流刑地の姫君は罪人の腕の中で眠る

下昴しん

第1話

 退屈だと思わない日があっただろうか。

 島の屋敷から遠い雲を眺めて、そう思わない日の記憶を辿ろうとした。


 やがて、船が着いた報せを聞いて、考えるのをやめた。


「罪人が送られてきちょる」


 遠目のきく小作人が崖から岸を見下ろしてそう言った。


「何人?」


 縁側に出て私が尋ねると、小作人はその場で地面に膝をついた。


「一人でございます」

「すぐに父上に伝えてきてちょうだい」


 村人は鍬を放り、主宅へ急いだ。


 ここは日本の末端の孤島。断崖絶壁で囲まれ、入江は一つしかない。

 住民は、我が亀島家の小作人と罪人からなる──そう、ここは流刑の島なのだ。


 父は亀島家当主であり、京から送られてくる罪人の世話を取り仕切っている。

 罪人は、後々駒に使いたい貴族や斬ると謀反を起こされる侍大将ばかりだ。

 ゆえに、わりかしよい処遇の罪人が流れ着く。


 私は草履を取ると畑に出た。


「姫様! 何をされているのです! 着物の裾が汚れます!」


 目付役のばばが縁側から身を乗り出してきた。


「ちょっと見てくるだけよ」

「なりませぬ」

「このままだと、フジツボのように醜く干からびてしまいそうだわ」

「殿様に叱られるのは私なんですよ」

「ならば、私が死ぬ気で父上を説得しますから」

「……では、少なくとも笠を被ってください。罪人に姫様の肌は毒です」


 婆が笠を取りに引っ込んでいる間に、私は無視して坂を下りた。


(どうせ、時間稼ぎをするんでしょ)


 罪人は入江にある洞窟に入れられると、なかなかお目見えすることはできない。


 船に掛けられた手製の桟橋を罪人が渡っていた。

 手首には枷があり、それに繋がれた紐を京の兵士が引いている。


 一体どうしたらそれほどボロボロになるのか、と思えるほどの穴だらけの服を着ていて、膝の上でちぎれた袴が島風に吹かれてたなびいている。

 太ももは木肌のように隆々として、汗で黒光りしていた。


 牢から出て日光浴をする罪人を見たことはあるが、男の生々しさを感じることはなかった。


(この男は侍大将なのか?)


 見ているだけで獣臭が漂ってくるような、荒々しい肉体だ。

 ふと罪人に見返されていることに気付いた。

 鋭い目つきが視界に入ると、反射的に目をそらす。


(間違いない。あの罪人は修羅の目。きっと何人も殺してきたのだろう)


 今まで見たことのない殺気めいた眼光に、身がすくみ慌てて屋敷の道を引き返した。

 冷や汗を拭いながらも、体の芯から生が湧き上がってくる妙な心地がする。

 気を鎮めていると戸板の向こうで小作人の会話が聞こえた。


「……なんでも、守護代の付き人だったみてえだ」

「へぇ、なんでそんな偉え人が流れてきたんだ」

「知るわけねぇだろ。ただ、京の役人がそう言っているのを聞いたって」

「そりゃあ……妖姫ようひめ様も気になるわな」

「あぁ、俺にもいつか目を掛けてくれねぇかな」

「オメェみてえな醜男には、近づきもしねぇよ」


 島には婆と私しか女性がいない。

 そのせいで小作人の間では様々な噂が流れた。泥沼の愛憎劇から、支離滅裂なお伽話まで。特に私のことは、何を考えているのか分からない突飛な行動のせいだろう、妖姫ようひめなどと呼ばれていた。


「罪人の名前は何というのですか」


 戸を開けると、二人の男は顔を強張らせた。


「ヒッ!」


 地べたに転がるように伏せて黙り込む。


「答えないのならば、あなた達の名を父の夕膳に並べましょうか」

「『赤松』と聞いています……なので、どうか殿様には内密に……」

「赤松は侍なのか? 人斬りなのか?」

「俺らなんかには何も分かりません……ご勘弁ください……」


 たとえ知っていたとしても話さないだろう。

 父はこの島で最高権力者であり、次点の私の脅しぐらいでは釣り合わない。もし私をたぶらかしたり、悪い影響を与えたとあれば、崖下の牢に送られることもある。

 さすがの私も、それを止めることは容易ではない。


「何をしているのですか!」


 突然うしろから悲鳴に似た声がした。

 婆が土間から出てきて、土下座する二人を手で追い払う。


「あんな下手人げしゅにんと会話をしてはいけません。おお、くわばら、くわばら」


 婆からみれば小作人も罪人もみな、死を背負った恐ろしいものとして一括にしているようだった。婆は死の気配がすれば、奥屋に逃げるほど、死を嫌っている。


(こんな退屈な生活こそ死んでいるようなものなのに……)



 婆が配膳を終えるころに、私は今日送られてきた罪人について父に聞いた。

 私が父と会話できる場は、夕食のときしかない。


「なんと早いことか。もう来紗らいさにまで伝わっているのか」


 父は形の良い鼻髭を触って、島の狭さを自嘲した。

 

「あの者はなぜ流されたのですか?」

「あれは金をくすねたのだよ」

「そうなのですか……それぐらいで島流しになるのですか」

「まあ、そうだな。盗んだ額によるのではないか?」


 よく父は私の好奇心を抑えようと嘘をつく。


(裏返して考えれば、それだけ私が興味を惹く罪人ということね)


 私とは真反対で、ほぼ決められたとおりに働き、本島からの命令があれば疑うことなく執行する。

 そんな父が島の者から恐れられるのも無理はない。

 私が知っているだけで、罪人の首は三度ねられている。それを執行したのはもちろん父だ。


 噂によれば父は笑みを浮かべたまま首を刎ねたらしい。

 父は狐顔で普段の顔も笑っているように見える。どうやら私は亡くなった母親のほうに似ているのだろう。



 深夜に屋敷を抜け出して、夜風に紛れながら入江に着いた。


 漆黒の海から波の音がする。十年近く閉じ込められている私は、目隠しで歩けるほど島のことを熟知しているつもりだ。

 牢のある洞窟から人の気配に気づくことはできない。松明の明かりで常に照らされている洞窟内は、唯ひとつの出入り口に夜闇の帳が下りているのだ。


 頑丈な丸太で組まれた牢は4つあり、その真ん中に赤松という男は囚われていた。

足を向けて寝ていたが、それでも判別できるほどに大きい。

 すると突然、男はむっくりと体を起こすと、私のほうを見た。


「あんた、もしかしてここの姫君か?」

「な……なんで!?」


 思わず声が漏れた。


(向こうからは絶対に視えないはず……足音も波の音で分からないはずなのに)


「匂いだな、ずっと囚人たちと過ごしていると、はっきりと分かるもんさ」


 高みの見物気分だった私は、地に落とされたかのように足が震えた。


(なんで膝が震えるの? こんなに度胸がない弱々しい女だったかしら)


 罪人という底辺の人間にそぐわない、鋭い眼光と落ち着いた物言いのせいだ。

 私は島という狭い常識のなかで育ったことを痛感した。赤松のような人間は島にひとりとしていない。


「名前を教えてくれないか。俺の名前は、赤松顕則あきのりという」

「……」


 人斬りと思っていた男は、声の調子を整えて聞こえやすいように工夫さえしている。知恵も教養もあるのではないか、そう思えた。


「そこにいるのは、一人なのか? 付き人がいるのか?」


 どうやら本当に香りだけが頼りらしい。人影さえも視えていないのだろう。


「俺はもともと侍大将だった」


 やはり思っていた通りだ。戦に出てさんざん人を斬ったに違いない。


「ここに着たのには理由がある。戦に負けたからではない」


 侍大将ならば他にどんな理由で流罪になるのだろうか。


(いえ……下手人げしゅにんの虚言に耳を貸す必要はない)


 ひときわ大きな波が寄せて来たので、その音と一緒に私は身を引いた。



 それから三日経ち、赤松は枷を解かれ、農作業を課せられた。


 罪人が牢につながれるのは夜だけで、それ以外は桑畑の世話をさせられる。

 畑の前で並ぶ赤松は、島の誰よりも背が高く、力が強そうだった。


 いまはちょうど蚕の葉の収穫時で、人の手が足りていなかったこともあるのだろう。

 しかしながら、彼が言った通り侍大将ならば、もし暴れたとき一体誰が彼を止められるのだろうか。


 私は縁側で彼が青葉を摘む様子をじっと見ていた。


 あれから父上との夕食の際に、もう一度彼の罪状を聞いてみた。

「金を持って逃げたところを関所で捕まった」そんな最初の話に毛が生えた程度のことしか分からなかった。


「もしかして、とてつもない大金を盗んだとか……? いまもどこかに隠しているとか……?」


 いえ……それなら流罪にするはずはないし、本島で牢にいれて拷問か死罪。


「身分が高かったから首を斬れなかったとか……?」


 彼は洞窟でこの地に着たのには理由があると言った。


「つまりは、この島に宝を隠したとか!?」


 それなら辻褄があうのではないか。私は思わずすっくと立ち上がった。


 婆の目を盗んで着物を薄手のものにすると、身をかがめながら桑畑に侵入した。

 赤松が作業をする一つ後ろの並木の列を走る。


「あ……赤松」


 小声で大きな背中に呼びかけた。


「赤松っ!」

「……?」


 振り向いた男はたしかに赤松だったが、髭を剃り髪を整えた横顔は凛々しく、しっかりした顎骨と濃ゆく長い眉が、鷹の目のような鋭い眼光と釣り合っている。


 蚊帳をかけられたかのような桑の葉の隙間から、さまよう視線が私の視線と合った瞬間に、息をのんだ。


「君は、以前牢獄に来た者か」

「……」

「名を聞いていなかった」

「亀島来紗らいさ、この島の当主の娘だ。私に何かあれば獄門行きだぞ」


 声が震えて、臆してしまう。


(いったいどうして、この男の前ではいつもどおりいかないのか……これが侍大将というものなのか?)


 赤松が桑の木を潜ろうとしゃがみ込んだ。


「ま、待て! それ以上来るでない! お前は盗人なのだろう? この島に財宝を隠していることを島の者にふれまわってもよいのか?」

「ん……?」


 私の言う事など無視して、赤松は私の正面に顔を上げた。


「盗人……財宝……?」

「あ……いや……」


 怯える私の顔を見ておかしかったのか、赤松は破顔した。

 

「あ、ははははっ! もしかして、俺を海賊か何かだと」

「か、金を盗んで捕まったのではないのか?」

「ははははっ!」


 恥ずかしさいっぱいで思わず言ってしまった言葉に、赤松は腹を抱えて大笑いした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る