第9話:京香と蝶姫

数年前のお話。


初夏の夕暮れ時に、大姉ダイシは帝都にあるやしろで、赤子あかごをあやしていた。


その赤子はよく泣き、セミの鳴き声すらかき消す。社の門にいたてんは心配そうに赤子の方を向いては、社の奥へと走りこむ。


その社の奥から、蝶姫チョウキが現れ、門の方へと歩みを進め、赤子達の近くを通りかかる。


赤子の泣き声を特に気にする事なく、通り過ぎようとする。


すると、赤子は、突然泣き止み、蝶姫の方に身を乗り出して、「だぁー、だぁー」と言う。


抱えきれなくなった大姉は、蝶姫の方へ二歩三歩よろけてしまう。


大姉「ごめんなさい、お姉さん。この子が…」

蝶姫「…」

赤子「だぁー、だぁー」

蝶姫「…」

大姉「この子、綺麗なお姉さんが大好きみたいで…」

蝶姫「…」

大姉「私が世話をしている時はいつも泣かないのだけれど、急にさっきから泣き始めて…。びっくりさせて、ごめんなさい、お姉さん」

蝶姫「大丈夫」

と言って、その場を離れようとする。


すぐにまた赤子は大泣きをして、蝶姫の方に身を投げ出す。

大姉「あぁ、落ちちゃう」

赤子は強い力で姉をはねのけて、蝶姫に飛びつき、泣き止む。


赤子「だぁ。だぁ。あぅ、あぅ。だぁー」

蝶姫「…(あたたかい…)」

赤子「だー。だぁー」

蝶姫「…(…)」

赤子「だぁ~。だぁ。きゃっ、きゃっ」

蝶姫「…。そう…」

大姉「えっ、お姉さん、赤ちゃんの言葉が分かるの?」

蝶姫「…わからない。でも…」

赤子「だーぁ。だー」

蝶姫「…。もう行かないと」

大姉「そうですよね。急にこの子が飛びついちゃってごめんなさい。あやしてくださり、ありがとうございました」


大姉は丁寧にお詫びとお礼をしてから、蝶姫から赤子を受け取ろうとすると、赤子は蝶姫のえりをつかみ離れようとしない。


蝶姫は天を見上げて、太陽の位置と月の位置を確かめる。

太陽は沈みかけ、月は徐々に雲で隠れていく。

蝶姫「今夜は三日月…、よかった…。でも、もう行かないと…」

と言い、大姉に赤子を手渡そうとするが、赤子はピッタリと蝶姫にき、離れない、がれない。


蝶姫「…大丈夫…ではない…」


再び天の様子を見る蝶姫。

蝶姫「仕方ない・・・」


蝶姫は左耳から耳飾りを外し、何かおまじないをかけ、赤子に握らす。


すると、赤子は安心したかのように、スヤスヤと眠る。


蝶姫「大丈夫」

と言って、赤子をゆっくりとやさしく大姉に手渡す。


大姉「お姉さん、ありがとうございます。でも、これは…」

赤子が握った耳飾りを取り上げようとするが、その握った小さな手は開かなかった。


大姉「ごめんなさい。大切な耳飾りは、一晩お預かりします。明日はどこかでお会いできますか?お返ししたく」

蝶姫「わからない…」

大姉「そうですよね。お忙しいですよね…」


そして一呼吸おいてから、

大姉「わたしは、大姉ダイシ。家族からは京香ケイカと呼ばれております。京国ケイコクにおりますゆえ、城の門番に『“京香”に用事がある』とお伝えいただければ、すぐに門までお迎えにあがります。お近くにいらっしゃった際には、ぜひお立ち寄りください。それに、今日のお詫びとお礼もしたいですし」

蝶姫「…大丈夫」

無関心にその場を去ろうとするので、

大姉「あの…。お名前は?」

蝶姫「蝶姫チョウキ

とだけ言うと、急に周りの蝉が一斉に鳴きだし、少し冷たい夜風がびゅーっと吹く。驚いた大姉は一瞬、目を閉じる。そして目を開けると、蝶姫はいつの間にか姿を消していた。


大姉「…。不思議なお姉さん」


社の本殿の方を振り向いて、

大姉「もしかして、ここの女神さまだったのかしら?」

赤子を大事に抱えながら、本殿に礼をする。


大姉「またあのお姉さんに会える気がする…」


赤子はスヤスヤと眠っており、大姉も急いで母や妹たちが待つ宿へと急いだ。



三日月は雲から顔を出し、天を明るくし、宿までの道を照らしてあげた。


本殿の裏を再びてんが走り抜け、せみは赤子を起こさないよう優しく鳴く。









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