第2話 気にかけてくれる人

「はぁ…今日も疲れた」


芽衣めいはくたびれた様子で、家路に向かって歩いていた。


木崎きさきさん、私に一体なんの恨みがあるんだろう…あんな姑みたいな…ううん、まるで親の敵みたいに…攻撃してくるし)


芽依が視界に入るだけで、まるで拒否反応を起こしているかのような異常な振る舞いだ。


めぐみは『芽衣わたしがまだ若いから、ただひがんでるだけよ』なんて言ってたけど…私が同じ歳になったとしても絶対!後輩いびりしたりしないんだから!!)


静かに誓いを立てると、ちょうど昨夜立ち寄った公園に差し掛かった。


「あの人…もしかしたらまた居るかな?」


昨夜ここで会った、豆電球頭の男。

芽衣が疲れて見た『幻』かもしれないが。

でもどうしても彼のことが気になった芽衣は、もう一度公園の中に入っていった。




「やぁ、こんばんは」


ベンチに座った“豆電球頭の男”は実に親しげに挨拶をしてきた。


「こ、こんばんは」


本当にいるとは思わなかった芽衣は動揺して、上擦うわった声で挨拶を返した。


 どこを見ても、どの角度から見ても、頭が見事な豆電球だ。

しかしベンチに座った男と目線を合わせてよく見てみると、実際にある豆電球と違っていた。

案外強い光のせいで輪郭がぼやいでいるが、ガラスの球体の中にまるで水晶玉のような丸い形状をした“もの”がともっている。

それが何なのか、まったく見当もつかない。

台座のような物もないのに、ガラスの球体の中でそれはぷかぷかと浮いていているのだ。

光は鼓動のような微かな強弱があって、暗くなったり明るくなったりしている。


「ここの席、空いてますよ」


男は隣の空いたスペースを、手のひらで軽く叩いた。


「し…失礼します!」


鞄を胸元に抱えた芽衣は、緊張した面持ちで座った。


「今夜は蒸し暑いですね」


男はとてものんびりした様子で話しかけてきた。


「そ、そうですね」

「いつもこんな遅い時間に帰られるのですか?」


男が何気なく尋ねた言葉に、芽衣の表情にわずかな陰りが差した。


「……はい。職場で大きな企画があがっていまして…その業務に追われていまして」

「そうですか。それは大変ですね…ご苦労様です」

「…ありがとうございます」


男に「ご苦労様」と言われて、芽衣は泣きそうになった。

最近、ねぎらいの言葉を掛けてくれる人がいなかったのだ。


「いえ。礼には及びませんよ。…貴女はとても素直で優しい人です。どうぞ、ご無理はなさらないように」


そう言われて、照れくさくなった芽衣は頬を掻いた。


「そんな素直で優しいなんて…」

「いえ、貴女はとても優しい方だ。私の『この姿』を見ても逃げ出さず…汚れた顔を拭いてくださった」


自身の豆電球の頭を撫でながら、男はそっと呟く。


「私の顔に触れた“人間”は、今まで誰一人いなかった」

「な、内心すごく驚いたんですよ!『あ!?頭が豆電球!?なんで!!』って」


男が落ち込んだように感じた芽衣は、慌てて茶化すように言った。

すると男はふっと優しい笑みを浮かべる。


「普通は驚きますよ。でも貴方は、私のことが怖い・・とは思わなかったでしょ?」

「え……あ、そういえば、驚きはしましたけど怖くなかったです」


昨夜のことを思い返しながら、芽衣は素直に言った。


「普通の人間は…私をひと目見ただけで『化物』だって、怖がって逃げていくんですよ」


男の声は笑っていた。しかしどこか寂しげな声音こわねだった。


「私はとても可愛いと思いますよ。その頭。丸いフォルムで、中の明かりに懐かしい温みを感じて…」


芽衣は微笑んだ。


「…ほんと、とても優しい明かり。一緒にいるとなんだかホッとします」

「そうですか。…ありがとう」


芽衣の言葉を、男はみしめるように呟いた。

その声音は、やはり寂しげで、どこか泣きそうにも聞こえた。


「…あ、もうそろそろお帰りになった方がよいのでは?」

「あっ、そうですね…って!もう日付変わってるし!!」


芽衣は腕時計を見て、慌ててベンチから立ち上がった。


「引き止めてしまって、すみません。気をつけて帰ってくださいね」

「ありがとうございます。では、私はこれで失礼します」


お辞儀をして、芽衣はそそくさと公園の出入り口に向かって歩き始めた。

しかしふと思い出したかのように立ち止まり、男の方へ振り返った。


「おやすみなさい!!」


屈託のない笑顔を向けられて、男はすぐに言葉が出なかった。


「…ええ。おやすみなさい」


やっと男の口から出てきた声音はとても穏やかだった。




芽衣が完全に立ち去ると、男は静かにこう呟いた。


「芽衣さん、貴女はきっと大丈夫です。貴女はとても温かい光を持っている。けっして『灯台』のような導く大きな光ではないですが、貴女の光は棘のように尖った人の心を優しく溶かしてくれる。そう…まさに『蝋燭』の揺らめきだ。その光は誰かの心を癒やし、そして愛されるともしびなのだから」




   ◇◇◇◇  ◇◇◇◇




「望月さん!何度言ったら貴女はわかるのかしら?この資料はこの棚!ここの位置なのよ!!」


 木崎の癇癪かんしゃくがまた始まった。

周囲の社員が不快そうに眉をひそめる。

当の本人は、そのことにまるで気づいていない。


「まぁまぁ、木崎さん。きちんと決められた棚には入れているんですから、そんなに目くじら立てないでくださいよ」


 課長の清水しみずが見かねて、声をかけてきた。


「でも!きちんとした場所に置かないと次に使う人が探すのに苦労するでしょ?」


「いやいや、ファイルの背表紙にちゃんと資料の見出しが書いてあるんだからさ。しかも大きな太文字だからとても見やすいし。少なくとも僕は苦労せずに探せるよ。僕最近、歳のせい・・・・か老眼が始まったみたいでね。望月さんのファイリングはとても見やすくて、助かってるんだ」


 芽衣の方を見て、清水は優しく微笑んだ。


「木崎さんはこれでも見づらいなら、一度眼科で診てもらったほうがいいんじゃない?」


 清水は実に明るい声で、木崎に忠告した。

嫌味を一切感じさせない、のほほんとした柔らかな物言い。

途端に社員の控えめな笑い声が聞こえ始めて、場の空気がすぐおだやかに戻った。


「大きなお世話よ!そんなんだから、いつまでもあんたは課長止まりなのよ」


 木崎はそう吐き捨てると、象並みの大きな足音を立てながらその場を後にした。


「課長、すみません。ありがとうございました」


 芽衣は清水にお礼を言った。


「いいんだよ。僕は鈍感だからなかなか気づいてあげられなかったけど…新谷あらたにから『望月が困ってたら、木崎さんにしっかり釘を刺しておいてくれ』って言われてしまってね」


清水の口から出てきた名前に、芽衣は驚いて聞き返す。


「新谷君が……ですか?」





「新谷君、後片付けなら私がやるよ。今日は珍しく定時であがれるんだから、もう帰ったら?」


会議は終わったというのに、新谷はテーブルの上の空の紙コップを集め始めた。

それは雑用係の芽衣の仕事だ。

チームリーダーに手伝わせるのは、気が引けた。


「それを言うなら望月だってだろう?」


新谷は気にした素振りもなく、片づける手を止めない。


「私はこれが仕事だもん。終わったらすぐ帰るよ!」


芽衣は努めて明るい声で言った。


「なら、俺が手伝った方がもっと早く帰れるだろう」


ぶっきらぼうにそう言うと、新谷はテキパキとテーブルの上を片付けていく。


「…ありがとう、新谷君」


新谷の不器用な優しさに、芽衣は途端に鼻をすすりながら、ぽろぽろと泣き始めた。


「……課長に木崎さんのこと言ってくれたって聞いて…私なんかに気遣ってくれて、本当にありがとう」


芽衣が泣いてることに、新谷君は驚いた顔をした。

片づける手を止めて、すぐに芽衣の元に寄ってきた。


「…礼なんかいいって」


新谷は自分のシャツの袖で、芽衣の涙を優しく拭った。


「……泣くなよ。お前はいつも笑ってろ」


新谷が笑いかけた。


「うん…」


芽衣は少し目を赤くさせながらも笑顔を作った。

その笑顔を見て、新谷がとても眩しそうに目を細める。


「……早く終わらせて、一緒に飯でも食いに行くか」

「うん!あ、ならめぐみも誘おう!」

「……え……ああ…そうだな…」


芽衣の提案に、新谷は複雑そうな顔になり歯切れの悪い返事をした。


「?」


そんな新谷の反応に、鈍感な芽衣は不思議そうに小首を傾げるのだった。



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