過去うしろを見ながらじゃ、未来まえは見えない。考える事さ出来ない。でも、誰かが手を握ってくれるだけで、こんなにも暗闇は簡単に晴れる」

「……っ‼」

 リーベスは彼女の手を取って握りしめた。

 温かな体温。

 それが甘やかに、彼女心に巣くった闇を溶かしていく。

「……見てみろ、流星だ」

「……!」

 星が落ちている。円環から落ちて、導を失い新たな地へ落ちていく。

「俺は、願ったぞ?」

「何を願ったの――?」

 彼はニヤリと笑った。

「お前と一緒に帰る」

「そっか……」

 もう一度、空を見上げてみた。

「――――」

 あまりに鮮明に、その夜は輝く。

 その美しさゆえに、それが贋物であると伝えてくる。

 しかし、矢張その夜は美しい――。

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