第3話『恋』

――フェスト軍国・亜人区。

 其処は様々な文化が入交、雑多な建物と人々が行き交う場所だ。

 亜人は過去迫害された過去を持ち、今尚その憤怒を胸に秘める者はいる。其処迄は行かなくとも、人間を見て好い気はしないと言うモノは、亜人区に住む者たちの三割にも上る。

 それ故に亜人区は、他の区と隔てられている。摩擦を懸念してのことだが……これもまた気に食わないものは多い。

「俺は結構好きだがな」

 リーベスは顔を顰め乍ら独り言ちた。

 様々な種族・文化が入り乱れて活気に満ちた様は壮観の一言。

 屋台の店主の客引きもいいサウンドだ。

「強いて言うなら、国内でこんなやぼったい格好しなくちゃいけないとこだな」

 そう言って自身の服装に辟易する。

 今のリーベスは大きめの襤褸で全身を包み、ゴーグルを付けていた。

 中央区為らば、一発で憲兵に突き出される格好ではあるが、ここは亜人区。多様な文化のおかげか今のリーベスは浮いていなかった。

「……」

 亜人区の中央通りを抜けて、路地裏沿いの店に入る。

 看板には『何でもござれのゴブリン様へようこそ!』と書かれていた。

 扉を開けると、様々なモノがあふれかえっていた。知らぬものが見たらただのゴミ屋敷と思うだろう。

「おう! こんな朝から結構だな!」

 元気よく言ってくる友人にしかめっ面をお見舞いする。

「うるさい、眠いんだよ。だいたい朝の二時は朝じゃねぇ」

「すげぇじゃねぇか! たったの一言で矛盾できるなんてよ!」

「この野郎」

 笑って、カウンターに腰掛ける。

「全く、礼儀のなってない客だな」

「うるせぇやい。それよりも何か出してくれ、眠気覚ましになるやつ」

「なんだまだ寝ないのか? ゴブリン俺たちと違って夜は強くねぇだろ?」

「新しい任務があってな、今日中に妖精区に行かなきゃならん」

「なんだよ! 内地じゃねぇか⁉ くうぅ! 栄転だな!」

「……」

 言いながら、緑色の男――小鬼ゴブリンのゴブリルが緑色の液体を銀のコップに注いだ。

「おいこのコップ、前俺がサルベージした物じゃん⁉ 売れなかったのか⁉」

「まあ、な」

「なんでだよ⁉ 純銀で出来たコップだぞ?」

「何でも、今の時代銀のコップなぞ使えないらしいわ。相手を疑っているって言うようなものだからなぁ。置物にするにしても、このコップ無骨過ぎるからなぁ」

「ああ~、分け前が……」

「なしだな」

 くっそ! やっけぱちになって、みどり路の液体をあおった。

 どろりとした液体が喉を伝い胃へ運ばれた。

「最低最悪の味だな」

 舌を出して苦り切った顔を見せた。ゴブリルは緑色の顔をニヤリと笑ってみせた。

「よく効くだろ?」

「確かに眠気は無くなったが。味蕾を這いまわっている感じがする。なに飲ませたんだよ」

「そりゃあ聞かぬが仏よ」

「……」

 因みに、リーベスが飲んだモノはゴブリン族に伝わる豚の睾丸を磨り潰し、様々な薬草をブレンドしたスムージーだったりする。

 もちろん味は最悪。ゴブリンも舌を出すレベルだ。

「幾つか薬草もくれ」

「なんだ怪我したのか?」

「まあな」

 そう言って徐に上着を脱いで、傷を見せる。雑に縫合された傷口が赤らんでいた。

「おいおい! お前これ破傷風で死にてぇのか⁉ こんな雑に処置したら化膿するぞ⁉」

「だから薬草寄こせて言ってんだろ?」

 ゴブリルは裏に回って止血や痛み止め、免疫力の向上の効果がある薬草を持ってきた。

「あとは是、抗生物質だ」

「医者じゃねぇのに色々あんな」

「何でもござれだからな」

 早速抗生物質と薬草類をミキサーで混ぜて喉の奥に流し込んだ。

「それで何にやられたらこんな傷になるんだよ?」

「【竜種】」

「はあ⁉ 【竜種】ってお前、【死域霊雷の大墳墓】に竜が住んでたのか⁉」

「一匹、二匹じゃなかったな」

「そいつはまた……」

 よく生きて帰ったものだと感心した。

 数多の【竜種】に〈モンスター〉。

 それだけの脅威の中で生還するとは、いやはや何とも強運。

「悪運の間違いさ。何せ死に損ねた」

「まだ言ってんのか。くだらねぇ、遅かれ早かれ死ぬんだから、急ぐ必要なんてないだろ」

「違うね。遅かれ早かれだからこそ急ぐんだ。醜くい屍となり、無様に終わるならば、死に花を咲かせたいと思うのは軍人として正当だ」

「ただの甘えだろ。生きるのが辛くて、未来が怖いから死に急ぐ。お前はただの弱虫だ。みんな生きるの辛くて怖い中必死で生きてるってのに、お前ときたら……」

「……」

 そんなことは言われなくても解っている。どれだけ自身の願望が生産性の無いコトか。どれだけ意義が無いコトかもわかっている。

 無理矢理に意味をつけているだけなのも解っている。

 だけどどうしようもない。

 其れしかないんだから。

 この望みしか自分は持っていない。それ以外はすべて虚飾だ。虚栄だ。虚無だ。

 空しいことなぞ解っている。

 わかっているのだ。

「……まあいい。それよりも、ここに来たってことは、見つけたんだろ? 【累々のゴブレット】」

「ああ」

 言いながら、懐から金のゴブレットをカウンターにおいた。

「おお! 此奴がか!」

 モノクルを光らせる。

 隅々まで調べ上げる。特徴的な魔力反応が【累々のゴブレット】であることを証明していた。

「確かに此奴は【累々のゴブレット】だ! 報酬ははずむぜぇ~!」

「そうしてくれると助かる」

「おう! ちょっと待ってな」

 ゴブリルは暫し離れると大量の紙幣を鞄につめて渡した。

「報酬の二万フェスだ!」

「随分弾んだな。これなら三ヶ月は遊べるな」

「けけ」

「くく」

 二人して腹を抱えて笑った。正しく抱腹絶倒である。

 ひとしきり笑った後、リーベスは扉に向けて歩き出した。

「なんだ、もう行くのか?」

「イイ感じの時間になったからな」

 掛け時計を見るともうすぐ午前四時になる。

「いい時間つぶしだったよ」

「そうかい」

 扉を開けて、雑踏の中に紛れようとするリーベスの背中に、ゴブリルが声を掛けた。

「リーベス!」

「……?」

「――死ぬなよ?」

 らしくない、心の籠った声音だった。

 リーベスは何も言わず、手を振った。

 去っていく彼に、ゴブリルは「……馬鹿野郎」と呟く事しか出来なかった。


 ――虚ろな願望が、身体を突き動かすのだ。

 どうしようもない幻影を追って、動いていく。過去の父が残した功績、嘗ての〈モンスター〉の大群を護国のために戦い、殉死した。

 その炎が焼き付いている。どうしようもないのだ。になりたいと、身体が進んで行く。止まれるはずが無かった。それだけのなのだから。それ以外持っていないのだから。縋るしかないのだから。

 そのたった一つが、この伽藍に残ったものなのだから。

 それだけが生まれた意味を証明する手段なんだから。

「……」

 まるで墜落する水鳥を眺めている気分だ。荒い海原に吞まれて消えて行くのを見ているよう。

 指針なぞ最早なく、道はは既に失った。

 止まることも、戻る事も出来やしない。

 ただ進むだけなのだ。

「……」

 ふいに空を見上げた。何かを見たかった。

 ――は?

「きゃああああ⁉」

「――――っ⁉」

 帽子を目深に被った少女が空から落ちてきた。

 彼は咄嗟に少女の落下地点に先回りして、彼女を受け止める。

 あまりに軽く、枕でも受け止めたのかと思った。

 彼女の深い翠の瞳とあった。

「――――」

 宝石のようなその瞳に、リーベスの心は囚われてしまう。

 心を掃うように、靄が消えて行くのが分かった。

 空気が緩慢になったのが分かる。

 視界の情報が彼女以外をはじき出す。

 決して彼は認めないだろうが――。

「ありがとうございます」

 この時きっと、少女に恋をした。

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