第3話  因果応報


「…え、資料が…なかった?」


課長の清水しみずから告げられた一言に、午後の通常業務をしていた芽衣めいは、キーボードを叩く手を止めた。


「課長が言っていた通り……課長のディスクに置いてある提出物専用ケースの中へ、確かに入れましたけど」


「そうだよね…んー、どこに行ったのかな」


清水は首を捻った。


「それって、これ?」


意気揚々と現れた木崎きさきが、芽衣のディスクの上に“バン!”と大きな音を立てて資料の束を置いた。

驚いた社員たちがそれぞれ業務の手を止めて、芽衣たちの方へ視線を向ける。


「貴女のゴミ箱に入ってたわよ」


「え?」


木崎の言葉に、芽衣は驚いた。


「そんな…」


「提出する資料と破棄する資料を間違えたんじゃないの?…それにしても、もし捨てる用済みの資料だったとしても、シュレッダーにかけずに捨てるとかありえないわね」


芽衣はショックですぐ言い返せなかった。

資料を間違えた?

ケースに入れる直前、きちんと該当の資料だと確認したのに。


「木崎さん、そんな決めつけ方は良くないよ」


すかさず清水が木崎をたしなめた。


「なら、なんで提出する資料がゴミ箱の中にあったのよ?」


木崎はふんと鼻を鳴らした。


「詳しく話を聞きたいのですが、木崎さん」


その時、新谷あらたにが会話に割って入ってきた。

うつむいた芽衣の横に立って、厳しい顔で木崎を見据える。


「その資料は確かに望月のゴミ箱の中から漁ったものですか?」


新谷の不躾な問いに、木崎はムッとした。


「新谷君ったら、漁るって言い方は酷いわ。そんないやしい真似を私がするわけないじゃないの。でも、まぁ、酷い言い方だけど…ええ、確かに望月さんのディスクのごみ箱から拾った資料よ。そう、あれは昼前だったわ。彼女のディスクの前を通りがかって、そしたらこの資料が目に入って…」


「へぇー。わざわざ望月さんのごみ箱の“中身”を見たんだ」


清水が誇張してわざとらしく呟いた。

人のごみ箱を漁る行為は、あまり褒められたものではない。


「たまたまよ!この子のゴミ箱がいっぱいだったから『こんなに溜めて、だらしない』って思って気になって見たの!そしたら……」


清水の安い挑発に、プライドの高い木崎はすぐ食い掛ってきた。


「ふーん」


「な、なによ」


「おかしいですね。その追加資料は今日朝一に課長が頼んだものですよね?」


「そうそう。急遽今日の昼一に前倒しになった会議で必要になってね。あれ、でも確か、今日はゴミ回収業者が来た日だったよね、午前に」


「そうです。だから妙なんです……資料作りが終わってから、望月はすぐに俺たちと合流して別室で会議のセッティング作業に追われていたんですよ。確かゴミ回収業者が来たのはその間だったはず……」


「そうだよね。じゃあ、この資料はいつ間違えて捨てたんだろう?」


目の前に置かれた資料に視線を落としつつ、清水は腑に落ちない顔をした。

途端に、木崎の顔色が変わった。


 今日の朝礼で会議の日程が前倒しになったと話があった。

通常業務を後回しにして、社員全員に急遽仕事が割り振られたのだ。

ここまでの経緯はその場にいた木崎も知っているはずだが、彼女には仕事を振っていなかったので適当に聞き流していたのだろう。

朝礼後、芽衣は清水から言われた通り、会議で使う書類の『補足資料』の作成を急いで仕上げた。

補足資料なのでそこまで時間は掛からず、始業開始から一時間程度で提出できた。

その後は、昼休みギリギリまで新谷や他の社員と別室で作業をしていたのだ。

丁度その頃に、ゴミ回収業者がこのフロアのゴミをすべて回収している。

木崎は昼前に芽衣のごみ箱から拾ったと言ったが、芽衣が資料を捨てられた時間は『朝』―ゴミ回収前だけのはずだ。

だとするとなぜこの資料が回収されずに、今ここにあるのか。


「ゴミ回収業者が忘れただけでしょ?!」


木崎が怒鳴ると、一人の社員が『あの…』と言いながらおずおずと手を上げた。


「自分、望月さんの隣の席ですが、彼女のゴミはきちんと回収してましたよ。というか、望月さんが不在だったので業者さんから捨てていいのか聞かれた時に……自分が許可しましたから」


個別のごみ箱に関して、業者は『回収していいのか』そのむねを当人または周囲に一度確認を取る形式を取っている。

そうなったのは木崎が勝手に私物を回収されたと騒ぎを起こしたことがあったせいだ。


「なら!その後に……」


そう言いかけて木崎は言葉を飲んだ。

回収後に芽衣が捨てた可能性はあるが『昼までずっと別室で一緒に居た』という新谷の証言を聞くに、自分の言い分には矛盾があると気づいたのだ。



「今度は昨日拾ったなんて、言わないよね?木崎さん」


清水の糸目がカッと見開き、『もうわかってるんだよ』と告げていた。

木崎はぐうの音も出ず、下唇を嚙んで押し黙った。


「それは流石に無理ありますって、課長。今日作ったばかりの資料なんですから」


 清水の冗談・・に、新谷は思わず苦笑した。


「ああ、木崎さん。貴女が先ほど仰った『望月が用済みの資料をシュレッダーをかけない』という話、訂正してください。望月はいつも破棄する資料は必ずシュレッダーにかけてますよ。そんな“ずさん”な仕事を彼女がするはずがありません、絶対に」


追撃するように、新谷はキッパリと断言した。

その清々しいまでの態度に、木崎はカッとした。


「あ、新谷君は望月さんに甘いのよ!!いつもそうやって、望月さんばかりにいい顔をして!!同期だからって擁護ようごし過ぎじゃない!?」


 木崎が金切り声をあげた。


「俺は事実を言っているだけですよ。それに望月は信用に足る仲間だと俺は思っていますから」


「要領が悪くって、いつもミスばかりの、足を引っ張っているだけの望月さんが?」


木崎は鼻で笑った。

すると今まで冷静さを装いていた新谷のポーカーフェイスが崩れた。


「うちのエースの貴方が、望月さんのような不出来な社員を信用するなんて…」


「…もう、いい加減にそのくらいにしろよな、ババア・・・


新谷がついに“キレた”。


「ば…」


途端に言葉を失う、木崎。


「なら言わせてもらうけどな。いい年こいて一周り歳が違う“若い社員おれ”に色目使うなよ。痛いんだよ。しかもあんたの香水の匂い…マジでキツ過ぎ。あんたの側になんで脱臭・・付きの空気清浄機がわざわざ置いてあるか分かる?他人のことをかく言えるほど、あんたはちゃんと仕事してるわけ?そうやっていつも誰かをおとしいれて、年下には昔の自慢話をしてマウント取らないと自分の立場が守れないのか?マジ痛いな、ババア」


早口でまくし立てる新谷に、木崎はわなわなと怒りで震えだした。


「あんた、そんなこと言っていいと思ってるの!?私はこの会社の…」


「あ?ああ、そういや、あんたって、この会社の会長の娘なんだっけか?だからなに?コネ入社の分際でさ、偉そうに言うなよな。偉そうにしたいならさ、正々堂々と面接受けて自分の実力で受かってから言えよ」


 木崎はこの会社の会長のひとり娘だ。

大学卒業しても定職につかずに45歳すぎても遊び呆けている娘を、見かねた会長がついに数年前コネ入社させたのだ。

『私の若い頃なんて~』と芽衣のことをさんざんコケ落とし・・・・・ていたが、実は今までずっと無職だった。

木崎が入社したのが、今から3年ほど前。

芽衣が中途採用で入社したのが去年のことで、実は言うほど勤務年数に違いはないのだ。

そして50手前の年齢になり、焦った木崎は若い男性社員にアプローチをかけていた。

無論、誰も相手にする社員はいなかったが、そのせいで鬱になりかけた新人社員は数多くいた。

まさに迷惑な害悪おばさんだ。

しかし、それでも周囲の人間が何も言わなかったのはー


「そうよ!会長パパに言いつけるわよ!!」


木崎はすぐ切り札を出してきたが、新谷はまったく動じなかった。

むしろ飽きれたように、ため息をつく。


「…ああ、どうぞ言ったら?俺は別にいいよ。あんたみたいな害になるしか能のない奴を野放しにしてる会社なんてさ。こっちから願い下げだし」



「いや、それは困る」


その時、この場を静める低い声が割って入ってきた。


「パパ!」


木崎の目が一瞬で輝く。



 突然現れた会長に、その場にいた社員がざわついた。

社員の注目を集めながら、会長は娘を完全無視して、新谷の前まで来るやってくる。

70歳はとうに過ぎているとは思えない、腰が曲がらず、背筋をシャキッと伸ばして、上品なスーツを着こなしていた。


「新谷君に辞められると困るよ。君はとても有望なうちの社員だ。私は君を手放す気はない」


「え?でもパパ…この人!私のこと馬鹿にしたのよ!?」


「それはそうだろう。彼の言うことは正論だからな。某有名求人サイトでの我社の評価をお前は見たことがあるか?

ここ『数年間』右肩下がりの数値を更新している。…なんでか、分かるか?」


「え…」


全く心当たりがない木崎は言葉に詰まった。

そんな娘の様子に会長は重いため息をつく。


「お前のような身勝手な奴がいるから、だ」


「そ、そんな!」


動揺する木崎から視線を外して、会長はその場にいる社員一同を見渡す。


「皆さん。この場を借りて謝罪させてください。娘の行いは皆さんの気持ちを不快にさせ、あなた方の仕事を滞らせました。大変…ご迷惑をおかけしました。全ては娘の育て方を間違えた私にあります。本当に申し訳ありませんでした」


会長は深々と頭を下げた。


「娘は本日付で“自主退職”させます。社長にはもう話をつけましたので、皆さん、どうぞ安心して業務に戻ってください」


「そんな!パパ、待って!!」


「お前は黙って、自分のディスクの私物をさっさと段ボールに詰めろ!」


それだけ言い捨てると、会長はもう一度社員に深く頭を下げた。

そして木崎に一瞥いちべつもせずに、その場をあとにした。


「…なんで、パパは私の味方じゃないの?」


木崎は、呆然と立ち尽くした。



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