宵夜のルーメン

甘灯

第1話 異形頭と出会う

「疲れた…週休二日制って都市伝説なのかな」


終電を逃した望月もちづき芽衣めいは、とぼとぼと重い足取りで家路に向かって歩いていた。


(二駅分…歩くのきついなぁ。スーツにパンプスだし)


7月上旬。

まださほど気温は高くはないが、梅雨明けしたばかりの湿気のせいで、歩くだけでじっとりとした汗が滲む。

激務を終え、終電に乗り遅れて、かれこれ…ゆうに1時間半は歩いている。

芽衣はとにかく喉が乾いていた。


「あづいよー。干からびるー。あーあ…このままミイラになっちゃうよー」

 

近所迷惑もはなはだしい大声で、芽衣は嘆いた。

今が『深夜の時間帯』だいうことが、頭からすっぽりと抜け落ちてしまっている。

それもこれも、度重なる連勤のせいだ。


「あ」


ちょうど公園に差し掛かったところで、芽衣はピタッと足を止めた。


「確か…この公園って自動販売機があったはず…!」


乾いた喉を鳴らし、芽衣はフラフラした足取りで公園の中に入った。






「んー、どれにしようかな。ビールが売ってたら良かったのに…」


愚痴を溢しつつ、芽衣は自動販売機のパネルをひと通り眺める。


「うん、これにしよう」


芽衣は財布の中から硬貨を取り出すとコインの投入口へ差し込んだ。

しかしうまく入らなかった硬貨が弾かれて、指から滑り落ちる。


チャリーン。

甲高かんだかい音を立てて、地面に落ちた硬貨がそのまま自動販売機の下に吸い込まれるように転がっていった。


「うそぉお…!?500円玉がぁーー!!」


絶叫しながら芽衣は反射的に両膝をついて、自動販売機の下をのぞきこんだ。


「やだ、やだ!飲み物一つ買っても、コンビニのおにぎり2つ分は余裕で買える金額なのに…!!」


せこいことをわめき、芽衣は自動販売機の下の隙間へ手を突っ込んだ。

必死に探ってみるが、手応えはまるでない。


「暗いなぁ……」


芽衣は持っていたスマートフォンのライトで奥を照すが、明かりが全然足りない。


「もっと奥にあるのかな…あと少しだけでも明かりがあればな…」

「なら、これならどうでしょうか?」


艶のある低い声。

狭い視界が急に明るくなって、奥までよく見渡せるようになった。


「あ!ありました!そのままでお願いします!!」

「はい、わかりました」


誰かが、懐中電灯か、なにかで照らしてくれてるのだろう。

相手の顔をまったく見ようともせず、芽衣は奥にある500円玉に向かって必死に手を伸ばした。


「取れた!!ありがとうございます!!助かりま…えぇえええ!?」


芽衣から頓狂とんきょうな声が出た。

一緒になって自動販売機の下を覗いていた人物が驚いて、慌てて上体を起こす。


(あ、あ、あ、頭が!!!)


芽衣は混乱した。

目の前の人物の頭が、何故か『豆電球』だったのだ。


「どうかされましたか?」


不思議そうな声が返ってきた。

襟元から上が豆電球なので、口も、鼻も、目も、ない。

だが発した声と男性用のスーツ姿を着ていることから、男性らしい。


(なんで!!ま、豆電球!?あ、あ、頭はどこ行っちゃったの!?なんで頭が豆電球なのーーー!!?)

 

目の前の光景が信じられず、脳内がパニックになる。

何度も目をまばたかせて、男を見てみるが……。


(どう見ても、頭が豆電球だよ!な、なんでーーー!?)


「?…大丈夫ですか?顔色がとても悪いようですが…お怪我でもされましたか?」


豆電球の頭をした男が心配そうに、芽衣に声をかけてきた。


「あ、い、いえ!!…怪我…はないです!」


芽衣は慌てて言葉を返した。


「そうですか。それはよかった」


男はホッと胸を撫で下ろす。


(ふ、普通に話してるけど…。え…私、仕事のし過ぎて頭がおかしくなった?)


男の頭部は明らかに“異常”なのにあまりにも普通に話してかけてきて、芽衣は自分の頭の方がイカれているのでは?と疑心暗鬼ぎしんあんきおちいった。


「…あ、ありがとうございました…!!助かりました…」


脳内はパニック状態だが、芽衣は何とか冷静を装ってお礼を告げた。


「いえいえ。貴女のお役に立てて何よりです。では、私はこれで…」


軽く会釈えしゃくをすると、男はくるりときびすを返した。


「あっ!」


芽衣は声をあげた。


「?……何か?」


男が振り返る。


「え、えっと、そ、そこ!汚れてますよ!!」


芽衣は男の汚れている頭部を指差した。


「???どこでしようか?」


男は見当違いのところを袖で拭った。


「もっと右です…えっと…」


(顔あれば、頬とか、目の近くとか言えるのに…!)


芽衣はもどかしくなりながら、肩にかけた鞄からハンカチを取り出した。


「少し屈んで貰っていいですか?」


「え、あ、はい」


男は言われるまま、素直に腰を落とした。

芽衣が汚れている部分を、ハンカチで丁寧に拭き始める。


「なかなか落ちない!ですね…ちょっとこのハンカチを持っててください」


ハンカチを男に押し付けて、芽衣は再び鞄の中を漁り始めた。


「ウェットティッシュの方が落ちそう」


芽衣は取り出したウェットティッシュで、男の頭を“キュッ!キュッ!”と音を立てながら力強く拭き取った。


「…………取れましたよ!」


ピカピカになった頭を見上げて、芽衣は満足げな顔をする。


「…ありがとうございます」


男は照れ臭そうに、綺麗になった自身の頭を撫でた。


「いえいえ、綺麗になって良かったです!………って!?」


芽衣はハッとした。


(私ったら何してるんだろう!!この状況どう考えても普通じゃないよ。は、早くこの場から離れないと!!!)


「そっ、それでは、私は、こ、ここら辺で、し、失礼しますっ!!」



それだけ言い残すと、芽衣は脱兎だっとの如くその場から逃げ出した。






     ◇◇◇◇    ◇◇◇◇






(昨日のあれは…何だったんだろう…?)


次の日の昼休み。

芽衣は昨夜の出来事をぼんやりと考える。


(確かに、頭が豆電球だった。…拭いた感触も間違いなくガラスだったし…)


被り物だと一瞬思ったが、ガラスの中は透けていて、確かに明かりが灯っていた。


「…い」


(キュッ、キュッって音が鳴ってたし!!単に頭部が剝げたとかじゃない…よね)


「芽衣!」


至近距離で名前を呼ばれた芽衣は、ハッと我に返った。


「あっ、ご、ごめん!めぐみなに?」

「……何かあったの?さっきから何度も呼んでるのに…全然返事しないし。それにずっと上の空みたいだけど…」


社内で一番仲良がよい入夏いりなつめぐみが、心配そうに尋ねてきた。


「そ、そうかな?」

「疲れてるんじゃないの?最近、残業続きなんでしょ?」

「…うん。新プロジェクトの資料まとめにとか、色々と手間取っちゃって」


「あはは…」と芽衣は苦笑した。


「…無理しないようにね。違う部署だけどさ…あたしに手伝えることがあれば駆けつけるから」

「…うん、ありがとう」


恵の気遣いに胸がジーンとした。涙腺が緩みそうになって芽衣は無理やり笑顔を作る。


(疲れてたのかな…そうだよね。頭が豆電球の人間なんて…現実であり得ないもん)


芽衣は自分を納得させるように独り頷いた。




「ここ、いいか?」


その時、テーブルを挟んで一人の若い社員がこちらへ声をかけてきた。


「あれ?新谷あらたに、今から昼食?」


食堂の壁時計を一瞥してから、恵が尋ねた。


「そうなんだよ。穂積ほづみ西岡にしおかが会議中にまためだしてさ。穂積は何かと前の提案が良かったって突っかかってきて、今回は西岡の提案が採用されたことが悔しいんだろうけどさ…もう互いに足の引っ張り合いよ」


深くため息をつきながら、芽衣と同じ部署の新谷あらたに桃矢とうやが向い側の椅子に腰を下ろした。


「……そう。あんたも大変そうね」

「あんた“も”?」


新谷は何かを察したように、恵の隣へ視線を向けた。


「私なんか全然大したことないよ」


新谷からまだ何も言われていないが、芽衣はそう前置きをした。


「新谷君に比べたら本当にぜんぜん楽だよ。同じ中途採用の同期だけど、新谷君はもうプロジェクトのチームリーダー任せられてるもんね!…私なんか飲み込み悪いから、未だに資料作りの手伝いとか、お茶汲みしか、役に立てないし。あっごめん!嫌味みたいになっちゃったね」


芽衣は誤魔化すように笑った。


「…木崎きさきさんに、また何か言われた?」


新谷は眉間にシワを寄せながら、芽衣に聞き返す。


「ううん!何も言われてないよ」


核心を突く新谷の言葉に、内心ドキッとした。


新谷が名をあげた『木崎』とは、同じ部署の言えば『お局様ポジション』にいる中年の女性社員だ。

理由に心当たりはないが、芽衣のことを露骨に毛嫌いしている。

顔を合わせれば、必ず小言を言ってくる。

わざと間違えた情報や会議の時間を教えては、芽衣の仕事の足を引っ張るような問題行動を起こしていた。

正直、芽衣が頭を悩ませている『案件』だ。


「あ、ほら、早く食べた方がいいよ!もうお昼休みの時間もないし」

「ん」


芽衣にうながされて、新谷は大人しく食事を始めた。


「…あっ私、第一会議室の鍵を開けないと行けないんだった…新谷君、ごめん!私、先に行くね!!」


芽衣は慌てて椅子から立ち上がって、食堂を後にした。




「望月さん、遅いわよ!」


第一会議室の前で木崎が腕を組みながら、不機嫌な顔で仁王立ちしていた。


「すみません!」


芽衣は頭を下げて、慌てて会議室の鍵を外した。


「雑用ぐらいしか大して役に立ってないのに、有能な先輩社員を待たせるって…随分すいぶんと図太い神経をしてるのね。私なら“食堂”で悠長に昼食なんか取っていられないわよ」


「……すみません…以後気をつけます…」


木崎の敵意むき出しの嫌味に、芽衣は思わず語尾をつぼめた。


「大体、私が貴女ぐらいの歳の時はね…」


(…また、始まった)


木崎はいつも決まって『芽衣』と『自分の若い頃』を比較しては、自分がいかに有能であったかを、自慢話を交えてねちっこく言うのだ。

その後も会議の準備を始めた芽衣の後ろを執拗しつようについてきては、椅子の並べ方、資料の置き位置まで逐一ちくいち指摘し続けるのだった。

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