第2話


「あー……失敬、失敬。久しぶりに笑ったものだから」

「……」


 膨れ上がった私の顔をみた赤松は、やっと平静を取り戻すと真顔になった。


「いや、本当にこうして語っていられるのも天の定め。私は父、赤松貞範さだのりの命にて君を探していました」

「私を……探していた?」

「かつて武蔵国むさしのくにを治めていた畠山はたやま家をご存知か?」


 突然、書物のなかだけにいた人名が出てきて驚いた。


 書は高価なものだったが、父に頼めば大抵のものは手に入った。

 本島から送ってもらう書は、数年前の出来事をしたためたものではあったが、私は何度も読み返した。閉ざされた島の数少ない娯楽だ。


「畠山家とは、たしか征夷大将軍、足利様の一門ですね」

「そして、その畠山氏は十年ほど前に南朝勢力との戦いで敗れ、血筋は途絶えてしまった……。今、第三代征夷大将軍足利義満よしみつ様が、かつての豪族を結集し、南朝との戦準備を始めている。再び日本を再建するためには、名門と謳われた畠山家の血筋が必要なのだ」


 本島の現況は分からない。ただ、南朝の勢力は強大だと聞く。


「それと私が、いったいどういう関係があるのですか?」

「大ありなんですよ。畠山家の末裔が来紗らいさ殿、あなたなのだから」

「……え?」

「畠山家は攻め入られた際に、側室を家来の使用人に紛れ込ませて、島流しにあった。その後、畠山の血筋を継ぐ者と分かったが、価値ある人質として解放されることはなかった。だが、なんと側室は身ごもっており、流罪の地で出産……その赤子こそが、来紗殿……あなたです」


 私はよく婆から、妄想好きだと小言を言われる。

 だがこれは、度を越しての妄想だと思えた。


「ふふっ……私が、畠山家の子孫? そんなわけ……」

「ないと言える証拠があるのか? あなたは島を出たことが一度もないのではないか? なぜ島を出れないのか理由を教えよう、来紗らいさ殿は畠山国清くにきよ様の生き写しだからだ」

「ばかなことを……」


 私は赤松の視線に耐えられず、顔を背けた。その視線の先で屋敷を出る婆の姿を見つけた。私は来た道を戻り、急いで服を着替えると、婆に見つからぬように部屋に戻った。



「父上、私はどうして島を出れないのですか」


 夕食の席で私は父に尋ねた。


「その話はもう何回もしているだろう。お前が婚姻できる歳になれば、島から出られる。それまでの辛抱だ」

「足利様の側室はみな、十代半ばで婚礼の儀式を挙げていらっしゃるそうではありませんか」

「姫様は、まだ家督を継げるほどの品格を十分に身につけられていません」


 部屋の隅で控えていた婆が口を挟んだ。


「品格……? 婆が教える習い事は毎日欠かしたことはないですが」

「姫様は時々、貴族とは思えない行動をとられる。そのせいか所作が荒々しくなります」


 父は婆の意見に大きく頷いた。その表情は相変わらず笑みを貼り付けているようで、心の内は分からなかった。


「そのとおりだ。まだ本島に渡るのは早い」

「そんな……」


 約束していた年齢はとうに過ぎて、永遠にこの島からでることはできないのではないかと絶望した。


「姫様、不自由なく平和に暮らせることが何よりですよ」


 婆はそう付け加えたが、婆の考える暮らしとは、呼吸をして無為に過ごす日々のことなのだろう。

 それはここに送られてきた罪人と同じ。

 私になんの罪があるというのか。



 赤松が畑に出る頃を見計らって、私は同じ場所で桑の葉に隠れて待っていた。


来紗らいさ殿だろう。香りですぐに分かるぞ」


 振り返るとすぐ近くに赤松がいた。


「そんなに私は匂うのか?」

「甘い匂いだ。ずっと家の中にいるからでしょう、肌も絹のように白い」


 また変な空気が赤松を中心に漂い始める。

 いつの間にか私は、赤松に心地よさを感じ始めていた。危ういと悩みながらも、妄想は膨らむばかり。

 これ以上、踏み込んでしまっていいものか、誰にも聞けないし聞いたところで教えてはくれない。


「それで、俺の話の続きが気になりましたか?」

「はい。時間もありますし、面白そうなので」

「ところが、こちらとて、悠長に話している暇はないのです」


 赤松は突然、私の耳元に口を近づけた。


「……明日の夜、俺はこの島を離れる。もし脱出したいのならば、屋敷の裏にある崖に来てください」

「なっ……脱出なんてできるわけありません」


 顔を話して赤松の表情を見ても、相変わらず真顔のままだった。


「俺は兵士を連れてまた帰ってきますが、その間に亀島がどのような行動をとるかは分からない。当然、君も危険になる」


 赤松は私の手を握った。


「……屋敷の裏に必ず来てください。こんなところで一生を終えてはいけません」

「し、しかし……島を出たからといって、頼れる者はいません」

「心配しなくて大丈夫です。赤松家はそれなりに播磨で名の通った氏族です。父は厚遇するでしょう」


 なぜ幼子のように赤松に従ってしまうのか。

 それは赤松が、ずっと未来を見据えて今を生きているからなのかもしれない。未来に希望がある者は輝いて見える。


「でも、どうして、それほどの豪族の子であれば、他のものに任せればよいでしょう?」

「はははっ! それは、あなたと同じ性分だからでしょう」


 赤松は恥ずかしそうに頭を掻くと、子どものように無垢な笑みをもらした。



 その夜は新月だった。

 寝床から起き上がり、じっと耳を澄ませて家の者が寝静まったことを確認した。


 島を離れることはとうに決めていた。

 豪族の血がどうこうということは関係ない。ここから抜け出せるのであれば、そのきっかけを運命だと信じたい。


 私は静かに身支度をして、勝手口に急いだ。


「姫様。どこに行かれるのですか」


 廊下には、婆が亡霊のように立っていた。

 思わず息をのんだ。

 今まで私をこの島に繋ぎ止めてきた婆だ。その執念を鑑みれば、私の異変なぞすぐに感じ取って機微を察していたのかもしれない。


「私に構わないで」


 通路をよけて空き部屋に入り、婆を避けると、横の襖が開いた。


「そうはいきませんよ。姫様は亀島家の大事な宝なのですから」

「私は宝などではありません。ひとりの人間です」

「姫様、待ってください! 人を呼びますよ!」

「やめてっ!」


 腕に絡みついた婆の手を払うと、婆は躓いて床に伏せた。


「姫様がいなくなったら……私はここ居れなくなります……明日から、どうやって生きればいいのですか……後生ですから……」

「……」


 婆は結局のところ、自分のために私を利用していたのだ。

 私は振り返らずに勝手口を開けて外に出た。


「罪人が逃げたぞー! 脱獄じゃ! 脱獄じゃ!」


 背中に婆のしゃがれた胴間声が浴びせられた。

 急いで崖に向かうと、焼け焦げた匂いが鼻につく。


 振り返ると、屋敷を挟んだ向こうの畑から火の手が上がっていた。

 小作人たちは火を消すことに専念して、婆の大声に気づく者はいない。

 おそらくは赤松の計画なのだろう。


 風が吹いて長髪が舞う。

 炎は屋敷の陰影をくっきりと浮き立たせるほどに大きくなった。

 橙の光が青草を照らし、生まれ育った屋敷もまた、初めて見るかのような景色の一部に変わっていた。


 もう帰る場所はない。

 吹きすさぶ風が妙に冷え冷えとする。

 そのとき、草をかきわけてこちらにくる人影があった。


「よく来てくれた! 来紗らいさ殿」

「赤松っ!」


 赤松の自信に満ち溢れた笑顔を見て、心が解けた。

 大きな胸の中に飛び込むと、赤松は抱きしめた。


「さあ、あと一歩だ。そこの崖から飛び降りよう」


 崖下をのぞくと、明かりを灯した船が一隻待機していた。

 予想はしていたが、墨池のような闇の坩堝るつぼを前に足がすくむ。

 島は断崖絶壁に囲まれているが、この崖がもっとも高さが低く、飛び降りても十分な深さの海底がある。


 息を整えて、上着を脱ぎ捨てた。

 ここに残っても、死しかない。生を得るための死ならば、意味があるだろう。


「覚悟を決めました」


 赤松と目を合わせた瞬間、草むらから黒い影が飛び出した。私は声を上げると、赤松が振り返って影を止めた。


「うっ!」


 ギラリと赤松の懐で短刀が光った。

 赤松の脇腹に先端が刺さり、血が刃を伝う。

 刺した男は父だった。


来紗らいさ、こんな罪人に誑かされおって……」


 狐目の瞳が私を睨んだ。

 赤松は手首を返すと、あっさりと父の手にあった小刀は地面に落ちる。

 倒れるように赤松は崖から身を落とした。


「赤松っ!」


 海に落ちる音が聞こえ、私もあとを追う。


「ま、まてっ!」


 あとにも先にも能面のような父の表情が崩れたのは、これが最後だった。


 海面に叩きつけられると、全身がしびれたように動かなくなった。

 意に反して、体は沈んでいく。

 息が苦しくなり、体を必死に動かすが簡単に浮かび上がることはできない。


 急に頭上が明るくなると、そこから赤松の姿が近づいてきた。

 太い腕に抱かれて、あっという間に急浮上する。


 海から顔を出すと、すぐに舟に引き上げられた。

 そして赤松も甲板に転がり込む。


 脇腹からは血が流れていた。


「赤松! 大丈夫!?」


 私はそばに駆け寄ると、赤松は体を起こした。


「たいしたことはない」


 赤松は脇腹に目をやると慌てて傷口に手を当てた。


「まぁ……少し傷の手当はしたほうがよさそうだな」


 想像以上に血が流れていたのだろう。

 一緒に船櫓ふなやぐらに入ると、赤松を横にして布で止血した。


「静かな海だ。すぐに播磨につくだろう。こんな静かな日はない」

「ええ、島であった騒動が夢のようですね」


 布はすぐに赤く染まった。


「播磨についたら、来紗らいさ殿には見せたいものがたくさんある」

「私も見たいものがたくさんあります。ですから、たくさん教えて下さい」

「……きっと驚きますよ」


 赤松はしゃべりながらまぶたを閉じた。


「赤松? 赤松!」


 血の気のない顔は死人のようだ。

 私は帯を外して赤松の体の下を通し、当ててある布をきつく結んでどうにか血を止めようとした。

 赤松の横に寝て、冷えた体に肌を密着させて温める。赤松の心音が聞こえた。


 その音が途切れないよう祈りながら、舟は静かな海を本島に向かって進み続けた。



──その後、播磨の守護・赤松氏は、足利義満の信頼を得て膨大な所領を得ることとなる。

 特に赤松顕則あきのりは長男でありながら、播磨を去り、尾張に財を築く変わり者だった。

 しかしこれが功を奏して、紀州出兵や明徳の乱で活躍し、赤松家の地位を盤石なものとした。

 そしてその顕則の側には、正妻である来紗らいさの姿があったという。


(完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

流刑地の姫君は罪人の腕の中で眠る 下昴しん @kaerizakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ