第44話:韓信、去っていった4名士の話

“オトナ達”の前で4つの案を姉に奏上そうじょうし、最後には泣き崩れた小さなヒトの子は、今はもう泣き疲れて蝶姫チョウキの胸元でスヤスヤと眠っている。


そしてしばらくしてから、その日の朝議は終わりとなった。ホウから話が上がった4つの案件についても、やるべき者達が責任を持って各々動き始めたのであった。


なお、4件目の『陳述箱』については、直接国民の声が聞ける為、蝶姫と豊がその案件に着手する事になった。


結果、豊は、『紙・木簡・竹簡の自国製造』の主導、『道路整備』の経過観察、『道路法』を小姉と決め切る事、『陳述箱(ご意見箱)』の運用責任者を、大姉ダイシから任されたのであった。もちろん蝶姫は豊と行動を共にしようと思っていた。



その日の晩は、大姉が蝶姫と一緒に料理をし、その間は香織が豊の相手をしていた。武芸の稽古は、さすがにまだ身体に負担がかかりすぎるので、歴史に残る武将たちの戦術について、話しをしていた。


香織「かの有名な漢の名将・韓信かんしんは、大軍の敵を相手にする際に、わざと自軍を狭い土地に進軍させ、激流の川を背にするように陣を構えた。その川を渡る事は死を意味するような川であった。そして味方を鼓舞するのであった。『我らの後ろにはあの激流の川だ!我々には退路がない!前の敵を倒すしか生き残る道はないぞ!』と檄を飛ばし、味方を奮い立たせた。これが国士無双こくしむそうと呼ばれた韓信が敷いた『背水の陣』よ。兵たちが『逃げ道がない。戦うしかない』という状況まで追い込まれれば、それはもう必死で抵抗するわよね?そこに敵軍が突入して来るが、まさに、『窮鼠きゅうそ猫を噛む』という感じかしらね。死に物狂いで激しく抵抗したそうよ」


豊は興味深そうに聞き入る。武芸の稽古ではなかったから安心しつつ。


香織「う~ん、でも~、弟くんの場合は、背水の陣をマネしない方がいいわね。誰にでも“向き・不向き”があるのよ。弟くんの戦闘スタイルではないわね。そして、もし相手が背水の陣であれば、その時は油断をせず、慎重に対処しないといけないわよ」


豊は思った、

「香織ねーちゃんなら、自分達が背水の陣を敷こうが、相手が背水の陣であろうが、単騎で突っ込み、一騎当千いっきとうせん万夫不当ばんぷふとうで、生き生きと無双むそうするのだろうな~」

と。


初夏の夜の風は意外と寒く、豊の背筋がヒヤリとした。


三日月が西南の空に顔を出している。



大姉と蝶姫が、愛奈に手伝ってもらいながら、食事を蓮月殿レンゲツデンに運び入れる。


豊は愛奈に「一緒にご飯を食べていってよ~」と言ってみるが、愛奈は「他の者達からねたまれてしまいますゆえ…」と言い、顔を真っ赤にしてその場を走り去っていった。


四人で食卓を囲む。肉のついた牛の背骨と尻尾しっぽを沢山の野菜達と一緒にグツグツと煮込んだスープと、コパン達に届けてもらった、もち米の“ちまき”である。このスープは、お肌がぷるんぷるんに潤うと帝都でも人気の一品でもある。姉はそこに薬草を加え、身体がさらに喜ぶ薬膳料理に仕上げるのであった。一方、“ちまき”は上手に蒸し直した事もあり、見るからにもっちもちである。そして、蝶姫の初参内を祝う古酒も用意された。


四人は仲良く取り分けあって、食べた。…、たまに香織と豊が煮込まれた骨肉の取り合いで、争い始める。


蝶姫「…(『骨肉の争い』!?)」



大姉「蝶、今日、初参内してどうでした?」


蝶姫「…。女性が多いものなの?ああいう場は?」


大姉「…。お父様がオンナ好きだったから、全国から美女、才女を集めたのよ…」


蝶姫「…。(だからなのかしら?このヒトの子は、あの時に『“綺麗なお姉さん”シリーズ』という言葉を口にしたり、やたらと年上の女性に興味があるのは…。ここの生活環境が影響しているの?)」


大姉「少し前までは、今日名前が上がった陳羣ちんぐん殿の他にも、荀彧じゅんいく殿、荀攸じゅんゆう殿、郭嘉かくか殿という名高き名士達がこの地に居たの。だけれども、お母様が亡くなり、その直後にお父様が急に出奔しゅっぽんされた。それを機に、お父様を追って武官が数名出て行き、この国の将来を危惧きぐした者達はくだったり、自ら隣国に鞍替えしたり、他国からの引き抜きに応じたりして、文官、武官ともに数が減ったの」


蝶姫は、心配そうに首を縦に振ってうなずく。


大姉「陳羣殿は、世の中をもっと知りたいと言い旅に出た。荀彧殿は、慌ただしい帝都の政治を心配され、皇帝を直接お支えする職を求め、この地を離れ帝都に向かった。荀攸殿は、その後を追うように帝都の何進かしん・大将軍から抜擢ばってきされて帝都へ。そして、皇帝のお膝元で職に就いた。郭嘉殿は、名家である袁家えんけに引き抜かれて出て行ったわ」


蝶姫「…。名士…。優秀だったの…?」


大姉「えぇ、それはもう。私が幼い頃から、律香と共に、この4人から色々と学んだわ。政治の在り方、軍の動かし方、人を率いる立場とはどんなものなのか、宮中での作法など…、様々なお話をしてくれたわ」


豊「だから、姉上も、律香お姉ちゃんも、物事をよく知っていて、とても賢いんだよ~。いわゆる、『才色兼備さいしょくけんび』だよね~。姉上はさらに『国色天香こくしょくてんこう』という感じかな~」

と、またまた学舎で覚えたばかりの言葉を使ってみた。


大姉「あらあら。おねーちゃんをそんなに褒めて…。今夜はおねーちゃんに何をして欲しいの~?」


少しお酒を飲んでいるせいもあって、姉と絡むのはちょっと大変だと、弟は思った。


一方で、

香織「えぇ~、おねぇちゃんを褒めてくれないの~、弟くんっ!」

と、もう片方の姉もお酒を飲んでいなくても面倒なのに、お酒の力もあり、グイグイと弟に絡んでくる。


豊「ほ、ほら、香織ねーちゃんは、天下一の将軍だから…。だから、だ、大丈夫…」

と、適当に答える。


香織はそれでも満足そうに、うんうんと首を縦に振って、弟の頭をよしよしなでる。


香織「じゃあ~、おねぇちゃんと、お外で~、ふたりっきりで~、さっそく、アレしよっか~。汗水をともに流そうねぇ~」


大姉「ダメよぉ~。豊はおねーちゃんと、ふたりでアレをするのよ~」


弟は左右から二人の酔っぱらった姉達に腕をそれぞれ引っ張られ、身体が再び2つに裂ける感じがした。


蝶姫「…。(大変そうね…。あなた…)」

と、豊の心中を察する事が出来る能力を身に着けた。


豊「う、うん…。でも今日は、先約があるから、ダメ~」

と断る。


大姉&香織「えぇ~、その先約って~?」


すると、豊は蝶姫を見る。蝶姫と目が合うと、二人とも顔が赤くなる。


大姉「なぁんだぁ~、じゃあ、今夜はしょうがない~。明日は、おねーちゃん、頑張っちゃうからね~」


香織「姉上には負けないんだから。弟くんは、おねぇちゃんの方が好きなんだからっ。共にまた切磋琢磨せっさたくましようではないかぁ~」


豊「う、うん。前向きに検討させていただきます」

と、またまた覚えたての言葉を使ってみせた。



そんな四人のやり取りを三日月は見つめていた。


その美しい三日月に蝶姫は気づき、三日月を見つめると、三日月はゆっくりと雲に隠れていった…。




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